英国のロングボロー・フェスティバル・オペラ(Longborough Festival Opera)のジークフリートがストリーミング配信されたのですが、少し聴いて喉が痛くなって断念。
今年のバイロイトのジークフリートを代わりに聴くことにしました😫
SIEGFRIED Wagner – Longborough Festival Opera
<キャスト>
Siegfried
Bradley Daley
Mime
Adrian Dwyer
The Wanderer
Paul Carey Jones
Alberich
Mark Stone
Fafner
Simon Wilding
Waldvogel
Julieth Lozano
Erda
Mae Heydorn
Brünnhilde
Lee Bisset
何がダメかって、タイトルロールのBradley Daleyという歌手は、
どうやったらコレで歌えるのかと言うほど徹底したノンレガート唱法なので、ドイツ語字幕が出ているにも関わらず言葉がわからない。
10年以上前の音源ですが、YOUTUBEに道化師のアリアを歌ったものがありました。
声が出るアマチュアが歌っているのではないか?と思わせるような、絶望的な歌の下手さに驚かされます。
それは結局レガートができていないからなのですが、
ではなぜレガートができないといけないのか?という部分も少し書きたいと思います。
少し話が脱線しますが、8/15にテノール歌手の吉田志門さんが日本に戻って、日本歌曲中心のプログラムでリサイタルをされたので、私も拝聴させて頂いたのですが、彼の歌唱は声以上に詩へのアプローチ、そこから生まれるフレージングを肌で感じることができるものでした。
ペチカ
ぜひ先日の演奏会のアンコールで歌った、木下牧子の「竹とんぼ」をアップして欲しいなぁ。なんて思うのですが、それはおいておいて、
声と言うのは点であり、その点を線にするためにレガートが必須と言えば良いのでしょうか?
レガートが不完全でも発音が明瞭であれば単語は聞き取れるかもしれませんが、文章としては伝わってきません。
具体例を出せば、「この道」の出だしだけでも
「この道は」で句読点を入れて「いつか来た道」を改めていい直すのか、
一節を繋げるのか。
「道」にアクセントを持ってくるのか、メロディーを重視して一番高い音の「いつか」に頂点を持っていくのか。など様々な表現がある訳です。
どんな解釈が最善なのかは意見が色々あるでしょうが、一番重要なのは、どのような解釈で演奏者が歌っているかが聴衆に伝わることです。
レガートができていないとここが破綻してしまうので、歌手がどんな表現をしたいのか伝わってこないので、結果的に歌として成立しなくなってしまう。
勿論、残響が長い教会などでミサを歌うなど、特殊な環境ではまた違ったアプローチが必要になってくることはあるでしょうが、ソロで歌曲やオペラを歌う場合は、まず上記に該当すると考えて良いと思います。
こその点で志門さんの歌唱は本当に素晴らしくて、
彼の感情が直接流れ込んでくるような、そんな演奏でした。
そんな訳で、レガートが全くできないBradley Daleyの演奏は到底私には受け入れらないということになります。
旅人(ヴォータン)を歌ったPaul Carey Jonesもほぼ同様
単語の塊は発しているだけのようで歌に聴こえない。
しかも、ヴォータンを歌う声でもない。
ブリュンヒルデを歌ったLee Bisset
以下略
ミーメ役は特殊で、一般的な歌の上手い下手とは計るベクトルが変わってくるので、ここでは取り上げません。
と、こんな感じなので、聴いてて色々溜まってきてしまったため、
今年のバイロイトのジークフリートを聴き直すことにしました。
<CAST>
Siegfried
Andreas Schager
Mime
Arnold Bezuyen
Der Wanderer
Tomasz Konieczny
Alberich
Olafur Sigurdarson
Fafner
Wilhelm Schwinghammer
Erda –
Okka von der Damerau
Brünnhilde
Daniela Köhler
Waldvogel
Alexandra Steiner
今年のバイロイトについては批判的な意見を書いてきましたが、
ジークフリートは現在最高のジークフリート歌いのシャーガーなので聴く価値があります。
