『可愛い声は間違った発声』という価値観は正しいのか? Laura Giordanoの声から考察してみた

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Laura Giordano(ラウラ ジョルダーノ)は1979年、イタリア生まれのソプラノ歌手。

パルマ生まれで、現在もパルマの劇場(Teatro Massimo)を中心にヨーロッパ各地で活躍しており、これぞスーブレットソプラノ!と言える声の持ち主として、20年近くもフィガロの結婚のスザンナや、愛の妙薬のアディーナを歌い続けている珍しいタイプの歌手。

大抵の歌手は年齢と共に声が変わっていくに従って歌う役も変わっていくものですが、
ジョルダーノはモーツァルト、ベッリーニ、ドニゼッティのスーブレットソプラノの役柄を中心にず~~~っと歌い続けていて、声も殆ど変わらない。
なんて歌手は、最近だとあまり思い浮かびません。

 

 

 

ドニゼッティ ドン・パスクワーレ フィナーレ
Quel guardo il cavaliere

 

こちらは2006年の演奏なので、大体27歳
なんて可愛い声!
惚れてまうやろ(笑)

 

 

 

こちらは2011年の演奏
このアリアの理想的な演奏なのでゃないかと個人的に思っています。
最後の方で繰り返される
「mi piace scherzar(ふざけるのが好き)」
みたいな歌詞を、真剣に必死で歌ってたらやっぱり違和感がある訳で、
ただ上手く歌うのではなくて、音楽と表現と声がしっくりくる演奏でないとノリーナという役が歌うアリアにはなりませんよね。

 

 

余談ですが、声楽を学び始めて間もない頃、声に惚れたソプラノと言えば
Lucia Pop(ルチア・ポップ)とか、Rita Streich(リタ・シュトライヒ)とかHilde Güden(ヒルデ・ギューデン)といった歌手でした。
私は懐古厨だったので、知りもしないクセに60年代以前の歌手が本物で、現在の歌手は大したことない。みたいな思い込みをしていました。
なので、更に古い所ではLily Pons(リリ・ポンス)なんかはコロラトゥーラの理想だと思っていたものでした。

でも、今考えてみると、ポンスもそうですし、戦前のイタリア人ソプラノは可愛い声の歌手が普通に一流と言われていたではないか!?
それが今では、全然こういう声のイタリア人ソプラノはいなくなってしまいました。
その名残のような歌手はLuciana Serra(ルチアーナ セッラ)だったのではないかと思いますが、彼女の声も、「オペラを歌うには可愛過ぎる声」という批判をする人がいました。

 

世間一般として、可愛いは正義と言われたりするのですが、
声楽に於いては、「可愛い声」といわれると、まずダメな場合です。

合唱でもソロでも、クラシックの声楽を学ばれている、特にソプラノの方であれば、
「可愛い声を出さないで!もっと口を縦に開けて!」

と言われた経験があることでしょう。
しかし、ここで考えたいのは

横に開いた声=可愛い声
縦に開いた声=可愛い声にはならない。

という理屈が本当に成り立つのかということです。

 

 

 

Amelita Galli-Curci

 

 

 

 

Luisa Tetrazzini

 

軽い声で、戦前イタリア人ソプラノとして有名なのはこの2人。
ただ、録音のせいもあると思いますが、この時代の女声の演奏は特に発音が不明瞭なので、
戦前の偉大な歌手と言われると、往々にして男声歌手の方が知名度が高く、実力も高く評価されているように思います。

 

 

 

 

モーツァルト フィガロの結婚 Deh vieni, non tardar

ネトレプコの演奏と比較すると、発声の違いは明らかです。

 

 

 

 

Anna Netrebko

ジョルダーノの声は、浅くて可愛い声だからダメなのでしょうか?
更に言えば、口は横に開いてはいません。

ここで無理やりジョルダーニは戦前の歌唱技術を継承している正しい伝統的なイタリアの歌唱をしていて、ネトレプコの歌唱は所詮亜流で一流じゃない!

などと無理やり結論付けようなどとは考えておりませんが、
「浅い声」、「可愛い声」、というのは絶対的に誤っている!
と教え込まれることが果たして正しいのかどうかを考え直すには、ジョルダーノとネトレプコの歌唱を比較することは意義があると思っています。

本当に軽い声の学生が、無理やり掘ったような、何言ってるのか歌詞も全く聞き取れないような歌唱をしているのを目の当たりにしたりすると、
きっとジョルダーノのような歌唱を聴けば

「え!?これで良いいの?」
という疑問を持つはずです。
正しい歌唱の中にも多用性は必ず存在しています。

既成概念を疑うというのはとても大事なことだと考えていて、
例え指導者が正しいことを言っていても、なぜそういう指導をするのかが理解できなければ、結局正しく生徒は解釈することはできません。

簡単な例を挙げれば:「腹筋使っで支えて」と言われても、
声楽的な支えを理解していなければ、腹筋に力を入れるだけで、ただ筋肉を硬直させるだけで全く逆効果になってしまいます。

それに、ジョルダーニの歌唱は発音が全部口の前でさばけていて、
ディナーミクに左右されて発音が前になったり奥に引っ込んだり、ということがない。
多くの日本人ソプラノこそ、こういう歌唱をもっと参考にすれば良いのに。と思えて仕方ない。
この声で日本歌曲歌ったら絶対良いだろうな~。

 

 

 

 

メールカウンセリング門次郎

 

 

 

 

ヴィオレータ パッラ Gracias a la vida

※パッラは20世紀前半に活躍したシンガーソングライターのフォークソングのようです。

 

 

 

 

