Johann Kristinsson(ヨハン クリスティンソン)はアイスランド生まれの若手バリトン歌手。
2019年にStella Maris Vocal Competitionで優勝ということが経歴として出てくるのですが、
このコンクールは2009年に始まった新しいコンクールのようなのですが、
その特徴が、クルーズ船の中で行われるものらしいのですね。
どうも著名な歌手ではミヒャエル・シェーデが関わっているようなのですが、今までの優勝者などあまり詳しいことがわかりませんでした。
ただ、そのコンクールがどんなモノであれ、クリスティンソンの歌唱が魅力的であるということは事実です。
この曲は歌詞を見ながらの方が物語が分かって面白いので、対訳を付けておきます。
<歌詞>
Bald gras’ ich am Neckar,
bald gras’ ich am Rhein;
bald hab’ ich ein Schätzel,
bald bin ich allein!
Was hilft mir das Grasen,
wenn d’Sichel nicht schneid’t;
was hilft mir ein Schätzel,
wenn’s bei mir nicht bleibt!
So soll ich denn grasen
am Neckar,am Rhein;
so werf’ ich mein goldenes
Ringlein hinein!
Es fließet im Neckar
Und fließet im Rhein,
Soll schwimmen hinunter
in’s Meer tief hinein!
Und schwimmt es,das Ringlein,
so frißt es ein Fisch!
Das Fischlein soll kommen
auf’s König’s sein Tisch!
Der König tät fragen,
wem’s Ringlein sollt’ sein?
Da tät mein Schatz sagen:
“Das Ringlein g’hört mein!”
Mein Schätzlein tät springen
Berg auf und Berg ein,
tät mir wied’rum bringen
das Goldringlein fein!
Kannst grasen am Neckar,
kannst grasen am Rhein!
Wirf du mir nur immer
dein Ringlein hinein!
<日本語訳>
あるときには草刈りよ ネッカル川で
あるときには草刈りよ ライン川でも
恋人ができたと思ったのに
すぐにあたしはひとりぼっち!
草刈りに何の意味があるの
もし大鎌が切れないのなら
恋人に何の値打ちがあるの
あたしのそばに居てくれないのなら!
こんな風に草を刈らなきゃいけないのなら
このネッカルや ラインのほとりで
こうして放り込んでやるわ 私の金の
指輪をこの中へ!
指輪はネッカル川を流れ
そしてライン川を流れて
ついには泳ぎつくはずよ
深い海の底へと!
泳いでいれば、その指輪
魚に食べられてしまうでしょう!
その魚はきっと出されるわ
王様の食卓の上に!
王様はお尋ねになるの
この指輪は誰のものじゃ?って
そこであたしの恋人がこう言うのよ:
その指輪はわたくしのものです って
あたしの恋人は飛び跳ねながら
山を上り 山を下って
あたしのところへとまた持ってきてくれるでしょう
そのきれいな金の指輪を
もしも草を刈るなら ネッカルのほとりで
もしも草を刈るなら ラインのほとりで
俺のためにいつでも
お前の指輪を放り込んでくれないか!
