Victoria Vatutina(ヴィクトリア ヴァトゥーティナ (ヴァトゥーティン?))はポーランドのソプラノ歌手
2005年に音楽アカデミーを卒業しているようなので、現在40過ぎ位の年齢ではないかと思います。
ポーランド国内でしか歌っている様子が伺えず、記事もポーランド語のものしか見つからないため、ちゃんとした情報を調べることができませんでした。
とは言え、この人の歌唱は中々個性的で面白いです。
声だけを評価すれば癖が強く、技術的には一流とは言えないかもしれませんが、この人ほど言葉に魂が籠った歌唱をする人は現在中々見かけません。
【歌詞】
Ei parte… senti… ah no… partir si lasci,
Si tolga ai sguardi miei l’infausto oggetto
Della mia debolezza. A qual cimento
Il barbaro mi pose!… Un premio è questo
Ben dovuto a mie colpe!… In tale istante
Dovea di nuovo amante
I sospiri ascoltar? L’altrui querele
Dovea volger in gioco? Ah, questo core
A ragione condanni, o giusto amore!
Io ardo, e l’ardor mio non è più effetto
D’un amor virtuoso: è smania, affanno,
Rimorso, pentimento,
Leggerezza, perfidia e tradimento!
Per pietà, ben mio, perdona
All’error di un’alma amante;
Fra quest’ombre e queste piante
Sempre ascoso, oh Dio, sarà!
Svenerà quest’empia voglia
L’ardir mio, la mia costanza;
Perderà la rimembranza
Che vergogna e orror mi fa.
A chi mai mancò di fede
Questo vano ingrato cor!
Si dovea miglior mercede,
Caro bene, al tuo candor.
【日本語訳】
行ってしまうわ…聞いて…でもダメ…お別れしなきゃ
見えないところに行ってもらわなきゃ 不幸をもたらす人には
このあたしの弱点に 何という試練なの
あのひどい人があたしにもたらしたのは!…これが報いなのね
あたしの罪にふさわしい!…今こんな瞬間に
新しい恋人からの
ため息を聞かなきゃいけないの?人々の嘆きを
面白がっていていいの?ああ この心を
正しく罰して おお公正な愛よ!
あたしは燃えているわ でもこの情熱は もはや違うのよ
貞淑な愛とは それは苛立ちで 動悸で
自責で 後悔で
軽率で 不実で 裏切りなの!
お願い 愛するひと 許してください
この過ちを 恋する魂の
この陰に この木々の間に
それはずっと隠されるでしょう ああ神さま きっと!
この忌わしい欲望を打ち破ってくれるでしょう
あたしの勇気が あたしの忍耐が
そして記憶も消し去ってくれるのです
恥と恐怖をあたしにもたらすその記憶も
誰に対して 貞節を失ってしまったのでしょう
この軽率で 情け知らずの心は!
