先日引退したアフリカ系米国人歌手のパイオニア サイモン・エステス

サイモン・エステス(Simon Estes 1938~)は、アフリカ系米国人のバス・バリトン歌手。

先週は一週間ほぼ家におらず記事や動画を更新できませんでしたので、
少し前の話題になってしまいますが、6月17日にオペラからの引退を発表したエステスは、声楽史的に重要な歌手なので、この機会に彼の歌唱を振り返ってみようかと思います。

 

父親が奴隷だったというエステスは、米国でも差別に遭っていて、オペラデビューはドイツだったとのこと。

 

 

1967年

ヨーロッパのオペラデビューが1965年だったようで、その頃からヴェルディやワーグナー作品を得意としていただけのことはあって、30歳前でこの声は流石ですね!

 

そして彼のキャリアに於いて特に重要とされたのが、
黒人歌手として初めてバイロイト音楽祭でオランダ人という主役を歌ったことでしょう。
これは1978年が最初ということですが、残っている映像や音源は1980年代のものしかなさそうです。

 

バイロイトでのオランダ人

バイロイト音楽祭と言うと、どこか保守的な印象を持っている方もいらっしゃるかもしれませんが、実際はその逆だと思います。
勿論聴衆の中には、ドイツの芸術ということに異常なまでに誇りを持っていらっしゃる方もいるのは事実でしょうし、フランスの現代音楽作曲家としても有名なピエール・ブーレーズが指揮をして、同じくフランス人のパトリス・シェローや、英国人のピーター・ホール演出を務めた時は、バイロイトの黄昏。などと形容する人もいたと言います。

そういう時代にエステスはバイロイトでオランダ人を歌っていたのだと考えると、どれほどオペラの演奏史的な観点で重大な事件だったかが想像できるのではないかと思います。

 

 

 

 

 

その一方で米国で活躍できるようになったのは80年代になってからで、
彼が最後に歌った作品でもある、ガーシュウィンのポギーとベスのポギー役は特に歌う機会が多く、ワーグナー作品と並んで彼の十八番となっていました。

 

 

Music – 1986 – Simon Estes + Clamma Dale – Bess You Is My Woman Now – Song From Porgy + Bess Musical

 

 

エステスは人道的活動にも積極的に取り組んでいたことでも知られており、
アフリカからのHIVやマラリアを撲滅するキャンペーンに力を入れていたそうです。
因みに、マラリア ゼロキャンペーンは世界的に組織だって行われているようで、日本でもMalaria No More Japanというのがあって、2分間に一人の人命が奪われるマラリアは現在世界的に最も人類の脅威となっている。という主張で、日本の団体の活動目標は、2030年までにアジアでのマラリア死者数をゼロにすることなのだそうです。

プロスポーツ選手にはこうした慈善活動に取り組む方が沢山いますが、オペラ歌手でこのような活動をしている方はあまり耳にしたことがありません。
やはり特別な家庭環境や教育環境が整っていないと、そもそもクラシック音楽に触れる機会もスポーツに比べたら格段に低いことを考えると、スラム街からスターへ上り詰めるなんてサクセスストーリーがそもそも生まれないというのもあるのかもしれません。

 

 

さて、エステスの演奏で個人的にお気に入りはヘンデルのメサイアのバスソロの曲

 

Maurice André & Simon Estes – The Trumpet Shall Sound

巨匠とも言うべきトランぺッターのアンドレと演奏したThe Trumpet Shall Soundは恰好良過ぎです。

二人とも無駄な動きが全然ない。
傍から見ると止まっているように見えて、必要な筋肉で無駄なくブレスコントロールが出来ていればこその演奏、

 

 

 

“Il lacerato spirto” (“Simon Boccanera”, Verdi)

エステスは声の良さは勿論なんですが、
米国的なデカい声で押す歌唱ではなく、こういった曲も、強さの中に柔らかさのあるフレージングで歌えて低音でも芯がある。
これだけ発声技術がしっかりしているからこそ、80歳を過ぎても歌い続けることができるのでしょうね。

 

最終的には米国でも評価されて、アイオワ州の大学などでも指導を続けているということで、エステスは差別に打ち勝った歌手と言えるかもしれませんが、現在でもこういった問題は解決されることなく、才能のある黒人歌手が正当な評価を受けていなかったり、十分な教育を受けられなかったりということは起こっているでしょう・・・。

 

 

2019年の演奏

これが81歳の声
掠れることもありますが、そこらの若手歌手では到底太刀打ちできない深みがあって豊な声で、高音もまだ出てる。
何歳になっても歌えるし、40歳・50歳になってから歌を始めたって十分上手くなれる可能性があるんじゃないかと、彼の演奏を聴いていると背中を押される気持ちになりました。

 

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