アルバニアを中心に活躍する熱量と技術を兼備したテノール Klodjan Kaçani

Klodjan Kaçani(クロディアン・カチャーニ)はアルバニアのテノール歌手。

アルバニア生まれ。ティラナ芸術大学のクラシック声楽科を卒業し、2012年からアルバニア国立劇場に出演しています。

主要な役柄は、ドン・ジョヴァンニのオッターヴィオ、
魔笛のタミーノ。椿姫のアルフレード、愛の妙薬のネモリーノといった正統派のリリックテノールの役柄を得意としています。

いまのところアルバニアとクロアチアで歌っているようで、主要なEU諸国での活動はなさそうですが、演奏を聴く限り十分一流劇場でも主役を歌える実力があるように聴こえます。

生年月日が不明なのですが、2012年がデビューということなので、現在30代半ばくらいと考えられます。

 

 

レオンカヴァッロ 道化師 O Colombina

いつの演奏かはわかりませんが、2012~2015年の間のものであることは確実なので、20代半ばのものでしょう。

 

 

 

ドニゼッティ 愛の妙薬 Una furtiva lagrima

この演奏は2015年ということなので、恐らく30歳よりは若い時の演奏ではないかと思います。

輝かしい美声という訳ではありませんが、情熱的な歌いまわしと、その反面では安定した技術で悪い癖のようなものは見当たりません。

高音への跳躍時にやや鳴きを入れるようなところがあるので好みは分かれるかもしれませんが、決して高音で力んでいる訳ではないので、この短い曲からでも、この人がかなりの実力があることは聞き取れると思います。

 

ドニゼッティ 愛の妙薬 Una furtiva lagrima

2020年、ジョージアでの演奏。
このアリアにしてはテンポが速く淡々と歌い過ぎるので、物足りなさを感じる部分はありますが、歌唱フォームとしては申し分ない演奏で、役に対して声が合っているかどうかについては議論の余地があるものの、技術的な部分だけ見れば大変すばらしいですね。

この曲は、ずっと五線の上のF(ファ)辺りで動くので、
高音に抜けていくところと、低音のバランスがとても難しい。

高い方の声を頭「声」、低い声を「胸声」と言ったりしますが、ここで声質が変わらないようにすることが大前提となりますので、頭声で、いわゆるファルセットに近い部分を使って、ディナーミクを立たせた歌唱をするのが、上手く歌っているように聞こえるためには近道になります。

ですが、。本当に技術のある歌手は、この辺りの音域でも、喋っているかのように歌える。
もちろんピアニッシモを聞かせる演奏が小賢しいと揶揄している訳ではありませんが、技術が前面に見えない演奏というのは、演奏として作為的なものがなく自然に耳に入ってくる。

カチャーニの演奏は、感動するような演奏ではないかもしれませんが、この演奏を不快に感じる人はほぼ皆無なのではないかなと思います。

勿論表現的な部分で未熟さを指摘することはできるかもしれませんが、若い歌手は、小手先の技術より、こういった素直な歌唱をしてくれた方が、個人的には好感が持てたりしますので、年齢を重ねてどう演奏がかわっていくかを見守っていきたいと思います。

 

 

プッチーニ 蝶々夫人(ハイライト)

この演奏は、恐らく今年の4月に演奏されたばかりのハイライト演奏と思われるので、現在の彼の声と考えて良いでしょう!

若い時の声を聴いた限りは、リリコかなと思ったのですが、
この演奏を聴くと、かなりスピント方向にいっていますね。

声の重さはないので、オテッロとかはすぐに歌わないと思いますが、カラフあたりまでは普通に歌いそうな気がします。

ただ、前述のネモリーノの演奏より、響きが落ちているとまでは言わないまでも、ちょっとロブストになっているところが気になるところで、
この辺りは実際に聞いてみないことにはわかりませんが、
前の声の方がホールの嘘りまで飛んでいそうな気がしなくもありません。

とは言っても、劣化していると言いたい訳ではなく、スピント寄りなリリコの役の方が、彼の声や歌いまわしからするとしっくりくるところがあり、ここから更に進化するか、役を重くしてフォーム崩してしまうかの転換期にあるようにも思います。

 

 

Klodian Qafokuという現在の作曲家が作った曲のようなのですが、調べても全然情報が出てこない。
でも、これは楽譜が欲しくなる曲。
言語が、恐らくアルバニア語なので、全然意味わからないのが残念ですが、美しく切ないピアノの分散和音と、底抜けに明るいイタリアの声と違った、ラテン系の響きながら影のあるカチャーニ歌声が実に合っている。

この演奏を紹介したいがために、この記事を書いたとまで言ってよいくらい、気に入ってしまった演奏です。

もし、この曲について、歌詞や楽譜などの情報をご存じの方がいらっしゃいましたら、情報提供頂けると嬉しいです。

 

 

 

2件のコメント

  • KK より:

    こんにちは。
    最後の曲はアルバニアの作家、ジャーナリスト、政治家だったTeodor Kekoによる詩に曲を付けたもので、内容は以下の通りです。

    ============
    DASHURI E VESHTIRE NE VJESHTE

    Me mundon ndjenja e pathene
    Brenda gjoksit fjalet mi ktheve harrim
    Ne qiell eshte hena si them dot hene
    s’te flas dot per mjegullen mbi lume ne agim.
    Me mundon ndjenja e pathene
    Ti eja ne gjoks e ver cdo fjale ne vend te saj
    Pas kesaj do te perkund ne nje djep-kenge
    Gjera te mahnitshme do te tregoj pas kesaj
    Dhe nese rruget per ne zemer dot si gjen
    Me thuaj te zgjas gishterinjte e mi
    Mbeshtete koken mbi ta dhe do te kthehesh pende
    brenda meje do vertitesh e fjalet do mi kujtosh me magji
    Me mundon ndjenja e pathene
    Kur ti je kaq prane dhe kaq e thjeshte
    U keput nje gjethe nga nje peme
    E verdhe si harresa
    Qenka vjeshte!
    ==========

    Google翻訳で訳してみると最後のサビの”Qenka vjeshte!”が”秋の犬”と訳されるので困惑するのですが、”Qenka”は”犬”ではなくて”あの人”とか”彼女”くらいの意味合いのようなので、そのように読み替えていただければよいかと思います。

    • Yuya より:

      KK様

      歌詞を調べて下さりありがとうございます。
      やっぱり詩をGoogle翻訳しても、なんとなく言いたいことはわかっても、全く違うだろうな。
      と思える訳も多々ありますよね。

      まぁ、詩なんて日本語でも正確に解釈できないものばかりなので、とりあえず雰囲気がわかるだけでも、
      やっぱりこの曲は昼ではんく、夜の音楽なんだなというのがわかってよかったです。

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