もっとも有名で上演回数の多いドイツ語のオペラは、間違えなくモーツァルトの魔笛でしょう。
そして、若手技巧派ソプラノが名前を売るために最もな重要な役がや夜の女王である。と断言してしまっても、異議を唱える人は少ないのではないでしょうか。
その一方でタミーノ役は微妙な立ち位置です。
華やかなアリアがある訳でもなく、
キャラとしてもパパゲーノや夜の女王より魅力が薄い。
はっきり言ってしまえば、魔笛というオペラにとって、タミーノ役の良し悪しが直接オペラの正否を左右するような重要な役と考える人はあまりいないかもしれません。
しかし、テノール歌手の観点からするとこの役は大変重要です。
技術的には、目立って超絶技巧を聴かせたり、力強い高音が必要だったり、無論分厚いオーケストラを突き抜けるような声量な訳でもないため、例え上手く歌えてもあまり目立たないのですが、下手なところははっきり出てしまう。
声質からも、軽い声のテノールは勿論のこと、後々ヘルデンテノールになるような強い声のテノールも若い時に歌っていることが多い、
言ってしまえば、幅広い声質のテノールがプロのテノール歌手として成長するためには避けて通れない、一流テノールとして認められるための登竜門的役なのです。
Helge Roswaenge(1897~1972)
戦前のドイツ系リリックテノールで外せないのはやはりロスヴェンゲでしょう。
真っすぐに突き抜けるような高音と、ポルタメントやヴィブラートが全くない歌唱で、今聴いても古さを感じさせない演奏だと思います。
Julius Patzak(1898~1974)
ロスヴェンゲより柔らかく軽い、理想的なモーツァルトテノールの声を持っていたのが、
オーストリア生まれのパツァーク、
オペラ歌手でありリート歌手であるとWikiには書かれていますが、
正直リート歌唱は歌い崩しが多く、ディースカウやヴンダーリヒが出てきてからと比較すると、オペラより格下と見られていたことがよくわかる。
この魔笛のアリアとは対照的に全く洗練された感じがしないところがあるいみ興味深いです。
Fシューベルト Die schöne Müllerin
Franz Völker(1899~1965)
ラウリッツ・メルヒオール、やマックス・ローレンツと共に戦前のヘルデンテノールとして活躍したフェルカー。
この人は現代的なリリックテノールの役でもヘルデンテノールの役でも柔軟に歌いこなせるタイプでした。
メルヒオールやローレンツのような圧倒的なパワーと存在感はないものの、リートを歌っているかのような繊細で丁寧な語り口でありながら、力強い響きをもっているため、戦前の偉大な声と現代的な感覚を兼ね備えたテノールと言っても過言ではないことが、この魔笛のアリアからでも伝わるのではないでしょうか。
個人的にはロスヴェンゲよりフェルカーの方が好きです。
この人のマイスタージンガーの優勝の歌は歴史的名演奏だと思います。
ワーグナー ニュルンベルクのマイスタージンガー Morgenlich leuchtend
Walter Ludwig(1902~1981)
フルトヴェングラー指揮の魔笛でタミーノを歌った録音がある。
という以外は特筆すべき点はないような気もしますが、所々輝かしい声を聴かせているのも事実はあります。
とにかく声ではなくリズム感がぐにゃぐにゃで酔いそうなモーツァルト演奏で、
なんじゃこりゃ!?
という演奏です。
これはルートヴィヒというよりフルヴェン仕業か!?
Rシューマン Dichterliebe
https://www.youtube.com/watch?v=-G1zWU_1b0k
所々声がアペルトになってしまうところが個人的には好きになれないのですが、
パツァークの水車小屋と比較すると断然完成度の高い演奏で、
この人はオペラよりリートの方が上手いのかもしれない。と思わせる演奏です。
Anton Dermota(1910~1989)
絶妙なミックスボイスを駆使した繊細な歌唱には、
胸声で強い高音を出す現代的な歌唱とは違った要素を感じることができます。
モーツァルトはこうう感じで歌って欲しいなぁ。
と思う方も、もしかしたらいらっしゃるかもしれません。
プッチーニ Nessun dorma(ドイツ語歌唱)
カラフという役が歌うアリアとして良いかどうかは別として、
世間一般で横行しているような、とにかく絶叫するような力で押す高音ではなく、
伸びやかに美しく旋律を歌うと、まるで別のアリアのように聴こえてきます。
パヴァロッティもこういう風に歌ってればよかったのにねぇ。
Nicolai Gedda(1925~2017)
現代に大きな影響を与えた戦前生まれのテノール歌手と言えば、
カルーソー、デル・モナコ、ヴンダーリヒ、パヴァロッティ、Aクラウスといった名前が挙がるかもしれませんが、実は最も人間離れした痕跡を残したのはこの人かもしれません。
クラシックでこの人に歌えない作品は、オテッロや道化師といったごく一部の超ドラマティックな役と、ジークフリートやトリスタンといった強いヘルデンテノールの役しかないのではないか?
