Lisette Oropesa(ルーゼッテ オロペーザ)は1983年、米国生まれのいわゆるヒスパニック系のソプラノ歌手。
最初はフルートの勉強をしていたようですが、声楽の道に進み2005年にメトで毎年行われているコンクール(Metropolitan Opera National Council Auditions)で優勝し、すぐに2006年から小さな役でメトに出て、2007年にはフィガロの結婚のスザンナを歌って成功を収め、その後も快進撃は続き、スカラ、ウィーン国立、パリ国立、アレーナ・ディ・ヴェローナなど世界有数の大劇場でイタリア、フランス、ドイツ物の幅広いレパートリーを歌い、現在では椿姫のヴィオレッタやランメルモールのルチアのタイトルロールを各国で歌いまくっている感じです。
では、そんな現在向かうところ敵なしといった勢いで成功を収めているオロペーザの歌唱を冷静に分析していきたいと思います。
録音年代は不明ですが、2012年6月以前の演奏であることは間違えないので、
28歳位の時の演奏と思われます。
コロラトゥーラを駆使するリリコレッジェーロの役をレパートリーの中心に据えていることもあるでしょうが、米国人歌手に多く聴かれるパワーで押す感じではなく、終始まとまりのある響きで歌うことができていることは流石と言えるでしょう。
しかし、発音には明瞭さがなく、このアリアのタイトルにもある「 Non」が「ニョン」のように聴こえる部分がある。
最初は良いのですが、8:10~8:14で2回言うのですが、出だしの5:53とは明らかいに違う母音の質です。
例えば近い世代で声質も近いRosa Feola と比較するとよくわかります。
Rosa Feola(8:10~と10:53~11:05)
高音で上半身だけの響きになってしまっている(胸の響きがなくなっている)
ということを時々書きますが、オロペーザもその典型的なタイプで、
出だしの深い「non」の”o”母音が良い響きなだけに、高音ではその深さが失われてしまい、前の響きだけの、まぁ日本人ソプラノに多い鼻声一歩手前のようなポジションになってしまっています。
一方のフェオーラは前のポイントと奥の響き、要するに深い胸の響きもちゃんと低音から高音まで繋がっているので、母音の音質もブレていません。
とは言え、オロペーザの演奏が20代なのに対して、フェオーラは32歳の演奏なので、単純には比較できない部分もあります。
こちらはマドリッドでのルチアということなので、恐らく2018年のものだと思います。
エドガルド役がロッシーニ歌いのJavier Camarenaなので、
本来この役を歌うテノールから考えるとかなり軽いことになるのですが、
そのカマレーナと重唱を歌ってちょうど良いバランスということは、
ルチアを歌うには軽過ぎるのではないかなというのが個人的な感覚です。
軽いというのはちょっと表現として適切かどうかわからないのですが、
オロペーザは中低音が鳴らない。
とても美しくて繊細には歌うのですが、響きが前に出ない。
これは偏見では決してないと思うのですが、
米語を普段使う人の歌はどうも独特な奥でこねるような傾向があって、
オロペーザも例外ではないと思います。
Christina Poulitsiのルチアと比較すれば、
オロペーザが低音でいかに響きが落ちるのかがわかります。
Christina Poulitsi
オロペーザの演奏では2:10:50~聴いて頂くとちょうど同じような箇所になります。
勿論オロペーザの高音のピアニッシモを出す技術の高さや美しさを否定するつもりはありませんが、高音だけでは歌にならないのです。
逆に、高音の完成度が高ければ高いほど、パッサージョ(五線の上のF・Fis辺り)より下の音域になると、響きが落ちてしまうと違いが顕著になる。
プリーチの演奏では低音でも響きが抜けているのに対して、オロペーザは奥に籠ってしまうと言えばよいのか、まだそこまで気になる段階ではないですが、無駄なヴィブラートもついていますし、やっぱり時々押した感じになります。
こういった癖は若い時に直さないと歌手寿命に影響してくる恐れがある。
特に、これから重い役を歌うようになると要注意で、このようなレパートリーを歌っている歌手が大体失敗するのはノルマに手をだした時です。
今でもヴィオレッタを歌いまくっているので結構危険だと思うのですが・・・。
今年のヴィオレッタを歌った演奏です。
演奏の方は、ピアニッシモの技術にはより磨きがかかった感はあるのですが、
やっぱり発音のポイントが全体的に奥なんですよね。
こちらも現在目覚ましい活躍をしている若手ソプラノ歌手Pretty Yendeと比較しても明らかです。
(Pretty Yende
真っすぐで健康的な声はどちらかと言えばイェンデです。
病床に伏しているのだから不健康な声でも表現としては合ってるではないか!
と思われる方もいるとは思いますし、それこそカラスなんかは不健康な声の代名詞みたいな感じですからね。
ですが、声が不健康なのと発音が不健康なのはちょっと違います。
具体的には、私が記事の中でも度々書く”i”母音がオロペーザははっきりしない響きになることが挙げられます。
イェンデはその辺がちゃんとできているので低音でも奥に引っ込んだ声にならない。
ここが2人の決定的な違いだと個人的には考えています。
こうして見ると、オロペーザの高音のピアノは特筆すべきなのはよくわかるのですが、オペラばかりを歌ってきて、歌曲を全然勉強してきていないなというのが歌に出ている気がします。
それは簡潔に言えば、全て声に頼った表現であるということ。
勿論オペラもそれではダメなのですが、
彼女のように、若い時からメトのような広い劇場で歌い続けている歌手は、
どうしても広い空間を響かせることが優先されますから、言葉を丁寧に扱うことより、技巧や高音をいかに華々しく聴かせるかに注力しても仕方ない部分があるのは想像に難くありません。
オロペーザには今後、
1000人・2000人のために歌う歌唱ではなく、
300人・500人のために歌う時の歌唱を追求していって欲しいと思います。
Chi sà, chi sà, qual sia, K.582
Vado, ma dove?, K.583
この通り、家で歌っても全然言葉が明確ではありません。
広いホールだからではなく、狭い所で歌ってもコレです。
Chen Reiss
1978年イスラエル生まれのソプラノ、チェン レイスの歌唱は言葉が真っすぐに入ってくる。
端的に言って、オロペーザの最大の課題がレイスの歌唱に備わっているものなのでした。
今年の8月14日の演奏のようなので最近ですね。
なぜこの曲を選んだのかはわかりませんが、
本来ハイソプラノが歌うF durではなく、メゾが歌う時のE durを選んでいるところから、意図的に中低音を使う曲を歌っているように見えます。
彼女が上手く聴かせようと思えば、高く移調した楽譜で歌った方が絶対に良いはずなのに、明らかに低音がギリギリのこの調性を選んでいる辺りに、高音だけではいけない。というオロペーザのメッセージを感じることができる(ような気がします)
この曲をあえて歌ったことが良いかどうかは別としても、高音バカではないことを彼女なりに証明しようとしている姿は純粋に応援したくなります。
>これは、「同じ米国人ソプラノ」で、こちらも現在目覚ましい活躍をしているPretty Yende
Pretty Yende, (born 6 March 1985) is a South African operatic soprano.
TEさん
訂正ありがとうございます。
過去にYendeについては記事書いて調べてたんですけど、何故かアフリカ系米国人と思い込んでしまっていました。