若くして完成度の高い歌唱ができるメゾAline Quentinに伸びしろはあるか!?

Aline Quentin(アリーヌ カンタン)はフランスのメゾソプラノ歌手。

2018年にパリの音楽院を卒業したばかりで、その後はシュトゥットガルトの歌劇場で 、Ulrike Sonntagのもと研鑽を積んでいるようです。

 

Ulrike Sonntagのクラスと言っても全然想像できない方が殆どでしょうし、私も知りませんでした。
調べてみると、それなりに若手歌手の育成場所として世界的に知られているようなのですが、実際そのクラスの模様をYOUTUBEにある映像で見てみると、正直このレベルかぁ。
と思ってしまう感が否めませんでした。

 

 

 

2017年度の生徒の卒業演奏と思われますが、正直そこまで素晴らしいと思える歌手は見当たりません。

ですが、
ここからが本題のカンタンの歌唱。
この人は若くしてかなり完成された歌唱ができる印象を持ちました

 

 

 

 

 

– “La pitoyable aventure !” – air de Concepcion, L’heure espagnole, Ravel
– “Von ewiger Liebe”, Brahms
– “Signor, quel infelice. “, air de Proserpine, L’Orfeo, Monteverdi
– “What a movie !” – air de Dinah, Trouble in Tahiti, Bernstein

 

こちらは2017年以前の演奏なので、まだ音楽院在学中のものでしょう。
歌唱には若さというより、それなりにキャリアを積んだ歌手の安定感のようなものがあって、上手さと一緒にもっと若い歌手ならではの危なっかしさが逆に欲しくなってしまう感じがします。

最初のラヴェルのスペインの時のアリアは上手いのですが、ブラームスは、なぜこの曲を選んでしまったのだろう?
という、学生がよく陥り易い選曲ミスをしてしまっているように聴こえます。
ブラームスの「永遠の愛について」は、9割型の学生が歌ってはいけない曲です。
まず、この曲が求める響きの深さを出そうとするとフォームを崩す。
ただ、カンタンの素晴らしいところは、全然低音域が鳴っていませんしレガートも全然甘いのですが、自分の持っている楽器以上の声を出そうとしていないこと。
これが若い歌手には中々できません。

学生でこれほど理性的に歌えると言うのは非常に優れた才能と言ってしまった良いのではないかと思うのですが、持っている声以上のものは出ないので、曲の求める声に自分の声を合わせようとすると絶対に道を踏み外すことになりかねません。

モンテヴェルディは逆に清潔に歌おうとし過ぎて、あまりイタリア語に聴こえない。
こういうのを綺麗に歌おうとすると非常に退屈な演奏になってしまう。
とは言っても、20歳過ぎでこれだけ歌えれば十分に上手いですね。

最後のバーンスタイン。
元から発音が奥めなので、米語の奥で発音するところが相まって、
ブラームスとは逆に、この曲は重々しい声に感じてしまいます。
アペルトという訳ではありませんが、もっと明るく唇の先に言葉が乗るような歌唱にしないと、この曲を選んでもあまり意味がないのではないかなと思えてしまいます。
あくまで、最初のラヴェルの完成度が高いがために、他の曲でのマイナス面が目立っている感じと言えば良いのでしょうか。
勿論学生としては大変素晴らしい歌唱に違いありません。

 

 

 

モーツァルト 皇帝ティトの慈悲 Parto Parto

こちらが2019年の演奏。
ピアノの表現が本当に上手いですね。
ただ声が小さいだけでなく、強い声の時と同じ響きからポジションが外れることなく、緊張感のある弱音で歌うことができています。
何より悪い癖がないのが良いですね。

学生の時の演奏と比較しても、籠り気味だった発音が前に出て来て、結果として言葉に活力が出てきました。

 

 

 

 

Rシュトラウス ナクソス島のアリアドネ Sein wir wieder gut

今年の演奏になると更に歌唱に磨きが掛かっています。
ドラマティックな音楽なために、高音多少勢いに任せて太くなり過ぎてしまっている感はありますが、中低音の充実感が随分とでてきて、確実に身体ができてきているという印象を受けます。

 

 

 

 

 

モーツァルト コジ・ファン・トゥッテ Smanie implacabili

 

上のナクソス島と同じで、こちらも今年の2月の演奏ということですが、
ドイツ語とイタリア語で響きの質が変わってきています。
これは演奏会場や録音環境の違いもあるでしょうが、ドイツ語の方が前に響き、イタリア語の方が奥行のある響きになっているのは良い傾向ではないかと思います。

後は響きがもう少し明るくなればといったところではあるのですが、
歌っている姿勢や口のフォームを見た限りではコレといった癖はないので、
微妙に作ったような響きになってしまっていることで、暗めで響きが上がり切っていないように聴こえる原因が何かは正直わかりません。

 

 

 

 

ロッシーニ セビリャの理髪師 Una Voce poco fa

昨年の演奏に戻るのですが、
この演奏には、ロジーナという役の快活さや軽やかさがやっぱり欠けていて、
その原因を想像すると、大きく捉えれば結局のところ発音になるのでしょうが、もう少し絞れば舌の使い方や力みなのではないかと考えられます。
ドイツに留学した人も、イタリアに留学した人も、上手い人は決まって喋ることの大切さについて言及します。
ちゃんと歌詞を喋れるようにしてからじゃないと歌ってはいけないとまで言うくら・・・
彼女の歌唱を聴いていると、その辺りの意識がまだ薄いように感じられるので、今後どう改善していくのか注目したいと思います。

 

MILLEPORTE 

 

 

 

 

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