もっと良い報いがあっても良かったはずなのに
愛しいお方 あなたの実直さには
このアリアは、コジのもう一つのアリア(岩のように動かず)に比べて知名度は低いのですが、個人的にはモーツァルトのソプラノアリアの中では3本の指に入る位好きな曲なのです。
下らない内容のオペラのはずなのに、この曲の妙にシリアスな感じでありながら、長調で書かれているところと言い、効果的なホルンの使われ方と言い、旋律の美しさと言い、
Veronique Gensの演奏を聴いた時に感涙してしまったほど。
その話は置いといてヴァトゥーティナの演奏ですが、
ちょっと演劇的に歌い過ぎな感じはするのですが、音楽を歌い崩している訳ではなく、
ブレスを聴かせながら歌詞を立てるところに彼女の特徴があります。
本来、ブレスをした時に吸気音がするのは喉に負荷がかかるため推奨されませんが、劇的な表現などでは効果を発揮することも事実で、
発声的に正しい方向を突き詰めればやるべきではないとは言え、どう息を吸うかでどういう声が出るかも決まってくることを考えれば、ブレスを聴かせるという手段は上手く使えば表現として効果的であることは疑いようがありません。
母音の使い分けは好みが分かれるとは思いますが、
”a”母音なんかは、時々妙に開口してみたり、”e”母音は音域によって”i”に寄せてみたり、
響きの位置も、かなり深めのポジションからアペルトに近いところまで使っています。
同じように演劇的な表現をするレシュマンの演奏と比較してさえ、ヴァトゥーティナの演奏は個性的に聴こえることでしょう。
Dorothea Röschmann
レシュマンはスーブレットソプラノとしては素晴らしかったのですが、
リリックな役を歌うようになってから、どうも深さを作り気味な声で歌うようになってしまっているのが個人的には残念。
一方のヴァトゥーティナは重めの声を逆に細く使って歌っていて、
持っている声を軽く薄く使う方が、太い声を作るよりも良い方向に作用することがわかります。
ヴァトゥーティナは不思議な歌手で、このようなピアノを聴かせる技術がありながらも、なぜか軽い役ではっちゃけてしまうことがありまして、聴いているこちらとしては、なぜそんな歌い方をしてしまうのか!?という気持ちにさせられます。
フランス語の影響なのか、常に無駄な揺れがあって、装飾音も合っているのかすっとばしてるのかよくわからない部分が所々あって、とても良い演奏とは言えない状況です。
軽い声の歌手が重い役を歌うのは喉を壊す原因となりますが、
その逆も勿論然りで、本来リリックな声の歌手がレッジェーロな役を歌っても、特にジュリエットみたいな若々しい娘の象徴的な役では上手くハマりにくいですね。
これがボエームのムゼッタみたいな役であれば、可愛い系かセクシー系かの振れ幅が演出なんかの都合でも変わってくるので、一概にレッジェーロの声で歌う役とは言い難い部分もあるのですが・・・ということでムゼッタの演奏です。
この曲は意外と発声的な癖が出やすい曲で、
五線の上の、EやFisといったフォルテでは出し難い音域を頻繁に使うので、
ヴァトゥーティナの場合も、とにかく”a”が口を開け過ぎなのか常に響きが落ちていたり、フォルテでは全体的どの母音でも言えることですが、特に”e”母音では特に喉を押してしまっていたりと、モーツァルトで聴かせていた声はどこへいってしまったのか?と思えてならない演奏です。
ただ、声と役の違和感という意味では、ジュリエットよりムゼッタの方が少ないです。
ミミでも、チリメンヴィブラートの悪い癖は消えてませんが、ピアノの表現や、低音での胸声に落としている訳ではないのですが、胸の響きが強めな声には味わいがあって面白い演奏と言えるのではないでしょうか。
他にも幾つか映像はあるのですが、どうしても声に癖があり過ぎて、ハマると個性的で面白い演奏にはなるのですが、そうでない時はちょっと残念な感じに聴こえてしまうこともあるのがこの人の歌唱です。
声の癖の原因を推察するのであれば、やっぱり鼻声気味になっていることでしょう。
楽器を持っていて、空間を使えているために日本人の歌手に多いタイプの鼻声とは特徴が違いますが、中音域~高音に移行する辺りの音域で強い声を出そうとした時は特にその傾向が強いです。
その一方、低音は鳴るし、高音は抜ける声を持っているという本当に不思議な歌手です。
メゾピアノくらいの音量で絞っている時は喉声にならないし、
高音は抜けるので、この声でジュリエットが歌えれば全然上手いと思うのですが・・・。
これは歌い手のセンスの問題なのか、技術的な問題なのか、本当にこの歌手の歌唱は評価が難しいです😵
でも、聴いても全く記憶に残らないような歌手より、彼女くらい個性が強い歌手の方が面白いことは確かでしょう。
世界的に活躍するような歌手ではないかもしれませんが、ハマった時の演奏には中々魅力がありましたので、今回ヴァトゥーティナを紹介いたしました。
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