Luciano Pavarottiの発声と全盛期を解析してみる

luciano pavarotti(ルチアーノ パヴァロッティ)は1935~2007イタリア生まれのテノール歌手
”キング オブ ハイC”、”3大テノールの1人”として世界的に最も有名なテノール歌手。

今回は、パヴァロッティの全盛期と声の変化を解析していこうと思います。

 

始めに断っておきたいのは、パヴァロッティ自身が
「高音は出なくても良い歌は歌える」
と言っていた事実から、”キング オブ ハイC”という通り名?はあまり本来相応しくないと考えており、
この言葉がハイCという音を特別なものにしてしまった感は否めない。

ある意味、良いテノールを判断する基準として
「ハイCが美しく出せるかどうか」
はかなり重要なポイントになっていることが、
本来、歌や声の良し悪しを判断する観点から大きく耳を反らす結果となってしまっていることは間違えない。

 

前置きが長くなってしまったが、さっそくパヴァロッティのデビューから声を検証していこう

1961年(26歳)
プッチーニ ラ ボエーム Che gelida manina(冷たき手を)

 

これが衝撃のデビュー演奏
ハイCで会場がどよめくのがわかるだろうか?
ここから、キング オブ ハイCの伝説が始まったと同時に、
ある意味、この音に対して聴衆が期待するようになってしまった。
それにしても、この人は完成された声を持っていたんだな。と改めて感じる一方、
中音域でのヴィブラートがやや気にならないこともない。

 

 

 

1964年(29歳)
ヴェルディ La Donna e Mobile(女心の歌)

 

ある程度年齢を重ねた容姿に馴染んでいるため、髭のない顔は一瞬誰?
と思うところではあるが、髭だけでなく、この時代は口の開け方も違う。
というか、どうやって発音してるんだ?と思う位、口の閉じている時間がない。
無理やり指摘すべき部分を見つけるとすれば、ピアニッシモでFisの音で伸ばしている時にやや鼻に入っていること位か?

 

 

 

1968年(33歳)
ドニゼッティ 愛の妙薬 Una furtiva lagrima(人知れぬ涙)

 

声が急に現代に近づいた印象
少し声が太くなり、音の入りに余計な音が入り出した、
一番マズイのは、最後の「damor」の”d”の”n”の子音が聞こえてしまうこと。
FやFis辺りの音が鼻に入ることがあり、実はパッサッジョに苦労していたのではないかという話も聞くが、
こういう癖が若い頃からついていたのを聴くと、あながちデマでもなさそうだ。

 

 

 

1971年(36歳)
リゴレット Parmi Veder

 

この人は、響いてる位置が口内で、この辺りから随分良くも悪くも開いた声になっている。
最初の演奏に比べて、声量や明るさは増したが、その分、時々”i”母音をが飲み込んだような発音
”i”と”e”の中間みたいな感じで、ピアニッシモも前ではなくなんとなく奥気味である。

 

 

 

1975年(40歳)

 

1964年と比べて、明らかに声そのものは良くなっているのだが、
ピアニッシモの表現をしなくなった。
良く言えば、響きが全ての音や発音でブレがなく、最後のアジリタも完璧だが、
美声の垂れ流し状態。1番と2番で表現に違いがなく、表現という面では1964年の方が面白かった。

 

 

写真(上)1964年、写真(下)1975年 それぞれ同じ部分Fisの音で”e”母音を伸ばしているところ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この地点ではフォームに大きな違いは見当たらない。

 

 

1978年(43歳)
リサイタル

 

響きが一段高くなり、中間のA~五線の上のAまでの響きは完璧といって良い。
ただし、Bより上になると横に開いて声が制御できず割れかけることがある。
純粋に声の全盛期という意味では、1978年前後と言えるかもしれないが、
高音はこの地点で既にフォームが崩れ始めている。

 

 

 

1980年(45歳)
レオンカヴァッロ 道化師 Vesti la giubba(衣装を着けろ)

 

やってしまった。
この年から、レパートリーが急にマントヴァ公爵やロドルフォから
カヴァラドッシになり、遂にトゥーランドットも歌い始めた。
極め付けは道化師
このアリアはオテッロと並んでドラマティコの代表作。
パヴァロッティのような軽い声のテノールが歌うべき曲ではないが、
この時から急に合わない曲ばかり歌いだしている。
このアリアを聴いて分かるように、高音を叫んで中低音はスカスカ状態
レパートリーの転換期は1980年と言って良さそうだ。

 

 

本来はこういう声で歌われるべき曲

 

 

 

 

1983年(48歳)
スカラ座でのリサイタル

 

内容は、最後のNessun dormaを覗いてそこまでレパートリーは比較的軽めに調整され、
ヴェルディのIngemiscoも、無駄に一部でテンポを落としたり、本来1拍で切る音を延々と伸ばす以外、
センス良く歌っている。
特質すべきは、1978年の時に崩れ始めた高音が、見事に修正されていること。
これもARRIGO POLA (パヴァロッティのヴォイストレーナー)の辣腕による功績かもしれない。

 

 

 

写真(上)1978年、写真(下)1983年。それぞれHの音を歌っているところ

 

 

 

 

 

 

左が大きく横に開いてしまっているのが、右は随分と口の開け方が小さくなった。
これは予測でしかないが、この時の彼の場合、口を開けることで響きがブレることを避けるため、
あえて、あまり開けないように調整したのだと思われる。

 

 

下記 一年前の1982年の演奏と1983年のNessun dormaを見比べて頂ければ、
フォームと声の違いはわかるはずである。

 

口を開き過ぎることによって、
響きが崩れかけた1982年と完全に制御できている1983年の違いがお分かり頂けるだろうか?