と思わせるほど発声技術、超絶技巧、言語能力、音楽性といったあらゆる要素を高い次元で具現化し、当然モーツァルト作品でも優れた録音を残しています。
意外にも、ロベルト・アラーニャが理想とした歌手がこの人だったというのを何かの雑誌のインタビューだかで見た記憶がありますが、そう考えてみると、ラダメスのような重い役を歌いながらもネモリーノのような役を50歳を過ぎても歌い続けてるところを見ると、確かに意識してるように感じなくもありません。
ゲッダはつい最近までご存命だったので、ヴンダーリヒより遅い生まれかと思ってしまいますが、実は5年も早く生まれています。
Luigi Alva(1927~)
ロッシーニやイタリア語のモーツァルトオペラでは優れた歌唱を聴かせるアルヴァも、
ドイツ語歌唱では中々力が出し切れないようです。
イタリア語より、母音の狭いドイツ語歌唱で不自然なヴィブラートが目立つという不思議な現象が起こってることは興味深いです。
機会があれば原因を考えてみたいと思います。
モーツァルト ドン・ジョヴァンニ Il mio tesoro
マニアには非常に定評がある、アルヴァのトスティがこんな安価で売られているとは!
Fritz Wunderlich(1930~1966)
言うまでもなく現代のタミーノ役の象徴はこの人。
大抵イタリア人歌手や、イタリアに留学した人はドイツの歌手を嫌う傾向にあるのですが、
この人だけはイタリア人歌手からも大変尊敬されている印象を受けます。
パヴァロティより理想はヴンダーリヒ、みたいなことを言うテノール歌手を意外と多いような気がします。
あくまで体感ではありますが・・・。
Peter Schreier(1935~2019)
モーツァルトテノールとして、そしてコンサート歌手として近代で最も録音の多い歌手は間違えなくシュライアーでしょう。
オペラよりもリートでの功績の方が大きいかもしれませんが、
優れたモーツァルトテノールとしても広く認知されていることは確かでしょう。
俗にシュライアー声と言われる、鼻の奥に何か詰まったような声で、声楽に詳しい方からは、知名度からすると厳しめな評価を受けることがある歌手ではありますが、年代によって、それこそヴンダーリヒと比較しても遜色ないような素晴らしい歌唱をしていたりします。
モーツァルト An Chloe
1975年の演奏。
この辺りの年代の演奏はマジで上手いです。
Gösta Winbergh(1946~2002)
この人もモーツァルトテノールとして高い評価を受けてますが、
シュライアーとは違って、ローエングリンまで歌える重厚感をもっていながらも、非常に柔軟で繊細な高音を操ることができるのが強みでしょう。
プッチーニ ラ・ボエーム Che gelida manina(スウェーデン語歌唱)
BやハイCはファルセットに近い響きですが、演奏としては音楽に合っていて、詩人という役でありながらも体育会系な歌唱が目立つこのアリアの演奏としては役に合った解釈だなと個人的には思う訳ですが、まぁ、ロドルフォという役に繊細さがあるかと聞かれると私は首をかしげざるを得ない・・・(笑)
Francisco Araiza(1950~)
シュライアーを境として近現代の歌手に入っていく感じになるかと思いますが、
その中でも代表的な歌手は間違えなくアライサです。
ドイツ、オーストリア以外では、デンマークやスウェーデンといった北欧の歌手が軒並み顔を揃えていた訳ですが、南米のメキシコから、近代でもトップクラスのタミーノが生まれたことは興味深いですね。
それと同時に、多くの歌手が特定のレパートリーのスペシャリストと言うより、幾つもの時代や言語のレパートリーを持つのが当たり前となったのは、テノールで言えば前述のゲッダ、ドミンゴ、アライサの影響が大きいのではないかと思います。
Peter Seiffert(1954~)
今では最高のヘルデンテノールの一人であるザイフェルトですが、
元々はリリックテノールでした。
明瞭な発音とノビのある真っすぐな響きは、理想的なドイツ系リリックテノールの歌唱と言っても良いのではないでしょうか。
Michael Schade(1965~)
最近で最も優れたモーツァルトテノールの一人と言えるのがシャーデ。
