Sarah-Jane Brandon(サラ・ジェーン・ブランドン)は南アフリカのソプラノ歌手。
華のあるタイプの歌手ではないため大きな注目を集めることはないかもしれませんが、内向的な深みのある表現でドイツリート歌唱には定評があり、声量に頼らない柔らかな息遣いには大きな魅力があります。
ドイツ語をこれほど柔らかく表情豊かに歌えるソプラノは中々いないのではないでしょうか。
【歌詞】
Kennst du das Land,wo die Zitronen blühn,
Im dunkeln Laub die Goldorangen glühn,
Ein sanfter Wind vom blauen Himmel weht,
Die Myrte still und hoch der Lorbeer steht,
Kennst du es wohl?
Dahin! Dahin
Möcht ich mit dir,o mein Geliebter,ziehn!
Kennst du das Haus? auf Säulen ruht sein Dach,
Es glänzt der Saal,es schimmert das Gemach,
Und Marmorbilder stehn und sehn mich an:
Was hat man dir,du armes Kind,getan?
Kennst du es wohl?
Dahin! Dahin
Möcht ich mit dir,o mein Beschützer,ziehn!
Kennst du den Berg und seinen Wolkensteg?
Das Maultier sucht im Nebel seinen Weg,
In Höhlen wohnt der Drachen alte Brut,
Es stürzt der Fels und über ihn die Flut:
Kennst du ihn wohl?
Dahin! Dahin
Geht unser Weg; o Vater,laß uns ziehn!
【日本語訳】
ご存知ですかあの国を レモンが咲き
葉蔭で黄金色のオレンジが輝き
碧い空から微風吹いて
ミルテは密やかに 月桂樹は高く聳える
あの国をご存知ですか
そこへ! そこへ
あなたと行きたいのです ああ愛しい人 行きましょう!
ご存知ですかその家を 円柱が屋根を支え
広間は輝き 居間はほの明るく
大理石像が居並び 私を見つめて聞きます
「可哀想な子、皆はお前に何をした」と
その家をご存知ですか
そこへ! そこへ
あなたと行きたいのです ああ守ってくださる方 行きましょう!
ご存知ですか あの山と雲の架け橋を
騾馬が霧の中で道を辿り
洞穴には古(いにしえ)の竜が住み
岩壁は切り立ち 高潮がそれを越える
あの山をご存知ですか
そこへ! そこへ
私たちの道は向うのです ああお父さま さあ行きましょう!
ヴォルフの歌曲はそこまで好きじゃないのですが、この曲は結構好きです。
ブランドンは決して特別美声な訳でも、響きが豊な訳でもないのですが、
とにかくどんなフレーズを歌っている時でも100%の力では歌わず常に余裕があって、低音もあまり鳴る訳ではありませんが、柔らかく深い響きのため違和感がありません。
何よりこの人の歌唱の素晴らしいところは子音をしっかり発音しながらも硬さがないこと。
強調したい子音は強く発音するのではなく、長めに鳴らすのだと習うことがありますし、それはきっと正しいのだと思いますが、結局はセンスの問題が大きいのではないかと思わなくもありません。
例えば、一番最後の歌詞「laß uns ziehn!」という1フレーズを取ってみても、
ブランドンの”s”の扱い方、発音タイミングは絶妙です。
わざとらしくなく、はっきり聴こえるのに余韻を残す。
これは呼吸が硬いと絶対にできないことで、やっぱり柔らかい呼吸から生まれる生きた子音なのだと思います。
こういう表現はただ良い声で歌う歌手には絶対にできません。
ちなみにこの詩はゲーテのミニョンで、
トマのミニョンの有名なアリア「君よ知るや南の国」もはこの詩の2番のフランス語訳が使われています。
基本的にこの人は歌が上手いので、声がそこまで強くなくてもフレージングや表情の付け方で良い演奏に聴こえるのですが、アリアを歌うとリートよりも低音の響きの貧しさは目立ってしまう気がします。
歌っているフォームを見ていても、喉の上下が随所に見られたり、横めに口が開いたりするために、どこか上半身だけの響きに聴こえてしまって、胸と連動した響きには聴こえないのが勿体ないですね。おそらくそのせいで低音が弱くなり、芯のあるピアノの表現ができない。
柔らかい表現は大事なのですが、それだけではだめで、必要な時にはしっかり芯がないといけませんから、そういう部分でブランドンの歌唱にはどこか小さくまとまった演奏という印象を受け、華がないように聴こえてしまうのだと思います。
【歌詞】
Es ist der Tag,wo jedes Leid vergessen.
