今日は座間市で行われた椿姫の評論をしていきたいと思いますが、
その前に、今回の公演は私がオール日本人キャストで聴いた公演で最も印象に残る演奏でした。
こううご時世ですから、できるだけカットを入れて演奏時間を短縮したり、
合唱やオケを小規模にしたり、演出上キャスト同士が接触しないようにしたりするのを多々見かけますが、今回はそのようなことがなかった。
流行病が蔓延する以前の状態と比べたら、オペラ公演を完全な形で実施したというだけでも、キャストや裏方など、公演に関わった方に対する敬意は違ったものになりますので、そういう意味では2020年以前と、それ以後を同じような感覚で比較することはできない部分はあります。
しかし、それを差し引いてもキャストのレベルは、そこらの海外勢のキャストより全然高かったのではないかと思います。
<キャスト>
指 揮 : 瀬山 智博
演 出 : 古川 寛泰
ヴィオレッタ : 田中 絵里加
アルフレード : 宮里 直樹
ジェルモン : 今井 俊輔
フローラ : 梨谷 桃子
ガストーネ子爵 : 井出 司
ドゥフォール男爵 : 仲田 尋一
ドビニー侯爵 : 岡野 守
医師グランヴィル : 加藤 宏隆
アンニーナ : 渡部 史子
ジュゼッペ : 加護 友也
使 者 : 水島 正樹
フローラの召使い : 和下田 大典
演 奏 : テアトロ・ジーリオ・ショウワ・オーケストラ
合 唱 : ハーモニーホール座間 オペラ合唱ワークショップ参加者
それでは演奏について書いていこうと思いますが、
基本的には、主役3人、
ヴィオレッタ、アルフレード、ジェルモンの歌唱分析になります。
と言っても、前回のリサイタル時に、
ヴィオレッタ役の田中 絵里加氏と、アルフレード役の宮里 直樹氏の歌唱については書いているので、
重複するような内容は避けます。
◆ジョルジョ・ジェルモン役 今井 俊輔
日本人バリトンには、どうしても本来はテノールの声だよな~。
というタイプの方が散見されるのですが、今井氏は厚みのある本当のバリトンの声の持ち主であるということがまず特筆すべきことでしょうか。
持ち声が太くて厚みのある声だったら、テッシトゥーラの高いヴェルディよりはバス寄りの作品を歌う人の方が当然多くなりますし、その中には勿論高音があまり得意でない歌手もいるでしょう。
そんな中で、今井氏はGes辺りの音まで安定して歌うことができ、バリトン歌手の高音にあり勝ちな叫ぶ感じもないので、全体を通して端正な歌唱が印象的でした。
そんな今井氏の優れた点はと言えば、響きのポイントが常に前の硬口蓋付近にあることでしょうか。
低声歌手。特に重厚な声を持っている歌手は、生まれながらによぽど優れた楽器を持っていない限りは、深い声や強い声を出そうとすると、声そのものが太くなってしまって芯がはっきりしない、どこかくぐもった感じになったり、発音が雑になってしまう歌手が散見されるのですが、彼の場合は、所謂奥を開け過ぎないことによって響きが散るのを避けているのだろうと思います。
添付した映像を見ても、ここまで口の開け方が小さい歌手は珍しいです。
元々持っている声太い声をコントロールする為の彼なりのフォームなのでしょうね。
ただ、やっぱり口が閉じているということは、響きのポイントはコントロールし易い分、どうしても声を開放し切ることはできないというマイナス面もあります。
それが影響するのは何と言ってもレガートの質です。
比較の対象があった方が分かり易いと思うので、同じように太い声質で現在活躍しているバリトン、マエストリの演奏と比較してみます。
Ambrogio Maestri
録音環境もあるとは思いますが、今井氏の方が、前にビンビン鳴っている感じがある一方で、
「Di Provenza il mar, il suol」
「chi dal cor ti cancello?」・・・という1フレーズごとに音楽が途切れてしまっているのがわかるでしょうか?
この原因が、微妙に1音節ごとに子音が入るとアクセントが付いたようになっている。
もう少し言えば、母音を歌っている時間が短いのが原因と言って良いでしょう。
逆に、1番、2番(という言い方をするのが適当かはわかりませんが)の高音を出した後にピアノでおさめる「Dio mi guidò!」や「Dio m’esaudì!」という部分は、ちょっと引き気味に歌うので、とても広がりのあるピアノでレガートの質も素晴らしく、マエストリと比較をしても全然遜色がないと思いますので、前に響きが当たり過ぎないフォルテの歌い方ができれば、もっとフレージングが自在になるのではないかなと思います。
◆アルフレード ・ジェルモン役 宮里 直樹
宮里氏の歌唱については今まで何度か記事にしているので、声については細かく書くことはしませんが、
2幕のアリアの後のカバレッタなんかは結構歌うのがしんどくて、最後はハイCに上げない(指揮者の意向で全部楽譜通り歌わされたらしい)としても、書いてある音をはしょらず、音果通りちゃんと伸ばすというのは中々大変なところを、叫ぶようにならずに安定して歌えていたのは流石でした。
今回は彼の歌唱に課題があるとすればどんな部分かというのを考察していこうと思います。
まず1つ目は言葉のリズム感。
宮里氏の歌を聴いて思うのは、とにかく楽譜に忠実な歌唱をするなというところなんですが、
ヴェルディはそれだと面白みに欠けてしまいます。
全部の言葉が均等に歌われているような感じで、安定感があって高音も強いのだけど、サラサラ流れてしまって感情の蓄積がされないと言えば良いのでしょうか?
