秀逸なバス歌手Andrea Mastroniから学ぶ低音とファルセットの関係

Andrea Mastroni(アンドレア マストローニ)はイタリアのバス歌手。

イタリア物のレパートリーはバロック~現代作品までこなし、ドイツ物もオペラだけでなくリートまで高いレベルで演奏ができる実力を有しており、近年相次いで一流劇場にデビューしている今後更なるブレイクが期待できるバス歌手です。
勿論フランス物も歌うことができ、デュパルクの歌曲のCDも出しているくらいです。

最初はクラリネットを学んでいたようですが、後に声楽へ転向しています。
技術的には、実声から滑らかにファルセットへ移行できる柔軟さ、切れ味の鋭いアジリタの技術を持っていながらも厚みのある超低音を楽々と鳴らすことができる、この人の発声技術は最近のあらゆる声種の歌手の中でもトップクラスかもしれません。

この人の歌唱を聴けば、低音が太い声で楽器を鳴らすのではなく、
どちらかと言えばテノールの高音のように繊細な細い響きで出すものであることがわかるでしょう。

 

 

 

ヘンデル ガラテアとポリフェーモ Fra l’ombre e gl’orrori

 

この演奏は個人的にかなり衝撃的でした。
超低音とファルセットが同じような質感で鳴っているからです。
高音をファルセットで逃げている訳ではなく、一貫した響きのなかで結果的にファルセットで歌っているだけで、声そのものの緊張感は失われることなくフレージングも途切れていません。
何よりゆったりしたスケールの大きさは、声の力ではなく、息の流れに乗せてレガートで歌われていればこそ出せるものですね。
これだけの技術のある歌手ですが、数年前の演奏ではこれほど完成された発声ではありませんでした。

 

 

 

 

ペルゴレージ Quoniam tu solus sanctus

 

こちらの演奏では、上手くまとめてはいますが、最初に紹介した演奏に比べれば声に広がりがなく、どこか作った声のような不自然さがあります。
正確な録音年代はわかりませんが、2010年頃の演奏と思われます。
低音も響きが落ちて、中音域より重くなってしまっています。

低音が充実して響くには、ファルセットの響きと実声の響きが同じようなポジションで鳴ることが大切であることが、ペルゴレージと冒頭のヘンデルの歌唱を比較すればわかると思います。
テノールは、よく高音に抜けていく過程でファルセットと実声を混ぜるトレーニングはした方が良いと言われますが、低声歌手にとってもファルセットを鍛えることは、声帯を柔軟にするということでもあるので、重要なことなのではないかと思います。

 

 

 

プッチーニ ラ・ボエーム Vecchia zimarra

 

こちらは2016年の演奏。
数あるアリアの中で最もこの曲ほど不遇な曲はそうないと思うのは私だけでしょうか。
ボエームには有名なアリアが詰まっていますが、このコッリーネのアリアだけは、
酷い時には、何でお前がアリア歌うんだ?位の勢いで見られていますし、更に言えばアリアとしてすら認識されてなかったりするんじゃないかとすら思うことがある訳です。

しかし、時々コッリーネ役が素晴らしいバス歌手だと、ロドルフォやミミやムゼッタのアリアでは絶対にない深い味が出て、実は良い曲なんじゃないか?
と思ったりする瞬間が訪れる場合があります。
マストローニの演奏は間違えなくそれに当たるでしょう。

柔らかく暖かい音色と力強さを兼ね備えた声でありながらも、バスにしては高い音域でもその音色や緊張感が変わることなく弱音の表現ができています。
ペルゴレージの演奏では、声は小さくしていても、必要以上の力みが感じられて声に硬さがありましたが、5年程度の年月で発声的な課題が解決されていることがわかります。

 

 

 

 

シューベルト Erlkönig

 

イタリア人歌手でドイツリートを得意としている歌手がすぐには思い浮かばないのですが、
マストローニは「冬の旅」、「美しき水車小屋の娘」といったシューベルトの連作歌曲で演奏会を行っており、たしなみ程度にリートが歌えるというのではなく、リート歌手としてもキャリアを積んでいる希なイタリア人歌手です。