注)口を開けることがいけないのではなく、この時のパヴァロッティにとっての調整結果であるため、
口をあまり開けないほうが良い。というのは必ずしも万人に当てはまらないので勘違いしてはいけません。

 

 

 

1986年(51歳)
ガラコンサート

 

 

この辺りから声の衰えが見えはじめます。
ピアニッシモに全く芯がなく、高音もピンとが外れはじめた。
元々彼は口を開け過ぎると、響きが正しいポイントに集まらないのでしょう。
こういう歌い方をしだすと、Bより上の音がどうしても危うい。

 

 

 

1988年(53歳)
プッチーニ E lucevan le stelle(星は光りぬ)

 

最高音がAまでしか出ないこともあるのかもしれませんが、また声が復活しました。
私生活やレパートリーには乱れがあったとしても、
専属のヴォイストレーナーには常にケアして貰っていたのでしょう。
こういう部分から、自分の声に対する管理が徹底していたことが伺えます。
少なくとも、フォームを崩したら、そのままステロイドに頼って堕ちていく歌手とは違ったということでしょう。

 

 

 

1991年(56歳)
ネーデルラントにおけるリサイタル

 

声というより、もう自分勝手なリズムで歌い始めて、よくオケが合わせられるなと驚く
Una furtiva lagrima なんて酷いことこの上ない。
もとから最小限の発音しかせず、声を維持してきたが、
いよいよ言葉の扱いの雑さがくるところまできてしまったなという印象。

 

 

 

1995年(60歳)
ララ グラナダ

 

凄い!
ここでまた復活した(笑)
発音も明確だし、リズム感もいい加減じゃない。
まぁ。ピアノやピアニッシモの表現がなく、弱音では抜いているのが気になるが、
声や技術の衰えが感じられない
60歳でここまで持ち直すとは驚きである。

 

 

 

1998年(63歳)
エッフェル塔でのライヴ カルーソー

 

80年代後半からマイクを使っての演奏ばかりになったため、
声が復活したように聴こえたりしているのかもしれないが、
高音の響いてるポジションは、むしろ80年代半ばより良い。
確かに声そのものの輝きは若い頃には叶いませんが、発声技術に関しては常に修練していたのだと感じる。

 

 

 

2000年(65歳)
テノール3人で歌ってる

 

3人揃うと、パヴァロッティが圧倒的に上手いことがわかってしまいますね。
一人だけ響きが違います。
ラミンゴ(失礼ドミンゴ)氏は響きが落ちてるし、
ホセカレーは抜いたり叫んだり、もはやちゃんと歌ってんのかすら怪しい。
2:50辺りは3人が同じ音を出してるはずなのに不協和音になってますから、
それだけでも響きの低いヤツがおるのがよーくわかるでしょう。

 

 

 

2004年(69歳)
東京での演奏

 

流石にこれ以降の演奏を取り上げる気にはならなくなったが、
音と口がズレてる気がする。
これでも口パクなんではないかと思ってしまうのだが、これは単純に映像と音声がズレてるだけなのか?
彼の声に関して言うことは何もない。
パヴァロッティよ安かに。

 

 

総 括

彼の全盛期に関しては、
デビュー当時が一番良かった。という声もあれば、
70~80年代だという人もいるが、
全体的に最も充実していたのは83年
声が最も素晴らしかったのは75年
ハイCが一番輝かしかったのは61年

という今回の調査結果になる。
勿論、取り上げたのは、膨大な録音の一部なので、
もっと良い演奏映像があるかもしれない。

1961~2007年まで全ての年を網羅した訳ではないので、この調査は目安にしかならないが、
周期的に発声が崩れても、またしっかり修正できる能力は見事という他ないし、
何より、どんな一流歌手になっても、
自分の声を理解して調整してくれるヴォイストレーナーがいかに重要な役割であるかを、
今回の調査で明らかにすることが出来たのではないだろうか。

しかしながら、彼はやはり高音あってこそのパヴァロッティであることは間違えない。
例えばイタリア古典歌曲を歌って聴衆を感動させられるかと聞かれれば、
いくら彼の声が好きでも、歌い回しや表現に感動や感銘を受ける人は少ないだろう。
そう考えると、テノールをテノールたらしめるのは結局高音という結論になってしまう。

この機に、テノールがテノールたりうる必要条件について、じっくり考えてみるのはいかがだろうか?

 

お勧めCD

60年代の録音を収めたCDとして希少である。

若い時のフレーニとパヴァロッティが共演しているという意味でも価値がある。

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