Eva Mei(エヴァ メイ)は1967年、イタリア生まれのソプラノ歌手。
度々来日しており、最近は教育者としても精力的に活動しており、芸大でもマスタークラスを行っていました。
さて、今回メイを取り上げるのは、彼女は年齢を重ねることによって役柄や表現の分岐点にいるためで、インタビューの中でも
「私にとって楽器は私そのもの。声はほかの楽器と違って、私の体から切り離すことができません。そして成長し、成熟し、老いていくにつれ、体のなかにあるものは当然、変化していきます。ですから、年齢を重ねたことで楽器の動きがどう変わるのか、知ることが大切ですが、私にとっては、繰り返しになりますが、この変化こそが興味深いのです。おそらく私の声は以前より重みを増して「リリコ」に近づいています。歌ううえでの基準のようなものが変化を遂げて、それを意識した歌唱を心がける必要があります。」
と語っています。
インタビューの原文はコチラを参照。
とは言っても、レッジェーロ~リリコレッジェーロだった声がどこまで重くなるかは難しいところで、今年のパレルモ・マッシモ劇場来日公演で、ベッリーニのノルマのアダルジーザ役を歌うというのは流石に無理があるのではないか?
と思ったので、どの程度加齢と共に声が変化しているのかも含めて、メイの歌唱を振り返ってみることにしました。
1992年(25歳)
ヴェルディ 椿姫 E strano! A me, fanciulle
声は本当に軽く、ヴィオレッタを歌う声ではありませんが、
若い頃から響きのポジションは安定しており、低音~高音まで、ピアノ~フォルテまで前で明るく響いていて流石です。
あまり口を開けないために開放された声にはならず、どうしても顔の前面だけの響きで奥行がなく、やや喉声っぽさがありますが、必要以上に劇的な表現をせず、勢いに任せて歌う訳でもなく、若い時から理性的で端正な歌唱をしているのが印象的です。
口を開けるというのは悩ましい問題で、
口が閉じていた方が響きは整えやすい、なので発声の前にハミングをやらせる声楽指導者が大勢いる訳ですが、口を開けても子音や母音の種類、音程に影響されずに同じように響きのポジションを維持できるかということと、
そもそも口を開けることに余計な力を使ってしまって、筋肉が硬直する=響きが貧しくなる。という逆効果になること多々ある。
ということを考えると、歌う時にどの程度口を開けるのが良いかは、実はとても繊細な問題ではないかと思います。
1996年(29歳)
モーツァルト フィガロの結婚 Dove sono i bei momenti
このアリアは超難曲です。
響きのポジションがブレると直ぐにバレるので、本当に洗練された発声技術がないと上手く歌えません。
まず、この演奏を聴く限りでは、メイのレガートの技術は不十分です。
レチタティーヴォの低音は特に無理に前で響かせようとしているのか、言葉が細切れになっている感じがあります。
1:49~アリアに入りますが、
歌い出してすぐの「i bei momenti」の「bei」なんかは完全に喉を押してしまって段差が出来てしまっています。
その後も強い声で歌うと喉声になってしまったり、特に”e”母音は奥に響きが落ちてしまって不必要に重くなっています。
再現部のピアノで歌うところ(3:42~)も、声は綺麗なのですが、ほぼハミングと同じような場所に響きを集めている歌い方なので、音楽的には停滞感があります。
これらを総合的に考えると、30歳手前のメイの声に伯爵夫人は重過ぎるということが言えると思います。
2000年(33歳)
マイアベーア ディノーラ Ombra leggera
やっぱり声に合った曲を歌うと輝きが全然違いますね。
伯爵夫人とは別人のような完成度です。
メイは軽い役でしかも喜劇が良いです。個人的な好みもあるとおもいますが・・・。
2002年(35歳)
モーツァルト 後宮からの誘拐 Martern aller Arten
メイはモーツァルト作品をライフワークとしているようで、ドイツ語の作品にも手を出しています。
モーツァルト作品に関して言えば、メイはイタリア語よりドイツ語のものの方が響きが合っているのではないかとさへ思えてしまうのですが、
具体的にドイツ語をちゃんと発音しようとすることでメイの弱点が上手い具合に修正されているように見えます。
【歌詞】
Martern aller Arten
Mögen meiner warten,
Ich verlache Qual und Pein.
Nichts soll mich erschüttern,
Nur dann würd’ ich zittern,
Wenn ich untreu könnte sein.
Lass dich bewegen,
Verschone mich!
Des Himmels Segen
Belohne dich!
Doch du bist entschlossen.
Willig, unverdrossen
Wähl’ ich jede Pein und Noth.
Ordne nur, gebiethe,
Lärme, tobe, wüthe,
Zuletzt befreut mich doch der Tod.
【日本語訳】
あらゆる種類の拷問が
私を待っているというのですね
私は笑ってやりましょう 痛みも苦しみも
何も私を恐れさせはしません
ただひとつ 私が恐ろしいのは
貞節を失うことだけです
あなた様の恩寵をもって
私をお許しください!
天の祝福がきっと
あなた様にありましょう!
