Pietro Di Biancoの声に足りないもの

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Pietro Di Bianco(ピエトロ ディ ビアンコ)は1983年、イタリア生まれのバスバリトン歌手。

最初はピアノを専攻しており、伴奏ピアニストとしても活動していたようですが、
改めて声楽を学び直しており、その時に習った歌手には、
Renata Scotto 、Renato Bruson、Raina Kabaiwanskaといった錚々たる歌手の名が連なっており、それだけでも優れた声を持っていることが想像できますね。

レパートリーの中心はモーツァルトやロッシーニのブッファ作品のバス役のようで、パリを中心に歌っているようです。

 

 

 

 

ロッシーニ ランスへの旅 medaglie incomparabili

こちらは恐らく2015年の演奏で、録音状況も微妙なので、歌とオケのバランスが良くないですが、ディ ビアンコの声の魅力は伝わるのではないかと思います。

暖かく明るい声で、響きの高さも十分ある。

 

 

 

 

ロッシーニ アルジェのイタリア女 Già d’insolito ardore

この曲ではアジリタもしっかりこなせることがわかります。
響きも全て前に集まっていてピントが合っていますね。

一方で課題もはっきりとわかります。
響きが前に集まるのは良いのですが、無理やり集めている感じがあってどうしても硬いのです。

中音域はこれでもそこまで問題ないのですが、ほころびが出るのは低音と高音。
最後の低音では響きがなく喉声っぽくなる。
持っている声からすれば最後の音なんて余裕で鳴らないといけない音域ですが、
上半身だけの響きで鳴らしているので、胸の響きと連動しておらず、喉声のように聴こえてしまう。

逆に高音は喉が上がってピントがブレてしまっています。
ディ ビアンコの響きが強引に作ったものであることは、エスポジトのような歌手と比べるとわかるかもしれません。

 

 

 

Alex Esposito

ディ ビアンコは硬口蓋~鼻にかけて響きのポイントがありますが、
エスポジトは、奥歯~硬口蓋にかけてのもっと広い面が響いています。

よく響きを当てる。
という言い方をする人がいるのですが、これは声のポイントを点で狙うことになりますので、絶対に硬い響きになります。
ディ ビアンコの声は点ではありませんが線です。

この違いはやっぱり響きの深さ、奥行ということになりますが、
深さと言えば大抵の場合、喉を開ける。とか口を縦に開ける。
という言い方をされます。
勿論それも大事だと思いますが、その結果を得るために知っておきたいのが首~顎関節辺りの筋肉です。

 

この胸鎖乳突筋といのがかなり大事なポイントにありますね。
胸~耳の後ろを繋いでいる。
正に「胸の響き」と「響きの奥行」に関係した部分です。

歌う時の姿勢がなぜ大事なのか。
顎が前に出るとなぜ響きのラインがブレてしまうのか。
なぜ上手い歌手(特に男性)には、下唇を引っ張るようなフォームで歌う人が多いのか

といったことが、喉や声帯、あるいは腹筋や横隔膜にしか目がいかないと中々繋がらないのですが、胸鎖乳突筋の存在を認識することで、胴体と頭が繋がって意識できるのではないかと思います。

こういうことは絶対音大では教えてくれませ。
学生時代に教えてもらえていれば、どれだけ多くの音大生が路頭に迷わずに済むことかと思います。

これは大げさな言い方ではなく、発声という身体の動きが、派閥だの流派だのまるで宗教のように扱われている部分が多分にあるのですから・・・個々が大学を出た後でこうした論理的なことは学ばないといけないというのが声楽科の実態です。

 

 

 

 

モーツァルト フィガロの結婚 Tutto è disposto…aprite un po’ quegli occhi

歌詞を載せた方が癖を説明し易いので、ここでは歌詞も掲載します。

 

 

 

【歌詞】

Tutto è disposto: l’ora
dovrebbe esser vicina; io sento gente.
È dessa… non è alcun… buia è la notte…
ed io comincio omai,
a fare il scimunito
mestiero di marito.
Ingrata! Nel momento
della mia cerimonia
ei godeva leggendo, e nel vederlo
io rideva di me, senza saperlo.
Oh Susanna, Susanna,
quanta pena mi costi,
con quell’ingenua faccia…
con quegli occhi innocenti…
chi creduto l’avria?
Ah, che il fidarsi a donna è ognor follia.

Aprite un po’ quegl’occhi,
uomini incauti e sciocchi,
guardate queste femmine,
guardate cosa son!
Queste chiamate Dee
dagli ingannati sensi
a cui tributa incensi
la debole ragion,
son streghe che incantano
per farci penar,
sirene che cantan
per farci affogar,
civette che allettano
per trarci le piume,
comete che brillano
per toglierci il lume;
son rose spinose,
son volpi vezzose,
son orse benigne,
colombe maligne,
maestre d’inganni,
amiche d’affanni
che fingono, mentono,
amore non senton,
non senton pietà,
no, no, no, no!
Il resto nol dico,
già ognun lo sa!

