Maya Villanueva(マヤ ビリャヌエヴァ)はペルー系フランス人ソプラノ歌手。
アーティストの家系に生まれてピアノやヴァイオリンを幼少期から学び、10歳から声楽を始めているということなので、かなり早い時期から声楽の訓練を受けていたことがわかります。
更にandreas schollなど古楽のスペシャリストに師事して、イタリア古楽とモーツァルト作品をレパートリーの中心としているということです。
その他のレパートリーでは、近現代の作品、スペイン音楽にも積極的に取り組んでいるようです。
このような細くて繊細な歌声は好みが分かれるところかもしれませんが、
実際に良いのかどうか。というのは判断が難しい声とも言えるかもしれません。
私も以前から、太い声、ただの大声を批判する立場を取っていますが、一方でこのような極端に細い声に関してはどうか?
と問われると、声の「細い」、「太い」という考え方を詳しく説明する必要がでてきますので、
今回はビリャヌエヴァの声から、声の「細い」「太い」について考えてみたいと思います。
まず、ビリャヌエヴァの歌唱の特徴は、
●顔から上の響きだけで歌う。
●ノンヴィブラート
●ノンレガート
●言葉ではなく声で歌う
こんな感じになるかと思います。
一つづつ解説していくと
●顔から上の響きだけで歌う。
こちらは多くの人が聴いて直ぐにわかるのではないかと思いますが、
まるでマイクを使って歌っているような感じにも聴こえます。
「声を高いポジションで維持する」、「無駄な力を抜く」
アマチュア合唱などでもこういった指摘はよく耳にすることと思いますが、
何が無駄で何が必要な力なのかを判断して実践することが本当に難しので、
ただ「力を抜け」とだけ言われたら、まず多くの人がこのような顔だけの響きで歌おうとすることでしょう。
顔だけの響きというのは、結局喉が上がった状態なのえ、喉を締めて声を細くしているというだけです。
●ノンヴィブラート
古楽の歌唱では特にヴィブラートが嫌われ風潮があるため、
それを踏襲した歌唱と言えると思います。
ただし、綿密な意味でヴィブラートというのは揺れている声ではなく、
倍音が含まれている肉声のことなので、
本当の意味でノンヴブラートとはブザー音のようなものになってしまうので、
こういうタイプの歌唱はボーカロイドで再現し易いんじゃないかな?なんて思ったりしてしまう訳です。
●ノンレガート
こちらは聴いての通りですね。
●言葉ではなく声で歌う
こちらはちょっと分り難いかもしれませんので、
簡潔な例を挙げますと以下のような感じでしょうか。
Patricia Petibon
実演と録音を比較するのはあまり好ましくないので、
この曲は入っていませんが、このCDの録音映像が以下
この比較は、言葉の持つ色合いやリズム感が出て前面に出ているプティボンに対して、
どこまでも自身の声やフォームを維持して歌っているビリャヌエヴァの歌唱が実に対照的です。
二人共声は細いのですが、この違いは何か?そこが核心部分ですね。
日本でも、古楽の演奏と言えばビリャヌエヴァのようなタイプが良いとされています。
例えば波多野睦美氏。
波多野睦美
録音だと色々と調整ができますから、なんだかとても曲の雰囲気にあっているようで、これはこれで良い歌い演奏のように聴こえます。
さて、ではライヴでしかもピアノ伴奏で歌うとどうなるか?
私はこの人、どう聴いてもメゾソプラノには聴こえないのですが、
声種のことは置いておいても、日本語なのに何言ってるか全然わかりません。
これが録音だとある程度調整はできますが、ホールで言葉が聴こえないような歌唱が良いとは言えません。
この映像は、ビリャヌエヴァの声が不自然かをよく示しています。
インタビューの声を聴いたら、歌声の細い声とは違って、深く低めの声にも関わらずとても滑舌がしっかりしています。
一方、2:40~のフィガロの結婚のバルバリーナのアリアなど、
断片的に出てくる歌唱映像での声は、喋っている声からは想像もできないものです。
逆の言い方をすれば、ビリャヌエヴァの喋っているポジションはとても素晴らしいと思います。
よく使われる「浅い声」というのは、結局のところ、この深い話し声と同じ幅より狭くなってしまっている状態、とも言えるかもしれません。
例えばフランス人ソプラノで細い声と言えばデセイ。
2007年のインタビューということで、何度か手術をした後なので、多少喋っている声にザラつきがありますが、
喋っている時の深さで(深さというのは胸の響きがある状態と言えば良いかもしれませんが)
この状態と変わらない質の歌声を出すことができているので、ただ高音が出るだけでなく、細い低音でも発音が奥に引っ込まずにちゃんと飛ばすことができる訳ですね。
ビリャヌエヴァの場合は、高くて細い響きのまま低音が出ているように聴こえるのですが、実は音色が暗くなって鼻に掛かり気味の声になってしまい、その結果として言葉も不明瞭になる。
顔だけの高いポジションで響きを維持し続けることが良いことだと思っていると、ビリャヌエヴァのような声の問題に陥ってしまいがちで、多くの日本人ソプラノがこういう状況になり易いのも「胸に落とすな」、「響きを集めろ」などを実践した結果なのだと思います。
今回は分り難い内容になってしまったかもしれませんが、
「綺麗な声で歌う」
という事と、
「言葉で表現する」
ということの違いが感覚的にでも伝わればと思います。
勿論このような歌い方で素晴らしい演奏に聴こえる曲はあるでしょうが、
特定のレパートリーだけは声と相性が良いから良い演奏に聴こえるのか、
その歌手が純粋に歌が上手いのかは全く別物であることを意識するきっかけになって頂ければ、今後色々な演奏を聴く時に違った聴き方が出来るのではないかと思います。
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