全盛期のRobert Dean Smithの Liederabendが素晴ら過ぎる件について

Robert Dean Smith(ロバート ディーン スミス)1956~、は米国のテノール歌手。

数年前まではバイロイトの常連歌手としてワーグナー作品の主役を歌いまくっていたのがこのディーン=スミスでしたが、彼をヘルデンテノールと言って良いのかどうかは個人的には疑問があります。

彼の声は本来ワーグナーを歌うには軽いため、トリスタンやタンホイザーでは特に批判的な見方をするワグネリアンも見られましたし、私もタンホイザーは合っていないと思いました。

ただ理由はそれだけでなく、彼の発声技術がイタリアオペラを歌うテノールのように美しいアクートを持っているというのが一番重要なポイントです。

ヘルデンテノールと言えば、巨体から繰り出さられる圧力を駆使して、圧倒的な声量と強靭で直線的な高音を出す歌手が多いのですが、
彼は柔らかく開放的なパッサッジョ、アクートをもっていますので、一般的なヘルデンテノールのイメージとは違う発声をしていると言えます。
今回はその辺りに焦点を当てて記事を書いていきますので、特にイタリア物のレパートリーに注目して以下の動画をご覧頂ければと思います。

 

 

 

Markgräfliches Opernhaus Bayreuth – Liederabend Recital
Robert Dean Smith and Semjon Skigin. 2009

 

<プログラム>

ROBERT SCHUMANN:
Aufträge
Aus den hebräischen Gesängen
Mit Myrten und Rosen
Stille Tränen

RICHARD WAGNER:
Schmerzen
Träume

ARNOLD SCHÖNBERG:
Dank
Abschied

RICHARD STRAUSS:
Heimliche Aufforderung
Ich trage meine Minne
Befreit
Morgen
Cäcilie

STEFANO DONAUDY:
O del mio amato ben

VINCENZO DE CRESCENZO:
Rondine al nido

FRANCESCO PAOLO TOSTI:
Tormento
L’alba separa dalla luce l’ombra

Zugaben/Encores

GAETANO DONIZETTI:
Me voglio fa’ ‘na casa

RICHARD STRAUSS:
Zueignung

RICHARD WAGNER:
Winterstürme (aus Die Walküre)

 

本来ワーグナーを得意とする歌手のリサイタルでは、イタリア語の作品よりドイツ語の作品の方が優れた演奏になるのは当然で、そもそもトスティやドナウディなんかをリサイタルで歌うことすら珍しいと言って良いでしょう。
しかしディーン=スミスはイタリア人テノールとはまた違った魅力をこれらの作品に与え、
Rシュトラウスの演奏では、ドイツ物が歌えるイタリア人歌手だったらこういう演奏になるのではないか?と思わせる開放的な歌唱を聴かせてくれています。

まずイタリア語の作品で開放感のあるアクートを気持ちよく聴かせてくれる演奏が「Rondine al nido」日本語だと、”つばめは古巣へ”とか、”巣の中のつばめ”などと訳されるクレシェンツォという作曲家の歌曲(1:00:00~1:02:50)です。

 

ディーン=スミスの歌唱で特筆すべきは、まず何と言っても繊細で開放的なアクートでしょう。
例えば1番のサビにあたる歌詞は「Solo Amore Quando fugge e va lontano(1:01:47~)」となっているのですが、カウフマンと比較すると違いが良くわかります。

 

 

 

Jonas Kaufmann(1:09~)

開放的なアクートという意味ではカウフマンも最高音は良いのですが、実は難しいのが下りた時の中音域

「Solo Amore」の”Amore”や

「Quando fugge e va lontano」の「lontano」が、高音でしっかりしたアクートがでても、こういう高音以外で響きが落ちると音楽が停滞するように聴こえたり、言葉が籠って聴こえたりしてしまいます。

カウフマンはその典型みたいな歌手で、高音だけは抜ける一方それ以外が詰まる。
ここまで顕著に癖が出るのもあまり例を見ない、実に不思議なテノールです。

 

 

開放的な高音と言えば、パヴァロッティはその代名詞的なテノールです。

 