美しいフォームで歌うという領域から、より演劇的な要素が強くなり、
直線的に言葉を飛ばすような歌唱を突き詰めたのがシャーデではないかと私は考えているのですが、マーラーの大地の歌やベートーヴェンのフィデリオのような作品を歌っても、声を重くせずに説得力のある歌唱ができるのがシャーデの凄いところ。
デルモータと比較すると、同じモーツァルトテノールと言っても全く別物であることがわかると思いますが、どちらが優れているかを比較するのは意味のないことだと私は思えてなりません。
Piotr Beczala(1966~)
今ではリリコスピントとしてローエングリンやアイーダなんかも板についてきたベチャーワですが、私にはリリックテノールとしての印象が強いです。
癖のある歌唱ではありますが、どんな作品でも高いレベルで演奏出来る安定感とレパートリーの広さという面では現代でも屈指のテノールでしょう。
Daniel Behle(1974~)
まさに現在ドイツ系リリックテノールとして活躍しているのがベーレ。
個人的にはオペラよりリート歌唱の方がなじみ深く、
この演奏ではシャーデに比べると内向きな表現で、ちょっと開放感が足りない印象を受けますね。
Giuseppe Filianoti(1974~)
イタリア人テノールらしい、抜けるような輝かしい声の持ち主でありながらも、
声に似合わずドイツオペラもフランスの印象派オペラも歌いこなす起用さと知性を併せもっているのが、現代屈指のリリックテノールであるフィリアノーティ。
単純にイタリアのベルカント物~ヴェルディ中期までを中心に歌っていればもっと知名度も人気も出たと思うんですけど、ドイツ物をここまで解放された声でしっかり歌える歌手はそうはいません。
イタリア人テノールでこれだけタミーノを上手く歌える歌手を私はぱっと思い浮かべることができません。
ヴェルディ レクイエム Ingemisco
ドイツ語でもラテン語でも響きの質はかわらず、歌っている表情や姿勢を見れば分かる通り、こんな難しい曲でも楽に歌っているように見えますし、全力で張り上げるようなことは決してしません。
こういうのを聴いても、ドイツ語の作品はドイツ式発声で歌う。
なんてことが戯言だとわかりますね。
正しい発声に名前を付けようとするから誤解が生じてしまうのではないかと最近思うようになりました。
Saimir Pirgu(1981~)
リリックテノールとしてイタリア物とフランス物を中心に活躍している印象が強いですが、
しっかりタミーノ役でも質の高い演奏をしています。
シンプルな演奏ではありますが、発声技術の高さと声の美しさは現在の若手テノールでも随一でしょう。
Bogdan Volkov(1989~)
将来的にはスター歌手になるであろう逸材のヴォルコフ。
まだ30歳を過ぎたばかりだと言うのに完成された声の持ち主で、今年の短縮版ザルツブルク音楽祭でもコジ・ファン・トゥッテのフェッランド役を歌うことが決まっています。
ざっと戦前~現在の若手まで、モーツァルトテノールとして有名な歌手から、
特にモーツァルト歌手ではなくても、タミーノ役、あるいはタミーノのアリアを非常に上手く歌える歌手を取り上げてきましたがいかがだったでしょうか。
こうやって比較すると、一概に昔の歌手の方が優れていた。とは言えないことがお分かり頂けるのではないかと思います。
その一方で、現代よりも古い歌手の方が声には個性があったように思います。
音楽で言うグローバル化というのは、訛りや方言を捨てて全て標準語にしてしまうようなものだ。
と語っている音楽家がいましたが、私もそのことは感じることがあります。
その一つの例が、世界的に有名な大きな劇場で歌う声が素晴らしい。という概念であり、
どこのホールにいってもSteinway & Sonsのピアノが置いてある。
というようなものなのではないかと思う訳です。
ただ、ネット配信が盛んになっている現代、
ネット上では凄く上手いように聴こえても、実演を聴くと・・・
という歌手が出てこないとも限らないので、演奏家も聴衆も、生の音へのこだわりはグローバル基準であって欲しいものです。
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