 

 

【対訳】

すべては準備ができた:時間が
近づいてきているな 人の声がする
彼女か…いや誰もいない…暗い夜だ…
さて 俺は始めるのか
間抜けな役割を
夫なんていう商売のな
不実な奴め!まさに
俺の結婚式の最中に
殿は楽しそうに何か読んで それを見て
俺は自分のことを笑ってたんだ 何も知らずに
おおスザンナ スザンナ
何て苦しみを俺に与えてくれるんだ
あんなかわいい顔をして…
あんな無邪気な目で…
誰が信じる あんなことをするなんて?
ああ 女を信じるなんて永遠に狂気の沙汰だぜ

少しばかり開き給え その目を
単細胞で愚かな男どもよ
見給え この女たちを
見給え それがどんなものであるかを!
こんなものをお前たちは女神と呼んでいる
感覚に騙されて
こんなものに賛辞を送るんだ
弱ったお前たちのおつむは
魔法でたぶらかす魔女なんだぞ
お前たちを惨めにしようと
歌う人魚だ
お前たちを溺れさせようとする
誘惑するフクロウさ
お前たちの羽をむしり取ろうとする
輝く彗星なんだ
お前たちの光を奪おうとしてる
トゲのあるバラだ
浮気なキツネだ
笑うクマだ
性悪のハトだ
嘘つきの巨匠だ
トラブルの友だ
偽り 嘘をつき
全く愛を感じず
全く情けを感じない
いや、いや、いや、いや!
これ以上はもう言うまい
誰でも知ってることだし!

 

 

一番気になるのは、

「non senton pietà,no, no, no, no!」

という歌詞の部分。

2:29~
3:20~

の2回繰り返されますが、どちらでも変わりません。
まず、「 senton」の”se”でズリ上げるような、喉を締めているような苦しそうな声になります。
ちょっとここでは”s”の子音の問題なのか”e”母音の問題なのかは判断が難しいところです。
続く”no”、これはEsの音なので、高いと言っても大したことないのですが、明らかに鼻に入っているのがわかります。
前に集めようとし過ぎた結果が結局こういう声になってしまっていると私は考えるのですが、
持っている声が素晴らしいだけに本当に勿体ないですね。

 

2:53~

「guardate cosa son」を繰り返す部分
ここで”s”の子音に問題があることがはっきりします。
「son」でも変にしゃくり上げるような歌い方になりますし、
続く「son rose spinose, son volpi vezzose, son orse benigne,」
という部分の「son」も、ちゃんと”so”を発音しきれず「sn」に聴こえる部分があります。
この状況から判断するに、”s”の子音を力んで息を出し過ぎなのでしょう。
あまりこういう癖のイタリア人歌手は聴いたことがないんですけど、
とにかく、声だけに頼って歌っていてはここから先には進めないように感じます。

まだ30代なので、これからでもバスバリトンという声を考えればまだまだ修正は 可能だと思うので、頑張ってもらいたいですね。

 

 

 

4件のコメント

  • より:

    こんにちは、いつも楽しく読ませていただいております。
    普段は参考になるなぁと思いながら読んでいるのですが、今回は少し気になったので質問させてください。
    いわゆる”声楽の界隈”において、論理的な発声指導が不十分であるという指摘には私も同意いたします。
    今回の記事では、胸鎖乳突筋が大切だと述べていますが、これはどういう理屈からなのか興味があります。
    今日、科学的な視点から発声へアプローチする方法が模索されつつありますが、その流れなかでも胸鎖乳突筋はあまりピックアップされない印象です。
    記事では
    >胸~耳の後ろを繋いでいる。
    >正に「胸の響き」と「響きの奥行」に関係した部分です。
    とありますが、発声科学的には「胸の響き」「胸腔共鳴」のような考えかたは、あまり支持されていないようですし、
    なぜ耳と胸、頭と胴体が繋がらなければならないか判然としません。
    (「頭と体をつなげる」みたいなフレーズは、長く声楽をやっていれば一度は聞きますが、科学的・生理学的にはどんな状態なのかがはっきりしていません。効果があるなしに関わらず『論理的でない指導』として批判検討されるべきだと考えています)

    • Yuya より:

      蕪さん

      私の記事を深く読んで頂けてとてもうれしいです。

      仰ることはご最もで、まだ100%理論的な説明はできないことごを断った上で少し解説させて頂きます。

      >「胸の響き」「胸腔共鳴」のような考えかたは、あまり支持されていないようですし、
      これが一つの落とし穴で、私も同じように考えていました。
      低音なんかで胸に落とした太い声にすることは間違えなのは明らかですから、胸の響き=響きの上がらない詰まった声。
      という思考になってしまい勝ちです。

