Anna Lucia Richterは将来一流ソプラノになれるか?

Anna Lucia Richter(アンナ ルチア リヒター)は1990年ドイツ生まれのソプラノ歌手。

9歳から母親から声楽の指導を受け、ケルンで大聖堂少女聖歌隊の隊員として活動。
その後もケルンで研鑽を積み、2008年ベルリン全国声楽コンクール年少部門第2位、2011年キッシンゲンの夏音楽祭ルイトポルト賞、2012年ツヴィッカウで行われた国際ロベルト・シューマン・コンクール優勝など、若くして成功を収め、来日もしています。

更に容姿も麗しいので、本来であればかなり熱狂的なファンがいそうなのですが、
オペラよりリートの分野で注目されているだけに、それ程大きな話題にはなっていないように思います。
ですが、若くしてCDをリリースし有名な指揮者との共演を重ねている現状を見れば、注目度の高さは明らかです。
ですが、それが実力に見合ったものなのでしょうか?
それともアイドルソプラノで終わってしまうのか?
真の意味でスターソプラノになるには、これから真価が問われるのではないかと思いますので、今回リヒターの歌唱を分析していくことにします。

 

 

 

2012年 シュトゥットガルト歌曲コンクールの映像

Franz Schubert (1797–1828) Der Zwerg D 771
Erster Verlust D 226 Johann
Hugo Wolf (1860–1903) Gutmann und Gutweib

22歳ということを考えると、選曲も演奏も大人びていると言えば良いのでしょうか?
歌曲でも技巧的で華やか曲を歌った方が若いソプラノには有利なはずですが、歌い回しで聴かせる演奏ができていることには驚かされます。

ただ声に関しては年相応という印象は拭えません。
曲の雰囲気を出すのは非常に上手いのですが、純粋に声だけ聴くと、
上半身だけで歌っている感じで、2曲目に歌っているErster Verlust(初めての喪失)なんかはそれが顕著です。
どの言葉を歌ってもスピード感が同じなので、ただ綺麗に歌っているという以上の印象は残りません。

逆にヴォルフのような作品は、ピアノが劇的表現を担当してくれるので、それに乗せて声を当てれば、言葉が立たなくても表現が伝わる部分がありますから、
そういう意味では、技巧的に聴かせる作品と言えなくもありません
(ピアノは間違えなく技巧的に聴かせる能力が求められますね)

 

 

 

 

シューベルト  Der Hirt auf dem Felsen

 

 

【歌詞】

Wenn auf dem höchsten Fels ich steh’,
In’s tiefe Tal hernieder seh’,
Und singe.

Fern aus dem tiefen dunkeln Tal
Schwingt sich empor der Widerhall
Der Klüfte.

Je weiter meine Stimme dringt,
Je heller sie mir wieder klingt
Von unten.

Mein Liebchen wohnt so weit von mir,
Drum sehn’ ich mich so heiß nach ihr
Hinüber.

In tiefem Gram verzehr ich mich,
Mir ist die Freude hin,
Auf Erden mir die Hoffnung wich,
Ich hier so einsam bin.

So sehnend klang im Wald das Lied,
So sehnend klang es durch die Nacht,
Die Herzen es zum Himmel zieht
Mit wunderbarer Macht.

Der Frühling will kommen,
Der Frühling,meine Freud’,
Nun mach’ ich mich fertig
Zum Wandern bereit.

 

 

【対訳】

一番高い岩の上にぼくが立って
深い谷間を見下ろし
そして歌う時

深くて暗い谷間の向こうから
こだまが舞い上がってくるんだ
岩の裂け目を

遠くへとぼくの声が響くほど
明るくこだまはぼくのところへ返ってくる
下の方から

ぼくの恋人はとっても遠くに住んでる
だからぼくはこれほど熱く焦がれてるんだ
あの彼方を

深い悲しみにぼくはやつれ果てた
ぼくから喜びは去ってしまった
この世でぼくの希望は消えて
ぼくはここでひとりぼっちなんだ

こんなに焦がれて森の中をこの歌声は響き
こんなに焦がれて夜の中を響き渡る
すべての心を歌は天国へと引き寄せるんだ
不思議な力で

春が来るのだろう
春が ぼくの喜びが
今 ぼくはすっかり
旅立ちの準備ができている

 