けれど あなた様は心を決めておられる
ならば喜んで ひるまずに
私はお受けします どんな痛みや苦しみも
命令し 言いつけてください
ののしり どなり 怒ってください
最後に私を救い出してくれるでしょう きっと死が
例えばグルベローヴァのようなドイツ物も得意としている歌手と比べても、
発音的にメイはしっかり歌えています。
Edita Gruberova
比較として良いのはテンポが変わってからの後半部分
メイ 5:00~
グルベローヴァ 5:39~
メイの方が早いテンポで歌っているにも関わらず子音がしっかり飛んでいます。
全体的に音域が高く、超絶技巧を繰り広げるので、あまり言葉が聴こえる部分ではありませんが、
きっちり歌うことで、イタリア物を歌うよりも唇や舌をしっかり使っているので、しっかり口が開いて声にも深さがあり、それでありながら語尾の”n”なんかも神経が行き届いていていい加減に歌っていないところを見ると、相当発音は研究して歌っているんだと思います。
あとは語頭の”m”や”n”がもう少し前で鳴って、”nur”とか”mich”とかが出てくれば言うことない!
これだけ歌えるならもっとドイツ物を歌って欲しいと思うのは私だけでしょうか?
一方、グルベローヴァは、80年の演奏なので若い時ということもあると思いますが、声を出すことに集中している感じで、歌詞を見ていても何を言っているか分からないレベルです。
2006年(39歳)
モーツァルト 偽の女庭師
全体的には綺麗に歌っていて良いんですけど、メイは伸ばしている音に動きがない印象を受けます。
技巧的な曲とか、テンポが速い曲は良いのですが、こういう曲になるとどうも面白みがない。
それは結局声そのものに奥行が貧しく、言葉やフレージングで曲に表情を付けることが得意ではないということを意味しているのではないかと思えてしまいます。
こうして見ると、絶対上のコンスタンツェを歌ってる時の方が単純に声が良いですし、口がしっかり開いていました。
メイを皆ベルカントだと言いますが、こうやってイタリア物とドイツ物を歌った映像を聴き比べる限りにおいて私はその考えに疑問を持ってしまう。
母音を繋げるというより、メイの歌唱は母音と子音を均等に扱っているように感じる。
例えばイタリア物しか勉強してない人がドイツ物を歌うと違和感を覚えるし、逆にドイツ物ばっかりやってた人がイタリア物を歌うと物足りなく聴こえるのは、声そのものと言うより母音と子音の扱い方の違いの方が大きいと思います。
2012年(45歳)
ヴェルディ 椿姫 E strano! A me, fanciulle
20年前の演奏と比較して声がそこまで重くなったでしょうか?
私の耳にはそこまで声が変わったようには聴こえません。
勿論全然25歳の演奏より上手くなっていますが、
声が重くなったり声量が格段に変わったというのではなく、
声の出し方が変わったために響きに深みが出て、
ピアニッシモの表現もただ弱いだけでなく、フォルテと同じ緊張感で歌えるようになったことで、より引き締まってドラマ性のある表現ができるようになったように聴こえます。
最近の演奏音源が全然なく、これがやっとという感じでした。
確かにリリックになってきてはいますが、普段メゾが歌うアダルジーザを歌う声にまでこれから3年でなるのか?と言えば、それは幾らなんでも飛躍し過ぎである感は否めません。
ノルマ、アダルジーザ、ポッリオーネの三重唱
これをランカトーレとメイとベルティでやると言うのですからちょっと待ってくれ・・・となります。
どう考えてもメイのテッシトゥーラと役が合っていないのは明らかです。
まぁ、それ以上にランカトーレがもはやボロボロで、この映像が2年前ですが、それでも吠えまくってるだけで歌になっていませんし、そもそもノルマを歌える声でもないことを考えると、このキャスティングは無理があるとしか言いようがありません。
ランカトーレの歌唱については以前解説しましたので、興味のある方はそちらもご覧ください。
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メイの声をざっと見てきましたが、
私の感想としては、20代の頃から声があまり変わらずによく維持できているなと思います。
何と言っても余計なヴィブラートが掛からず真っすぐな声質が若い頃から変わっておらず、
響きのピントもずっとクリアで、歳を重ねて声が重くなったという印象は受けません。
今まで歌う役の選び方も賢明で、声に合わない役には殆ど手を出していないようなメイが、なぜ今回アダルジーザに手を出すのか、こうして見ても一層謎が深まるばかりなのですが、
逆に考えると、50歳を過ぎて急激な声の変化をメイ自身が感じているとも考えられます。
彼女は声を維持するために、スポーツをすることを推奨しているようで、
日常的に筋肉を鍛えることは歌手にとって必要なことだと考えていることは間違えありません。
水泳なんかは声楽家でやったるという人が私の周りにもいますので、心肺機能と直結しているし実際利に叶っているのでしょう。
何にしても、今は演奏より指導者としての活動の方が主流になっているように思っていましたが、
演奏活動の方でもまだまだ衰えている訳ではなく、寧ろ変化を楽しんで歌っていらっしゃるようなので、今までとは違った歌唱を期待したいところです。
その変化が良いものであることを願うばかりですが・・・まずはアダルジーザ役をどう歌うのか注目です!
余談ですが、調べてみるとアダルジーザはなんと1994年に歌っていました。
とは言え25年以上前の話なので、殆ど歌ってない役であることは確かだと思います。
これはお勧めです。
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