LUCIANO PAVAROTTI

しかし、高音が解放されているのではなく、全てが解放されていることが素晴らしいのです。
コレが重要なんですが、彼の中音域について言及してる人はあまり見たことがない。
パヴァロッティ自身も言っていたことですが、高音がなくても素晴らしい歌は歌える。のですね。
歌が上手いことと、素晴らしい高音が出せることを同義にしてはいけない。
そういう意味でも、ディーン=スミスは音域によって響きのムラが全然ないので、音楽が全く停滞せずに気持ちよく耳に入ってきます。

 

 

一方Rシュトラウスの歌曲でテノールが比較的よく取り上げる曲と言えば、
献呈もそうですが、「Heimliche Aufforderung」日本語では”ひそやかな誘い”(39:30~)と訳される曲があります。
現在リートを得意としているテノールで、オペラでもリートで一流と見なされている歌手ですと、例えばダニエル・ベーレがいます。

 

 

 

Daniel Behle

ベーレのリート歌手は素晴らしいと思いますが、声に開放感がるかと言われればそれは別の話です。
Rシュトラウスの歌曲は、オリジナルの調性で歌うと全体的に豊な高音を求められる曲が多く、この曲もその一つです。

伴奏が華やかな物が多いだけに、その伴奏に負けない声がどうしても求められることがあって、
あまり繊細に歌い過ぎてもRシュトラウスの音楽の良さが出てこない気がします。

そういう面でも、Rシュトラウスの歌曲に限ってはイタリア物を得意とするような声のテノールが歌った方が、ドイツ物や本来リートを得意としているテノールの歌唱より栄える。というのが私の意見であり、ディーン=スミスはこれ以上ないほどに条件に当てはまっているのですね。

勿論、ヴンダーリヒ、ゲッダ、ヘップナー、ザイフェルトなど素晴らしい演奏をしているテノールは沢山いるのですが、ディーン=スミスほど軽く明るく開放的な声で歌っている歌手はRüdiger Wohlersくらいしかいないのではないかと思っております。

余談ですが、
ドイツ物を歌うテノールと言えば、ヴンダーリヒが一般的に神格化されてる面がありますが、
私はRüdiger Wohlersこそ理想だと思っておりまして、その理由はヴンダーリヒはイタリア物だと声が重くなってしまう傾向があって、モーツァルトオペラのタミーノは他者の追随を許さない演奏をしながらも、ドン・ジョヴァンニのオッターヴィオは超一流の演奏とは言えないのに対して、
Wohlersはドイツ物だろうが、他の言語の曲だろうが同じスタイルで歌うことができます。
ここがディーン=スミスと共通するところですね。

 

 

 

Rüdiger Wohlers

 

 

 

 

 

最後にもう少しディーン=スミスの歌唱の特徴について書いておきますと、
彼はドイツ物を得意としておきながらも、子音がとても柔らかく、とにかく母音を大事に歌います。
ココが良さでもあり、言葉に劇的な表情が出にくいために表現的に薄く聴こえてしまう要因でもあります。

 

 

 

 

ヴェルディ アイーダ Celeste Aida

 

二か月程前に新国であったフランチェスコ・メーリのトスカが、日本ではこれこそが本場のベルカント歌唱だと絶賛されていたのですが、
ディーン・スミスの方が私には理想的な発声に聴こえるんですけどね。

 

 

 

Francesco Meli

メーリは母音の密度が薄く、テノール歌手の高橋達也さん曰く
しっかり出す技術がないのでファルセットに逃げたピアニッシモを多用している。ので、
本来のレガートの質は音果を母音で満たすことと同義であることを考えれば、ディーン~スミスの歌唱とメーリの歌唱を比較して、メーリが小手先で上手く聴こえるような演奏をしている印象を受けるのは私だけではないと思いますし、
母音の質についても、発音によって随分とバラツキがあることがわかります。

このように聴いてみれば、ディーン=スミスはワーグナーより、寧ろイタリアオペラを歌ってこそ発声技術の高さが分かる歌手と言えるのではないでしょうか。

 

ここからは愚痴です・・・
日本でも彼のリサイタルが上野であったのですが、
芸大のお膝元であるにも関わらず学生らしい人は全くと言って良いほど見かけませんでした。
その一方でプロの歌手として活動してる方や、東京音大の教授が聴きにきていたりして、
この映像を見て、学生の感度がちょっと心配になった当時の記憶が蘇りました。

 

 

 

 

CD

 

 

 

 

 

 

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