流石にバス歌手だと、坊やの声が今ひとつ子供に聴こえず、役の歌い訳という面では満足とは言えませんし、ピアノ伴奏もペダルを踏み過ぎていて、魔王が坊やを誘惑する場面の変化がどうも乏しいので、良い演奏かと言われれば私はそこまで好きな解釈ではありませんが、
声だけを取り出せば素晴らしいと思います、

 

 

 

 

ヘンデル エツィオ Già risonar d’intorn

 

こちらの演奏は速いメリスマを駆使した技巧的なアリアを、芯のある響きのまま見事に歌っています。
現在を代表するイタリア人バス歌手のダルカンジェロの演奏と比較しても遜色ありません。

 

 

 

Ildebrando D’Arcangelo

ダルカンジェロの歌唱は本当に見事ですが、マストローニも負けてはいません。
ダルカンジェロよりも重い声質ながらもメリスマの切れ味は抜群で、とにかく響きが安定していますね。
ではダルカンジェロとマストローニの歌唱の違いはどこかと聞かれれば、マストリーニの方が、ドイツ物も頻繁に歌っているからなのか、全体的に狭めの母音で歌う傾向があります。
分かり易いところで言えば、

マストローニ 2:50~2:59
ダルカンジェロ 2:48~2:55

ダルカンジョロはメリスマの間ずっと”e”母音で歌っているのですが、
マストローニは高音にいくと”i”母音に近い音にしています。
この演奏では母音を変え過ぎているので少し不自然な感じはありますが、
これはアペルトになることを避けるための手段として、”e”母音を狭い母音である”i”に寄せていくことをしています。

余談ですが、
高音は詰まり易いので、”o”母音は”a”に、”i”母音は”e”に、”u”母音は”o”に開きなさい。
という声楽教師もいますが、これをやると、その一瞬楽に上がでるようになったように感じることはありますが、中長期的に見て高音がどんどん横に平べったい声になっていくので、この教え方はあまり良いとは言えません。

 

 

 

 

モーツァルト ドン・ジョヴァンニ Deh vieni alla finestra

 

この曲は意外と難しくて、抜き抜きの鼻歌だと気持ち悪いし、だからといってフォルテで歌ったらセレナーデにはなりません。
響きのあるピアノで歌う技術があるかどうかを試される訳ですね

 

 

 

Dmitri Hvorostovsky

 

 

 

Michael Volle

 

 

 

Peter Mattei

ホロストフスキーは言わずと知れたパワータイプなので、彼の場合は容姿と併せて成立している感が強いですね。
フォッレは完全に鼻声です。
マッテイは直線的な声で広がりがない。2番のピアノの表現は劇場の後ろまで聴こえるのであれば良いと思うのですが、この映像ではどの程度声が飛ぶのかがよくわからないので判断が難しい。
マストリーニは終始ピアノの表現でありながらも、フォルテを出せるポジションのままピアノの表現ができているので、ディナーミクが取って付けたような感じにならず自然です。

勿論全員録音状況が違うので聴こえ方が本来の声とは微妙に違ってきているでしょうが、マストローニの声楽的な技術の高さは伝わるのではないかと思います。

2020年もバロック作品~ワーグナーまで様々な作品を精力的に歌うようですが、
2005年からオペラを歌い始めてから、毎年のように魔笛のザラストロとリゴレットのスパラフチレを歌っているようで、色々な作品に手を出している彼にも外せない役があるのでしょう。

レパートリー面で冒険をしながらも、声をリセットできる役は定期的に歌い続けているという行動は理にかなっていますね。
このようにマストローニの歌唱は、声楽を学ばれている方にとっては、例え声種がバスでなくても参考になる部分が多い歌手なのではないかと思います。

バスはちょっと・・・という方も、この機会に是非じっくり聴いてみてください。

 

 

 

CD

 

 

 

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