第63回 NHKニューイヤーオペラコンサート  (評論)

2020年1月3日

第63回 NHKニューイヤーオペラコンサート (評論)

 

 

 

■出演(五十音順)

[ソプラノ]大村博美/砂川涼子/田崎尚美/中村恵理/森麻季/森谷真理
[メゾ・ソプラノ]中島郁子/林美智子
[テノール]笛田博昭/福井敬/宮里直樹/村上敏明
[バリトン]青山貴/大西宇宙/大沼徹/上江隼人
[バス]妻屋秀和

[合唱]新国立劇場合唱団/二期会合唱団/びわ湖ホール声楽アンサンブル/藤原歌劇団合唱部

[管弦楽]東京フィルハーモニー交響楽団

[指揮]アンドレア・バッティストーニ
[ハープ]グザヴィエ・ド・メストレ

 

■曲目

歌劇『ナブッコ』から「行け、わが思いよ、金色の翼に乗って」(ヴェルディ)
歌劇『セビリアの理髪師』から「私は町の何でも屋」(ロッシーニ)
歌劇『椿姫』から「ああ、そはかの人か~花から花へ」(ヴェルディ)
歌劇『蝶々夫人』から 花の二重唱「桜の枝をゆすぶって」(プッチーニ)
歌劇『ドン・カルロ』から 友情の二重唱「われらの胸に友情を」(ヴェルディ)
歌劇『ルサルカ』から「月に寄せる歌」(ドボルザーク)
歌劇『タンホイザー』から 夕星の歌「優しい夕べの星よ」(ワーグナー)
歌劇『カヴァレリア・ルスティカーナ』から 復活祭の合唱「主はよみがえられた」(マスカーニ)
歌劇『トゥーランドット』から「お聞きください」(プッチーニ)
歌劇『トゥーランドット』から「泣くなリュー」~ 第1幕フィナーレ(プッチーニ)
歌劇『リゴレット』から「悪魔め、鬼め」(ヴェルディ)
歌劇『シモン・ボッカネグラ』から「悲しい胸の思いは」(ヴェルディ)
歌劇『オテロ』から「アヴェ・マリア」(ヴェルディ)
歌劇『運命の力』から「神よ、平和を与えたまえ」(ヴェルディ)
歌劇『ウェルテル』から オシアンの歌「春風よ、なぜ私を目ざますのか」(マスネ)
歌劇『ファウスト』から「宝石の歌」(グノー)
歌劇『愛の妙薬』から「人知れぬ涙」(ドニゼッティ)
歌劇『ボエーム』から ムゼッタのワルツ「私が町を歩くと」(プッチーニ)
歌劇『アンドレア・シェニエ』から「ある日、青空をながめて」(ジョルダーノ)
歌劇『椿姫』から 乾杯の歌「友よ、さあ飲みあかそう」(ヴェルディ)

 

 

<評論>

 

◆歌劇『セビリアの理髪師』から「私は町の何でも屋」(ロッシーニ)

バリトン:大沼徹

大沼氏はベルリンへ留学しておりイタリア物よりドイツ物を得意としているにも関わらず、
そして、イタリアに留学した上江氏がいるにも関わらず、この曲を大沼氏に歌わせる意味がわからない。
というのが正直なところ。

確かにイタリアオペラも沢山歌っているのですが、響きの質は間違えなくドイツ物の方が合う。
肝心の高音にノビがなく、吠え散らかすことはせずに端正な母音の幅で歌えてはいるものの、この曲に重要な演劇性がない。
恐らく字幕を見ながら聴いていれば意味もわかるかもしれませんが、歌では言葉の色合いやニュアンスが伝わらない。
一生懸命歌っている以上の演奏にはなっていない気がしました。
今回の演目なら大沼氏にはヴォルフラムを歌って欲しかった。

 

 

◆歌劇『椿姫』から「ああ、そはかの人か~花から花へ」(ヴェルディ)

ソプラノ:森谷真理

まずカヴァティーナの中低音が全て舌根を固めたような奥まった響きで硬く不自然。
森谷氏も先日リサイタルを聴きに行ったのですが、テッシトゥーラの高い(平均的に音域の高い)曲で、更にもっと細い母音で歌えるドイツ物の方が、イタリア物より合っていました。