      そこで考え方を少し変えてみて、
      例えば、人を一本の金属の棒のようなものだと考えてみたとき、先端だけでなく、全体に響きが伝わっていくにはどうすれば良いか考えると、
      それが結局、咽喉や身体を開くということになるのではないかと思います。

      如何に声帯を自然に響かせるか。
      その音をいかに喉や口で増幅するかは盛んに議論されるんですが、全身に響きを伝えるという方向には中々いきません。
      ヴァイオリニストですら、身体をどう共鳴させるかを追求するのにです。
      興味があれば、ヴァイオリニスト 星野沙織氏のインタビューは中々興味深いことが書かれていると思いますので是非読んでみてください。
      https://otonoha-concert.com/interview/hoshinosaori.html

      要するに、胸を響かせるのではなく、胸の共振を得るために下半身から必要な筋肉を伸ばす必要があって、
      それが背中であれば脊柱起立筋という一本の線なので分かり易いのですが、前は腹直筋~腹斜筋~横隔膜ときて、一般的にはそこで支えの説明が止まってしまう。
      ですが、胸鎖乳突筋まで繋がって、耳の後ろ(顎関節)から顎の下を通る顎二腹筋が繋がることを知ると、全身を引っ張る筋肉が繋がっていることが理解できます。
      このラインがうまく引っ張れていると、よく言われるあくびのような奥の開いた状態(奥行)と、下半身~頭までの縦の深さが一本の線に繋がる訳ですね。

      インターナショナルVocalコーチとして活躍していらっしゃる、河村典子氏
      https://ameblo.jp/parsifalkundry37/
      と話す機会があり、そこでも、
      喉が上がってはいけない理由は胸の響きがなくなるからである。
      という趣旨の話を聞くことができ、
      完全に科学的な証明を提示することはできませんが、私の考え方にある程度確信が持てましたので、今回掲載することにしました。

      このような回答しかできませんが、参考になれば幸いです。

      • より:

        ご丁寧に返信ありがとうございました…!
        関連の記事まで紹介してくださり、感謝の限りです。楽器の方のインタビューも興味深く、面白いですね。

        すみません、1点だけ私の書き方が良くなかったので補足させてください。

        >「胸の響き」「胸腔共鳴」のような考えかたは、あまり支持されていないようですし、

        これは
        『胸に落としたような声はよくない』
        という意味ではなく
        『そもそも、胸や胸腔(さらに言えば人体)に音を響かせるという考え方自体が、解剖学・音声学・発声学ではありえないものとして否定的にとらえられている』
        という意味でした。

        私自身歌う時は「体に響かせる」ことを意識しますし、他人に指導する機会があれば、そうアドバイスすることもあります。
        しかし、物理的にみると人体は非常に響きにくい組成・構造をしているので、『物理現象として体に音を響かせるというのはあり得ない』というのが音声学的な定説とされているようです。
        (もし仮に体に音を響かせることが可能ならば、音がなっているスピーカーを抱えるだけで、体で音が増幅されて、豊かな音になる…という現象が起こってしまうはずですから)

        発声において論理的な指導が普及しないのは、このような「個人的な感覚や、発声指導における慣用句」と「物理現象としての発声」をうまくすり合わせられていないからだと考えているので、補足させていただきました。
        本筋とずれてしまってすみません…

        • Yuya より:

          蕪さん

          >『そもそも、胸や胸腔(さらに言えば人体)に音を響かせるという考え方自体が、解剖学・音声学・発声学ではありえないものとして否定的にとらえられている』

          この部分につきまして私の知識不足かもしれませんので、もしよろしければ詳しく教えて頂けますでしょうか。
          どの程度を「人体に音を響かせる」と表現するかは難しいかもしれませんが、例えば息切れした時にゼェゼェいってる時は胸が響いていると言えると思います。
          ニコラ・マルティヌッチに指導を受けた私の先生なんかは、そこの響きは歌う時にも重要だと言っていました。

          胸の共鳴の話は別として、理論的に発声の構造を解明できれば良い声が出せるのであれば、医者が一番効率的に声を出せるはずですが、そうはならないのも事実で、声は心とのシンクロが大きく、精神的ショックで失語症にもなってしまうくらいですから、
          根性論は論外としても、感覚的な指導が100%間違えだとは言えないところがまた難しいですよね。
          むしろ生徒の想像力を刺激するような指導は積極的に行われるべきだと思いますが、教育したがってしまう先生が多いんですよね。
          声楽教育の現場では、教えることと導くことが区別されていないのも問題なのかもしれません。

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