Ihr Schwestern,horcht: der Heilige ist nah.
Er meldet sich im Rauschen der Cypressen,
Und unsre Pflicht steht winkend vor uns da.
Wir lassen ihm den dunklen Sangerschallen,
Daß seine schöne Sonne niedertaut,
Wir ziehn um seine weißen Säulenhallen,
Und jede ist geschmückt wie eine Braut.
Seht,unten,wo die kühlen Bäche fließen,
Dort wandeln heut’ in Nachtheit Mann und Frau;
Sie trinken selig Duft und Klang der Wiesen,
Und alle blicken sie zum hohen Blau.
Und alle jauchzen sie,und alle pflücken
Die großen Freudenblüten dieser Welt.
Wir aber wollen nach der Frucht uns bücken,
Die golden zwischen Traum und wachen fällt.
Wir bringen sie in einer Silberschale
Zum Tempel hin,dicht neben Speer und Schild.
Wir knieen nieder: Dufte,Frucht,und strahle
Dem Volk entgegen sein verklärtes Bild!
【日本語訳】
今日はあらゆる悲しみの消え去る日
姉妹たちよ、聴け、聖なるお方は近くにおられる
御姿を現されるのだ このキプロスのざわめきの中に
そしてわれらのなすべきことが目の前でわれらを差し招いている
われらは暗き歌を彼に歌わせ
彼の美しい太陽を沈めるのだ
われらは彼の神殿の白い柱の周りをめぐる
そしてめいめいが花嫁のように着飾るのだ
見よ、下を、冷たきせせらぎの流れるところを
そこでは今日 男も女も裸だ
彼らは幸福に飲み干すのだ 野の香りと響きを
そしてこの空の青さを見つめる
そしてすべての者は歓呼し、すべての者は摘んでいる
この世の偉大な喜びの花たちを
だがわれらは目の前に落ちている果実を拾わねばならぬ
その金色の実は夢とうつつの間に落ちるのだ
われらはそれを銀の盆に乗せて運ぶ
神殿へと、そして槍と楯のそばへと
われらはひれ伏す:香りに、果実にそして照らし出すのだ
人々を彼の晴れやかな姿に向かせるために!
この曲にはドラマ性があって、アリアのような華やかさもある。
Rシュトラウスの歌曲の女声が歌う曲では、Frühlingsfeier(春の祭典)なんかもそこらのアリアよりよっぽど華やかな作品がありますが、残念ながら演奏される機会が少なく、一部の特に初期の作品ばかり演奏されるので、もっとシュトラウスの歌曲は色々演奏されて欲しいといものですが、伴奏も難しいというのが曲のハードルを上げている気がします。
さてブランドンの演奏ですが、
冒頭に紹介したのより数年後の演奏と思われますが、
声は間違えなく良くなっていますね。
母音の発音で言えば”a”母音が本当に素晴らしい響きで、
深さのある”a”母音は難しいのですが、”u”母音の延長線上で”o”と”a”がしっかり歌えていることは特筆すべき部分ではないかと思います。
その一方で”i”母音は逆に奥めで、高音になると声は良いのですが、発音の明瞭さという面では中低音より落ちてしまい、高音でのピアノの表現もそこまで得意でないように聴こえます。
ですが、子音の扱い方がとても上手く、言葉の色を見事に表現しているので、演奏そのものは伴奏とも相まって、大変表情の豊かで魅力的なものになっていると思います。
現在はドイツのドレスデンを中心にシュトゥットガルト、イタリアのパレルモなどでモーツァルト作品を中心に歌っているようです。
YOUTUBEには全然音源がないのですが、着実にキャリアを積み上げ、一流劇場で活躍している歌手であることは間違えありません。
個人的にはオペラよりリーダーアーベントが聴いてみたいのですが。聴ける日はくるかな~。
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