カバレッタでは流石の技巧と高音の美しさは健在なものの、全体的に力みが感じられ、無駄なヴィブラートがとても気になりました。

 

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◆歌劇『蝶々夫人』から 花の二重唱「桜の枝をゆすぶって」(プッチーニ)

ソプラノ:砂川涼子
メゾ・ソプラノ:中島郁子

砂川氏はとにかくレガートで歌えないことが気になりました。
声そのものは確かに美しいのかもしれませんが、蝶々さんは中音域を如何に無理なく自然に喋れるかが大事なのですが、全部声で歌っているのでアンサンブルを歌ってるように聴こえないんですよね。

中島氏は、低音域は奥まった響きでちょっと重く感じることがありましたが、高い音域は中々良かったのではないかと思います。
中々重唱で個々の良し悪しをはっきり判断するのは難しいですね。

 

 

 

◆歌劇『ドン・カルロ』から 友情の二重唱「われらの胸に友情を」(ヴェルディ)

テノール:宮里直樹
バリトン:大西宇宙

全体的にテンポ過ぎる気がしたのですが・・・
それはともかく、宮里が歌うにはカルロはちょっと重い役かと思うのですが、非常によく歌えていた印象です。
ただ、最後の2つの音でユニゾンになるところで音程が揃って聴こえなかった。
私には大西氏の方の響きが低いために音程が揃ってないように聴こえたのですが、こればっかりは正しいことを一度聴いて判断するのは難しいです。
ただ二人の響きがピッタリ合っていなかったことは間違えありません。
大西氏個人の歌唱についてはこの曲だけだと何とも言いにくい。

なぜこの二人はソロで歌う曲がないのか・・・?、
それなら重唱2曲削って二人にソロ歌わせれば良かったと思うのは私だけでしょうか?

あと、はっきり言って村上氏が愛の妙薬歌って、宮里氏がカルロって全然意味分からない。
どう考えても逆です。
こういう歌手の声質を無視した選曲を平気でやって全国にテレビ放送するNHKには声楽的な理解が全くないのではないか?と疑わざるを得ません。

 

 

 

◆歌劇『ルサルカ』から「月に寄せる歌」(ドボルザーク)

ソプラノ:田崎尚美

とても丁寧な歌唱で、音域によって響きや母音の質が変わることもなく、
常に安定した響きで歌えているように聴こえました。

響きの質も柔らかい。
低音では籠ったり押したりせずに無理に声を鳴らそうとせずにちゃんと喋れており、高音は透明感の響きで硬くならない。
サロメを聴いた時も思いましたが、本当に良いソプラノ歌手ですね。

 

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◆歌劇『タンホイザー』から 夕星の歌「優しい夕べの星よ」(ワーグナー)

バリトン:青山貴

なぜこのアリアを歌ったのか理解不能です。
レチタティーヴォを歌わずにアリアから歌う地点で拍子抜けなのですが、
とにかく声で押す歌唱をする青山氏に、リートの如く流麗に流れる旋律に言葉を乗せていかなかればならないヴォルフラムのアリアは無理がある。
出だしの半音階的な進行がカクカクした音楽になっては絶対ダメです。

 

 

 

◆歌劇『カヴァレリア・ルスティカーナ』から 復活祭の合唱「主はよみがえられた」(マスカーニ)

メゾ・ソプラノ:中島郁子

蝶々さんの歌唱でも気になりましたが、伸ばしている音での無駄なヴィブラートはなんとかならないだろうか?
特にこういう曲だと合唱を台無しにしてしまう。
ただ、メゾ・ソプラノとしては高音が安定しており、サントゥッツァという役はソプラノ歌手も歌うような音域の役なんですが、その高音域を叫ばずに出せていることは素晴らしいと思います。

 

 

 

◆歌劇『トゥーランドット』から「お聞きください」(プッチーニ)
歌劇『トゥーランドット』から「泣くなリュー」~ 第1幕フィナーレ(プッチーニ)

ソプラノ:大村博美

あまりリューを歌っているイメージはないのですが、
個人的には蝶々さんよりこっちの方が声としては良かったように感じました。
透明感がありながらもしっかりと芯の通った高音のピアニッシモは流石で、
フォルテにしてもそのフォームが崩れることなくコントロールされている。
現在世界的に蝶々さんを最も歌っている日本人ソプラノではないかと思いますが、その実力を見せつける演奏だったのではないかと思います。

