理想的なメフィストになれる可能性を持ったバスAdam Palka

Adam Palka(アダム パルカ)は1983年、ポーランド生まれのバス歌手。

バス・バリトンと表記されているところも見かけますが、声は完全にバスだと思いますので、
ここではバスとして記載することにします。
パルカは主にシュトゥットガルトで長く歌っており、
役柄はモーツァルト~ロッシーニのブッファバス役と、ファウストのメフィスト、カルメンのエスカミーリョ、ロシアオペラではボリス・ゴドゥノフのような役までこなしていますが、個人的な印象では、セリア向きなように思います。

バス歌手に求められる役割とは何かと考えた時に、
圧倒的に他の声種に比べて持って生まれた声の良さが重要になってくるような気がします。
太い声のテノールはいても、細くて軽いバス歌手はあり得ませんから、
充実した低音を鳴らすには、技術の前の持って生まれた才能が重要になります。
なので、バス役を歌っていても、実際はハイバリトンの声だったりすることは日常的にあるもので、誰もが想像するようなバスらしい声を持っている歌手、というだけで大変希少であることを書かせて頂いた上で、パルカについて書きたいと思います。

 

 

 

 

モーツァルト フィガロの結婚 Se vuol ballare

 

 

 

 

René Pape

1999年の演奏なので、大体パーペが35歳の時で、パルカの演奏と近い年代の時の演奏です。
パーペはパーペで好きな歌手なんですが、バス歌手という分類としてはリリックバスと言われるように、軽い方です。
しかし、この曲の高音(Fの音)はとっても難しくて、大抵の歌手が抜くか、”si”だか”se”だかわからないような発音になるか、発音がちゃんと”si”でも苦しそうな喉声になるのが関の山で、ちゃんとハマった声で出せる歌手はあまりいません。

パーペですら、一回目(1:22~1:28)は抜いていて、二回目(3:23~3:30)は勢いで出している感じです。

一方のパルカの演奏は、一回目(0:24~0:30)、二回目(2:26~2:33)
バスの高音としてしっかりハマっているんですよね。
モーツァルトを歌う声かと言われれば、そこは首をかしげてしまうところではありますが、
フィガロという役に合っているかどうかを除けば、声楽的には文句の付けようがない声だと思います。

太さ、深さがバスのそれでありながら、高音のFでも薄くならずに、しかもパワーではなく技術で出せているのは称賛に価するとすら言えるかもしれません。

 

 

 

 

グノー ファウスト  Ronde du veau d’or

来年はウィーン国立歌劇場でこの役を歌うことになっており、彼の十八番とも言える役のようです。

持って生まれた良い声がここぞとばかりに生かされるアリアなので、
多くのバス歌手がとにかく頑張って歌う曲。という印象が私の中ではあります。
そんな訳で、ロシア系のバスで現在トップクラスの実力者と言われるアブドラザコフの歌唱と比較してみましょう。

 

 

 

 

Ildar Abdrazakov

アブドラザコフの方が明るい声質なのがわかりますが、本当に微妙ではありますが、高めの音程で”a”母音を歌う時に響きの質が浅くなると言えば良いのか、鼻に入り気味になると言えば良いのか、他の母音とは質がブレています。

一方パルカは、発音が少々奥気味で、声を重視した歌い方をしているように聴こえます。
それでも決して無理に叫んでいる訳ではなく、詰まった感じもしません。
むしろ高い音域はアブドラザコフより深みのある豊な響きのように聴こえます。

このレベルになればどちらが良い悪いというよりは聴く側の好き嫌いになってくるのかもしれませんが、勢いではなく、技術的に立派な声を聴かせているのはパルカの方がリードしているかなというのが私の意見です。

 

 

 

メールカウンセリング門次郎

 

 

 

 

チャイコフスキー エフゲニー・オネーギン Ljubvi vsjo vozrasty pokorny

この演奏は本当に素晴らしいと思います。
今までの演奏は録音状態があまり良くないこともあって、余計に発音が分かり難かったのですが、こちらの演奏を聴くと、決して無理に喉を鳴らしにいっていないにも関わらず、自然で深い響きで、暖かさのある音色のまま低音~高音まで歌えているのがわかります。

 

 

 

 

 

ボーイト メフィストーフェレ Son lo spirito chi nega

同じ演奏会から、こちらはイタリア語のアリア。
メフィストはファウストにしろ、このメフィストーフェレにしろ、ベルリオーズのファウストの劫罰にしろ、まずは良い声でないと恰好がつかない。

しかし、その価値観が絶対的に正しいいのかというと個人的には疑問の余地があると思っています。
パルカの演奏を聴いても、グレーミンのアリアの方が、メフィストのアリアより地声に近い自然な声に聴こえるために、この声のままメフィストも歌って欲しいな~
と思うのは私だけではない気がします。

 

 

 

 

Ezio Pinza(1892~1957)

 

こちらが戦前に活躍したバス歌手のピンツァの演奏です。
そこまでバリバリ鳴っている感じはありませんが、無理に鳴らしている感じがありません。

 

 

 

 

Cesare Siepi(1923~2010)

 

歴史的にも屈指の美声のバスなので、声を作る必要性がないこともあったのではないかと思いますが、何にしてもシエピの声がある意味イタリア系のバスの理想と考える方は多いことでしょう、

 

 

 

 

Bonaldo Giaiotti(1932~2018)

 

戦後に活躍した歌手になると既に押したような、無理に良い声を作った感じになっています。
これはイタリア人バスに限らず、レイミー、ギャウロフといった有名所はもっと顕著だと思います。

こうして見ると、もしかするとシエピのようなバス歌手が出たことが、後のバス歌手にとって大きな呪縛となってしまったのではないかとさへ思えてなりません。

パルカはまだ30代の歌手ですから、まだまだ声も表現も変わっていくことでしょうが、
素晴らしい声も技術も持っているので、彼次第でどのような方向にもレパートリーを拡張していけるのではないかと思います。

その中でもメフィストはレパートリーの中心になることが現在のところ確実なので、
是非とも彼独自のメフィスト像を期待したところです。
来年のウィーン国立でのファウストは注目ですね!

 

 

 

 

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