1:50~の魚が王様の食卓に上って、
魚から指環が出て来て、
「この指環は誰のだね?」と質問し、恋人が「私のです」と応える。
この辺り、一言づつキャラクターが変わるので、
クリスティンソンの間の取り方の上手さが際立つのではないかと思います。
しかも、軽く明るい響きのリリックバリトンでありながら、
中低音の芯はしっかりしており、高い音域では硬さがなく、
上手くファルセットに近い、所謂ミックスボイスにのようなところも柔軟に使える技術は見事という他ありません。
それこそ、似たようなタイプのハンプソンと比較しても、クリスティンソンが如何に優れているかがわかります。
Thomas Hampson
曲も真面目に良い声を聴かせるというよりは、遊び心が大事な部分があるので、
ハンプソンがわざと平べっためな声を駆使している可能性はあるのですが、
それでも、クリスティンソンは、決して音圧で喉を鳴らしている訳ではなくても、
しっかりと芯のある整った響きで歌えているために母音が常に明確で、フワフワしたところがないので、言葉を喋っているように歌うことができています。
ハンプソンはちょっとあざとさが見えてしまって、個人的にはそこまで好きになれないんですよね。
アリアの前に、本来はネッダとの重唱になっている部分も歌っています。
ホント良い声ですよね。
リートが上手く歌えるよな発音のさばき方の上手さ田、声を柔らかく使える技術があって、
イタリア物でも聴衆を欲求不満にしない開放的でピンと張りのある響きも持っている。
こんな声と技術を持ったバリトンは、ドイツ系ならアンドレアス・シュミット以来久々に聴く気がします。
実際は凄く少ない息の量で、全く前に響きを集めるなんて作業はしていない歌い方なのですが、
残念なことに、こういう響きは、誰とは言いませんが、以下のような、力技で出す発声と同じだと感じてしまう人がいるらしいのですね。
以下の視聴には十分ご注意ください。
https://www.youtube.com/watch?v=6lmXBQYZDOM
こういう歌唱を絶賛するコメントがあるのを見て、改めて日本の声楽界に絶望しかけているのですが、そうも言っていられませんね。
クリスティンソンの素晴らしいところは、低音でも響きが落ちないことで、
これは息が太くなったり、喉が上がってしまう歌い方では絶対に無理です。
楽器に恵まれていれば、高音は吠えてもそれなりの声が出る人はいるかもしれませんが、
大きな音量ではなくて、しっかり響きの乗った中低音を出すというのは高い技術がいります。
歌も素晴らしいのですが、ベーゼンドルファーのピアノの音に感動する演奏です。
ドイツ語を綺麗に歌うには子音の処理を研究するのが一般的だと思いますし、私も例に漏れず学生時代はそうだったのですが、最近は突き詰めれば母音に行き着くな。
という考え方になっておりまして、
色彩感を出し、言葉をレガートで繋げられるのは結局母音なんですよね。
その為に、如何に子音を力まずに発音できるか?という部分が重要になることを考えれば、確かに子音の研究は大事なのですが、どうやって飛ばすかということは正直重要ではないのではないかと思います。
ただ、ソロと合唱で歌唱方に違いがあるとすれば、子音の処理かもしれません。
ソロだと、場面にもよりますが、基本的にはそこまでしっかり摩擦音を擦ったり、頭の”k”や”t”を立てたりする必要性はないと思うのですが、合唱だと相当しっかりやらないと聴こえなということを考えると、その辺りはソロと合唱指導で正しい発音というのは異なるのかもしれないなと最近考えています。
話が脱線してしまいましたが、クリスティンソンの発声は、”i”母音のポイントが他の母音の軸になっていますね。
昔から私の記事を読んで下さっている方は「またか」と思われるかもしれませんが、やっぱりドイツ物を上手く歌える歌手は例外なくと言って良いほど、一番前で発音される”i”母音の質が素晴らしくて、
その前で明るく響く音色に他の母音を合わせることができています。
それができずに、ポイントがブレてしまって、”i”母音が鼻に入り気味になってしまうと以下のような演奏になります。
Artur Rożek
レガートが不完全で、時々”a”や”e”母音が横に広がってしまってしまう。
演奏としては決して悪くはありませんが、どこか曲の緊張感が維持しきれていない部分があるのは、母音の幅が統一できていないからで、それが正しい”i”母音のポイントで統一されることで、はじめてクリスティンソンのような演奏になるということですね。
まだ、音源があまりYOUTUBE上にもない歌手なのですが、
アップされている演奏はどれもとても完成度が高く、歳を重ねれば更に響きに深みも出てくるでしょうから、今後の活躍が本当に楽しみなバリトン歌手です。
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