こちらがオリジナルの演奏みたいですね。

最近アップした演奏のようなのですが、
完璧なレガートで、全く無駄な力が入ってなくて、

これは個人的な好みなのかもしれませんが、
やっぱり大きな声より、こういう自然な響きで歌われる方が良いなと思いますし、
軽い声のソプラノであっても、超絶技巧や超高音を駆使しない曲でも上手く歌えなければ良い歌手とは言えず、
そのためには、結局誰でも出せる中低音が豊かに響く事が大前提であることを改めて認識させてくれる演奏でした。

 

 

 

 

 

ドニゼッティ 愛の妙薬(途中まで)

 

この映像、最後の方が切れているのが残念なのですが、
ジョルダーノのアディーナ役は、私の知る限り最も理想的かもしれません。
ただ可愛らしいとか、活発というのではなく、
Sっ気のあるお嬢様系とも違う。
常に何をするにも余裕があって自然体と言えば良いのでしょうか。

全然吠えるような声を出すことがなく、声量はそれほどないのかもしれませんが、
どの音域でもポジションがブレず、響きの安定感は驚異的です。
とんでもない発声技術で歌っているのに、それが全く表に出てこないので、多くの人には簡単そうに歌っているように聴こえることでしょう。
ブッファオペラは、奇をてらってデフォルメ声をだしたり、過剰な表現をすることで聴衆の受けを狙うような演奏も沢山ありますが、ジョルダーノは一切そんな小細工をしません。
こんな完璧なアディーナは聴いたことないです。

 

 

こんな素晴らしいソプラノがいたことを、最近までなぜ私は知らなかったのだろう?
やっぱりイタリアは歌の国ですね。
有名になっている歌手=一流では決してない。
きっと彼女のような、日本では全然知られていない素晴らしい歌手がまだまだ沢山いるのでしょう。

そう思うと、尚更、
「現代的な発声」、とか
「黄金時代の発声」みたいな観念は邪魔なだけなのかもしれませんし、
素直に良い演奏、多面的な解釈を受け入れる度量と、本当の意味での教養が聴衆にも必要であることは間違えないでしょう。

しかし、多様性を認める=間違えを見逃す
ではないことは重要なポイントです。
だからこそ、多様性を受け入れるには教養がいるのだと私は考えています。

ジョルダーノの歌唱技術がいかに優れているとは言え、もしトスカなんて歌ったら、
そりゃ、
ち・が・う・だ・ろ!」と私は書くでしょうしね。

彼女は自分に合った歌い方とレパートリー選びをしているからこそ素晴らしい。

 

2件のコメント

  • こりー より:

    Yuyaさん、こんばんは。
    ラウラ・ジョルダーノ、いいですねー!
    いい歌手を紹介してくださり、ありがとうございます❤
    可愛い声で、響きが安定していて、声が前に響いていて!
    それでいて自然体でお茶目で、
    アディーナやノリーナのキャラにぴったりハマっていますね、実に素晴らしい!

    声量はあるに越したことはないけど、声は小さめでもいいんですよ
    こういうのでいいんだよ!です
    彼女は普通の音域でも自然で素敵な歌が歌えるし
    声に合ったレパートリーを歌う事の大切さが良くわかります
    軽い声を正しく成長させたら、というお手本です!
    歌う時に肩や胸が動かず、でも上体がリラックスしていて
    本当に丁度いいバランスで全身が使えているのでしょうね

    ヨーロッパの劇場でも、軽い声を無理に暗く作って太い声を出したり
    美声にまかせてただただ吠えるように歌っている歌手も結構いるんですよね…
    演出家や指揮者がハバを利かせすぎて、歌手やオーケストラに無理をさせたり、不自然な音楽を作らせたり
    これは演出家や指揮者が悪いのか、そんな人を雇う劇場が悪いのか…
    だって、観客も不満な人も多いのに!

    あら、ジョルダーノの素晴らしさを書くつもりが、
    劇場への文句になってしまって、すみません

    • Yuya より:

      こりーさん

      私が初めてジョルダーノを聴いた時と同じような衝撃を共有できたようでとても嬉しいです。
      仰る通り「彼女は普通の音域でも自然で素敵な歌が歌える」コレに尽きると思います。
      軽いソプラノ=技巧で聴かせる。
      という固定観念を持ってる人も多いので、そういう方にこそジョルダーノの歌の魅力が伝わって欲しいですね。

      スーブレットソプラノの役柄は、どうしても若さと動けることが重要になってしまうし、
      あまりオペラに詳しくない聴衆には、演劇的にはっきりしていた方が分かり易いだけでなく、
      むしろ、最近は玄人でも歌以上に視覚的な要素を重視する傾向がある気がします。

      歌はそこそこでも、演劇的に栄える歌手が重宝されたり、
      最近はやけに色気づいたメゾっぽい声の歌手が歌ったりしますよね。
      その結果、スーブレットソプラノ役は若い歌手が歌って、声が成熟したらもっと重い役を歌う。
      というようなパターンが出来上がってしまい、完成されたスーブレットソプラノの声への探求が行われなくなったのではないかと考えています。
      だからこそ、これだけ実力のある歌手があまり有名にならないのでしょう。

      後は、声を理解しない演出家が力を持ったのも仰る通り原因の一端であることは間違えないでしょうね。
      アルフレード・クラウスも、若い才能が潰されていることを嘆いていましたからね。
      しかし、最終的に評価を下すのは聴衆ですから、
      ネトレプコがマクベス夫人を歌った時、
      ダムラウがヴィオレッタを歌った時、もっと聴衆はそのレパートリー選びに厳しい反応を返すべきだった。
      そうしたらもっと長く彼女達は声を維持できていたのではないかと思えてなりません。

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