二重子音で促音のリズムや「r」が前に出ないのも原因かもしれません。
好き嫌いはあるかもしれませんが、例えば、アルフレード・クラウスの歌唱の凄さは何かと聞かれれば、それは圧倒的な発声技術と答える人もいるでしょうが、私は歌詞がわからなくても、まるで意味がわかるかのごとく感情に訴えかけてくる生きた言葉で歌える能力ではないかと思います。
2幕の2場のクラウス
歌い崩している訳ではないのですが、正確にリズム通り歌いました。というのとは全く別物です。
こういう部分が今後宮里氏が更に高いレベルの歌唱ができるようになるために必要な部分なのではないかと思います。
2つ目はフレーズの最後の音でおさめ過ぎてしまう傾向があること
これはフレーズの語尾に不自然なアクセントが付かないようにされているのかもしれませんが、
場合によっては曲全体の推進力を弱めてしまうことがあります。
例を挙げると、終幕にヴィオレッタとアルフレードが歌う重唱(パリを離れて)の出だし。
Parigi, o cara noi lasceremo
La vita uniti trascorreremo
caraの「ra」、lasceremoの「mo」、
unitiの「ti」、trascorreremoの「mo」
とここだけで4カ所も語尾をおさめてしまうので、
日本語で歌ったとしたら、
「パリを愛おしい人よ。一緒に離れよう。」、「人生を一緒に。過ごそう。」
みたいな句読点で歌ってるように聴こえてしまうということですね。
ピアノの表現であっても、語尾の母音をちゃんと音にするということは是非やって頂きたいと思います。
後は高音の音質のバリエーションが、強く張るだけでなく、柔らかく広がるような出し方もできたら良い。などはありますが、年齢を考えれば十分過ぎる程安定感のある中音域~高音を持っているので、年齢を重ねてどう進化していくかというところを楽しみにしたいと思います。
◆ヴィオレッタ ・ヴァレリー 田中 絵里加
前回のリサイタルでのハイライト以上に、全曲を歌うと上手さが傑出していたと言えるでしょう。
単純に音圧という面だけで見れば、男声2人の方が強かったのですが、
田中氏の凄いところは全く子音で息が止まらず、フレージングが変幻自在なところ。
3幕は圧巻の出来でした。
ヴィオレッタという役は、かなり強い声の歌手~リリコ・レッジェーロの声の歌手まで歌うので、どんな声が役に相応しいかは好みが分かれる部分ではあるかもしれませんが、幕ごとに違った表現が求められるというのは多くの方の共通認識だと思います。
そして、声だけでキャラクターの違いを表現しようとすると多くの場合上手くいかず、
特に軽い声のソプラノがヴィオレッタを歌うとフォームを崩すことがよくあります。
最近の有名歌手ではダムラウがそうでした。
そこにきて田中氏は絶対声を押さないし、自身の許容範囲を超えた劇的な表現をしない。
役の息吹と、彼女自身の理性をここまで両立できるというのは、ただただ脱帽するしかありません。
今回の演奏で課題があるとすれば、ヴィブラートを重唱などではもっと抑えられると良いなと思ったくらいなのですが、そこもドイツ物だと克服出来てるんですよね。
ドイツ語が前で子音をさばかないといけないというのもあると思いますが、奥の空間が狭くなり易い分、声に奥行が失われ易い一方で、不要なヴィブラートはつきにくい。
歌う言語によって歌手の良い部分、悪い部分が見えたりするのも声楽の面白いところでしょうか。
余談ですが、
1幕のアリアでハイEsを出さなかったので、ハイEsが出せないと思った聴衆もいたかもしれませんが、これは指揮者の指示であることは確認済です(笑)
因みに、私はこのアリア、ヴィオレッタという役と1幕のアリアのバランスが今一つしっくりこないので、ハイEsは出さない方が好きです。
あともう一つ、やっぱり流行病のせいで、演技でも咳き込むことはNGなのですね。
これじゃボエームでも、ミミが咳き込まないのに、マルチェッロが「酷い咳だ」とか言わないといけないのか?と思うと演出も色々知恵を絞らないといけない時代になったなと思えてしまいます。
その他の役では、
医師グランヴィルを歌った加藤 宏隆氏が良かったですね。
正直、このレベルの歌手が脇役というのは勿体ないなと思いました。
無駄な力を緩めて低音を鳴らせる歌手は中々いないので、彼はバス役での活躍に期待したいところです。
最後に、指揮ですが、
ムーティかショルティをリスペクトされているのか、とにかく音楽のテンポの緩みがない。
歌い手に自由もない。
でも、とりあえず盛り上がるとこではアッチェレ掛けるのよね。
嫌いではないですが、ヴェルディは歌手に合わせて曲を書いているし、
実際トロヴァトーレの「見よ 恐ろしい炎を」でテノールがハイCに勝手に上げてもヴェルディは何も言わなかったので、楽譜は下に降りるように書いているが、上に上げるのが恒例となったという話もあるくらいです。
もちろん楽譜を無視して良い訳ではないですが、全てが楽譜に書いてある訳でもないし、ノーカトで楽譜通り演奏するってのは録音でやれば良いことで、生演奏ではより即興性のあるスリリングな演奏を楽しみたいというのが私の感覚である。
しかし、冒頭の繰り返しになってしまいますが、このご時世にこんだけ気合の入った演奏をしてくれたことには感謝したいと思いますし、出演された方、準備に携わった方全てに敬意を表したいと思います。
最後に全然関係ないですが、
また以下のような動画を作ったので、興味があったらご覧頂けると嬉しいです。
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