【感想】 2025年9月 バスティーユのアイーダ

2025年9月~10月にオペラ・バスティーユで行われたアイーダの映像がYOUTBE上にありました。

そこでラダメスを歌っていたのが、Piotr Beczała
タイトルロールがEwa Plonka

 

 

Plonka目当てで視聴し、Beczałaはリリック寄りの声の印象が強いこともあって、
ラダメスとしてはあまり期待していませんでした。

実際、ラダメスという役に合う声なのか?と聞かれれば決して適切な配役とは言えないと思うのですが、とにかくイタリア物を歌うテノールの高音にとって必須な響き、所謂アクートへの抜け方が完璧。

まず登場していきなり歌う有名なアリア「清きアイーダ」(動画の8:10~)
演奏は正直フレージングが単調で、同じ旋律を何度も繰り返すだけの動機を与えられていないためにあまり面白くはないのだが、高音に限れば言うことはない。

息が太くなることなく、真っすぐに研ぎ澄まされていくかのように最高音のB(五線の上のシ♭)を射貫くような響きの輝かしさには目が覚める。

個人的にアモナスロ役を歌った Roman Burdenkoの歌唱が、
咽喉声っぽく聴こえて、本来は盛り上がる三幕でちょっと消沈してしまったのですが、
それでも、アイーダとラダメス二人の重唱はやっぱり白熱していました。(2:26:56~)

 

プウォンカの充実した低音と繊細の高音使い分け
ベチャーワの安定した高音と、どんな音形を歌ってもブレないフォーム
一流歌手の技術が詰まった素晴らしい重唱だと思います。

演奏の質としては、やっぱりプウォンカの方が声と役がハマっていることもあって、
フレーズの方向性が自然で、ディナーミクの付け方が自然。
ベチャーワはずっとフォルテで歌っても破綻しない技術があるけど、無理に重く作ろうとしてるのか、時々意識的か無意識なのか泣きを入れるようなしゃくりあげた表現があって、こういうのは好みの問題かもしれませんが、私はあまり好きではない。
三幕の最後に高音で歌われる「司祭よ、私を捕らえてください」という歌詞で歌われる部分のポジションなんて申し分ない。
何故、あんな中音域をずっとフォルテで歌いながら、最後の最後であんな精錬されたアクートに持っていけるのか意味がわからない。

この響きで高音出せるなら、中低音もこの音質で出すことはできんのか?
ほんとベチャーワの発声は謎だ。

ベチャーワの歌唱は、フォルテとピアノはあるのに、メゾピアノがない。
それがフィナーレで際立つ(3:15:00辺り~)。
プウォンカの繊細な揺らぎのあるフレージングと比較すると、ベチャーワは能天気。
リリックな役を得意としていたのであれば、こういうとこはもっと多彩な音色を使って欲しい。
総じて上手いし発声技術は申し分ないのに表現が雑。

それで、ガンチのアイーダ、フィナーレを聴くと、
とても自然な歌い回しに聴こえる。
声の問題ではなく、やっぱりフレージングなんだよなぁ。

 

ルチアーノ・ガンチのアイーダフィナーレ

 

その他の歌手については、あまり印象に残らなかった。
本来一番アイーダで重要な役のアムネリスを歌った Eve-Maud Hubeauxについては、
声が喉に張り付いているように聴こえる。
いわゆる響きのポジションが低いというやつで、
高音は高音、低音は低音で違うポジションで鳴っているので、とても不思議な発声。。。起用だな。
だが、この歌い方では残念ながらヴェルディを歌うのに必要なレガートにはならない。

 

全体を通しては手放しで素晴らしいと言える演奏ではなかったかもしれませんが、
プウォンカのアイーダが素晴らしいことは確認できて、
やっぱり彼女は現在トップクラスのドラマティックソプラノで間違えないと確信できたのはよかったです。

 

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