 

 

テノール:笛田博昭

以前より高音に輝きが無くなったような印象は受けたのですが、
全体の歌い回しとしては数段よくなっているように感じました。
以前はただ高音をイイ声で出している以上の演奏ではなかったように感じていましたが、
ここではドラマ全体を通して音楽作りが出来ており、音域によって声質がバラけないところは他のテノールとは明らかに違います。
ただ、響きが抜けきっていない印象も同時に受けてしまい、恐らくもっと薄い響きで響きが前に出てくると良いのになぁ。とは思いました。

 

 

 

◆歌劇『リゴレット』から「悪魔め、鬼め」(ヴェルディ)

バリトン:上江隼人

テレビで見ているとわからないのですが、この声はNHKホールの後ろまで飛ぶのでしょうか?
数年前に聴いた時の方がもっと高い響きで歌えていたと思ったのですが、
このアリアの最高音Gも少し割れかけましたし、なんか無駄な力みを感じました。
近い内に上江氏の生演奏は聴く予定があるので、その時に改めて声については書かせて頂きたいと思います。

 

 

 

 

◆歌劇『シモン・ボッカネグラ』から「悲しい胸の思いは」(ヴェルディ)

バス:妻屋秀和

上江氏を聴いてから妻屋氏の演奏を聴くと、やっぱり開けた声に感じてしまう。
本当に声は素晴らしくて、こんなバスは日本人ではそうそう出てこない。
それはもうわかっていることなので、堂々たる立派な声で歌う以上のプラスαを求めたくなってくる訳です。
タンホイザー歌っても、シモン・ボッカネグラ歌っても、セビリャの理髪師歌っても、今一つ音色や表現に違いが見えない気がするので、後宮からの誘拐のオスミンのアリアみたいなのを歌ったらどうなるのか聴いてみたい。

 

 

 

 

 

 

◆歌劇『オテロ』から「アヴェ・マリア」(ヴェルディ)

ソプラノ:大村博美

リューではあまり気にならなかったのですが、
デズデーモナは低い音域で語るように、同じ音で喋らないといけないので、中低音を如何に自然に、そして響きを落とさずに歌えるかが重要になってきます。
ですが大村氏は声が太くなってしまって、どうしても高音のような美しさや透明感がなくなって重くなる。
2017年の蝶々さんのアリアの音源がYOUTUBEにありましたので、音域によって響きの質が変わるということが確認できます。

 

プッチーニ 蝶々夫人 『ある晴れた日に』

この演奏よりは今日の方が良かったとは思います。
とは言え、録音状況などもありますし、一概には言えない部分もありますけど・・・。

 

 

 

 

 

 

◆歌劇『運命の力』から「神よ、平和を与えたまえ」(ヴェルディ)

ソプラノ:中村恵理

大村氏の後に歌うとどうしても力んだ声に聴こえてしまう。
高音は大村氏にはない深さがあって、日本人離れした声を持っていることはわかるんですが、
口を開け過ぎて発音や響きが低音域では兎に角落ちてるんですよね。
先日リサイタルにいった時も書いたのですが、この曲は中村氏の声に合っていません。
”o”や”u”といった深い母音は良いのですが、”a”とか”e”は響きが散り勝ちになるし、もっと軽い響きで歌える曲をやるべきでした。

 

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◆歌劇『ウェルテル』から オシアンの歌「春風よ、なぜ私を目ざますのか」(マスネ)

テノール:笛田博昭

声に関しては前述のカラフと変わらない印象なのですが、
フランス語の発音に関しては、せめて「é」と「è」、つまり狭い”e”と、広い”e”は歌い分けて欲しいところでした。

 

 

 

◆歌劇『ファウスト』から「宝石の歌」(グノー)

ソプラノ:砂川涼子

この方は一聴すると上手いように聴こえるかもしれませんが、
音域や母音いよって響きの質が変わってしまっているんでレガートで歌えない。
結果として言葉がつながらなずに声でしか表現できない。
という状況になっています。
と書いても中々どういうことかはわからないと思いますので、
YOUTUBEにある昨年の映像を使って少し解説してみます。

 

 

プッチーニ:歌劇『トスカ』から「歌に生き、愛に生き」(冒頭だけ)