 

 

こちらは2016年の演奏
前半はゆったりのテンポで、9:09~は速いテンポになるので歌唱の変化がわかる曲です。

リヒターのような演奏が好きな方がいることは承知の上で書きますが、
私はこの人の演奏、上手いとは思いますが好きになれません。

まず、この曲に限らず、ゆったりのテンポで、かつピアノで歌う箇所とそうでない箇所での違いが大きいことで、ピアノで歌っている時は殆ど口を動かさないで歌う傾向があります。
その結果、メゾフォルテやフォルテの表現ではそれなりに言葉が聴こえるのですが、
ピアノで歌っている時は、まず全てが曖昧母音に聴こえて、何の母音を歌っているのか全然わからない。
歌詞を見ながら聴いてもどこ歌ってるかわからなくなることがあるほどです。

更に、声を引っ込めると言えば良いのか、所々で変にふわっとしたような芯のない抜いた声を出すことがあって、ちゃんとしたレガートで歌えているようで、どっか緊張感が緩む瞬間があるのが気になります。

言葉では伝わり難いと思いますので、クライターとの演奏と比較してみましょう

 

 

 

Julia Kleiter

常に芯のブレないクライターの声と比べると、リヒターはピアノで出している声が鼻歌なんですよね。
だから、リヒターもレガートでしっかり歌えているように聴こえて、どこか緊張感が緩む瞬間があって、それが結局下半身との繋がりだったり、
”Drum”や”Hinüber”といった言葉が特に前に飛ばないところなんかを聴くと、口の開け方、主に唇の使い方の問題が大きいように思います。

 

 

 

 

モーツァルト 戴冠ミサ Ludamus te

 

イタリア語曲の演奏があれば、リヒターの癖が分かり易いと思ったのですが、
残念ながらないのでラテン語の演奏。
2019年に来日した時の戴冠ミサのソリストを務めた時の映像からです。
面白いことに、ドイツ語では細く繊細な声で楽々と高音が出ていたのが、
この作品では高音がかなりキツそうで、一番最後は完全に叫んでしまっています。
その上軽いソプラノのはずなのに、所々メゾっぽい声を無理に出そうとして出ていない・・・。
では、実際にメゾのオッターが歌うとどうなるか

 

 

 

Anne Sofie von Otter

オッターは”e”母音が時々”i”母音に寄りすぎる傾向があるのですが、それはさて置くとして、
メゾのオッターの方が、低音は勿論、高音まで繋がった声で歌えているので、
どんなに跳躍が激しく技巧的なパッセージがあっても、声が乱れることなく一本の線になって、響きのポイントが安定しています。

リヒターは高いテッシトゥーラで歌っている分には良いのですが、
中低音を頻繁に使う曲だと、演劇的な表現をする分には問題ないものの、低音~高音まで一本の線で芯のある声を必要とされるとまだまだ技術的に厳しい。

 

 

 

 

マーラー Wer hat dies Liedlein erdach?

こういう曲だとテッシトゥーラが低くても面白い演奏が出来るんですけどね。
声楽的な良い声を犠牲にしてこういう演奏をすることが良いかどうかは別問題ですが、
表現者としてはリヒターは稀有な才能を持っていることは間違えありません。
後は、ここからどれだけ本物の声楽的な響きに近づけるかだと思うのです。

 

アイドルソプラノというのは言い過ぎかもしれませんが、
彼女の表現は容姿や年齢と相まって受け入れられる部分もあるのではないかと思うので、
そういった部分を排除しても素晴らしい歌手として受け入れられる演奏ができるようになれるかは、これから数年が勝負なのではないでしょうか。
是非とも次世代を担うリートの名手として更に実力をつけてくれることを願いたいです。

 

 

 

CD

 

 

 

 

 

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