まず、砂川氏の決定的な問題として”a”母音が特に鼻に入ることが挙げられます。
実際は全体的に鼻気味なんですが、”a”母音は特にその傾向が如実に現れるので、誰でも音質の違いを聴き分けられると思います。
出だしの「vissi d’arte」という歌詞の”da”は完全に鼻に入っていて、”do”のようになってしまってますね。
続く歌詞の
「non feci mai male ad anima viva!…」

「non」と 「feci」以降で響きの質が全く変わってしまい、「viva」でまた戻ります。
こんな感じで、母音や音域によって声の質がコロコロ変わってしまっている訳です。

では今世界でトップクラスの同じような声質、つまりリリックソプラノ歌手が歌うとどうなるかも併せて紹介しておきます。

 

 

Sonya Yoncheva

問題は声そのものではなく、響いているポジションや発音の明瞭さといった部分です。
声が良いから歌が上手い訳ではない。ということはこの場で改めて書かせて頂きたいと思います。

 

 

 

 

 

 

◆歌劇『愛の妙薬』から「人知れぬ涙」(ドニゼッティ)

テノール:村上敏明

今回最も歌った曲のミスマッチがあったのがここ。
この曲をほぼ全てフォルテで歌う歌手なんてそういません。
確かに高音は立派です。ですが、立派な声だから良い訳ではありません。

こう演奏しなければならない。という決まりはないかもしれませんが、
繊細なハープの伴奏と鋼のような高音の相性が良い訳がありません。
村上氏の歌唱には柔軟性が全くないので、何を歌ってもこういう歌い方しかできない。
そのことが今回の演奏ではっきりしました。
トゥーランドットのカラフを歌っても、ネモリーノを歌ても、マントヴァ公爵を歌っても同じ歌い方をするので、どの役を歌っても村上敏明という役に聴こえてしまう。

 

 

 

 

◆歌劇『ボエーム』から ムゼッタのワルツ「私が町を歩くと」(プッチーニ)

ソプラノ:森麻季

あまりちゃんと聴けなかったので詳しくは書けないのですが、
超絶技巧を聴かせる曲でないと声の揺れがとにかく目立つ印象を受けました。
でも、今までより中低音の鳴りはしっかりしていたような気もします。
あまりどんな演奏だったか印象に残ってなくてすいません。

 

 

 

 

◆歌劇『アンドレア・シェニエ』から「ある日、青空をながめて」(ジョルダーノ)

テノール:福井敬

必死でステロイド使って声を持たせているようですが、
もう自然な人間の声ではなくなっている上に、パッサージョ(五線の上のE~G辺り)が喉声になっていて、んぜそれで最高音のBまで届くのか不思議なほどです。
こんな状態で今年もカラフやサムソンを歌うと言うのですから、もう後進に譲ってはいかがでしょうか。
日本の声楽界にとって、福井氏が舞台に立ち続けることはマイナスでしかない気がするのですが、それは言い過ぎでしょうか?

 

 

 

 

 

<全体を通>

本日はあまりちゃんと演奏を聴くことができなかったので、評論として書いている内容にもかなりバラツキがでてしまっておりますことをご了承ください。

ここで紹介してない歌手(林美智子氏)については、他の歌手と比べて明らかに下手だったのでちゃんと聞く気もなくなりました。
ホフマンの舟歌なんて、二人とも声が揺れていて全然美しいハーモニーのはずがそうならないし、ソロに至っては・・・すいません何歌ってたかすら忘れました。

それは置いといて、繰り返しになりますが今回の公演で田崎尚美氏は特に素晴らしかったです。
女声陣はほぼ全員高音と低音で響きが分離してしまっていて、低音をちゃんと響かせられる歌手がいない中、田崎氏だけが安定した響きで歌えていました。

昨年一人勝ちだった藤村美穂子氏が抜けて、今年のニューイヤーは若手有望株の宮里氏くらいしか楽しみないかな?と思っていたのですが、見事に田崎氏が良い仕事をしてくれました。

もっとも、その楽しみにしていた宮里氏の歌唱は重唱だけと、相変わらずNHKは若手にちゃんとアピールの機会を与えない年功序列体質丸出しの曲目配分をしてくれたのですが、
カルロを聴いた限りかなり良さそうだったので、機会があればちゃんと生で聴いてみたいですね。
そんな訳で、今年も演奏会の評論は引き続き書いていきますので、改めてよろしくお願いいたします。

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