まぁ、今年のバイロイトの指環は演出面で大荒れのようで、神々の黄昏で演出家に盛大なブーイングの嵐が飛んだようですが・・・。
それでも、音声だけ聴く分にはシャーガーの歌唱は健在で安心しました。
明るく鋭い声でありながら、2幕フィナーレの森の小鳥との対話部分
2:28:00~2:34:50などで聴かせる繊細で柔らかいリリックテノールのような表現は素晴らしいの一言。
底なしの体力と持ち声だけでこの役を歌っている訳ではないことは明白で、シャーガーの技術は本物だと思います。
こんな感じで、英国のワーグナー演奏は残念なレベルであるとよくわかりました。
それこそ昔は、昨日動画にしたチャールズ・クレイグのような本物のドラマティックテノールや、ギネス・ジョーンズのようなドラマティックソプラノもいたのですが、今では絶滅してしまったのでしょうか・・・
Yuya様
吉田さんのペチカを動画で聴きました。➡私にはどうしても世界で活躍中のテノールのレベルではないと思います。先ず絶対音感がズレている。そして「声に芯」がない。「声に力」がない。長音符で声が揺れている。吉田さんはビブラートをかけているつもりかもしれませんが、コントロール出来ないだけです。音楽無知で聴く耳のない者の感想です。
SK様
私だけでなく吉田志門さんまでディスるとは、よほどご自身の耳に自信があるんですね。
あなたの知識が高度過ぎて「絶対音感がズレている」の意味がわからないので解説してくれますか?
一体何Hzであなたの耳は調律されているのでしょう・・・。
とりあえず、どの音がどれ位「高い」OR「低い」のか具体的に書いてくれませんかね。
そしてYuya様、先日はコンサートにお運びくださり、誠にありがとうございました。
まさか書いて頂けるとは思いも寄らず、恐縮ですが、本当に嬉しいです。
私自身披露宴云々の中でベストを尽くしたといって良いと思います。
しばらくは演奏会の事情でレパートリーもの(バッハやシューベルト)が続きますが、「周りからのアドバイスを受け入れないワガママな自分」にも久し振りに再会したいです。理性より本能が圧勝するような野性的なレパートリーに挑戦したいですね…
吉田志門様
お忙しい中私の記事をご覧下さりありがとうございます。
そして、
ワードプレスのセキュリティが気まぐれで、書き込んで頂いたメッセージがスパムに振り分けられてしまって、
何度も文面を投稿する手間を掛けさせてしまったようですいません。
先日の演奏会、変な話ですが、声云々ではなく、日本語だからこそ直接伝わってくる志門さんの世界に触れて、
なぜ1にも2にもレガートが重要なのかを実感することができて大変勉強になりました。
正直な話、動画にされているペチカから先日のきのまき作品まで、生で聴いたというのも大きいのでしょうが、短い期間でこれほど演奏が変わるのかと驚かされました。
また更に大きくなった志門さんの歌唱に触れられる日を楽しみにしております。
SK様
吉田志門です。私の動画をご視聴くださりありがとうございました。また、いくつかの点においてご指摘をくださり、ありがとうございました。
この半年前の「ペチカ」を今自身で聴き返してみて、(特にこの夏は集中して日本の歌に取り組んだのもあるのですが)今だったら別の演奏が出来るのかもしれないという前向きな気持ちと共に、今後のこの動画の公開設定を変更しようかと考えているところです。
「声の芯」は、演奏するフィールドで求められる質や量が大きく変わります。私の声の芯はマッチョではありませんが(実は私はマッチョになりたい希望があるのですが)、それでも私の声の、この太くないがしなやかな芯を愛してくださる方々には感謝しています。その方々無しにはここまで信念を持って歌い続けてこられませんでした。
今後自分の声の芯がどう成長していくか、楽しみです。苦しみ無くしては声の成長はありません。厳しい気持ちで臨みたいと思います。
音感は、非常に厄介なテーマです。この半年間、別の視点から音程や和音について見つめ続けてきました。今後の演奏に活かされると良いなと思っていますが、もしかしたら後退する結果に終わるかもしれません。
私はここまで、自分が期待していたよりもはるかに私を評価してくださったドイツ・日本の皆様のお陰でここまで頑張ることが出来ました。が、厳しいご指摘をしてくださる方々は、私にとって宝です。謙虚な気持ちを忘れずに今後も頑張っていきます。いつか会場でお目にかかれますように。そしてその際は「成長したね」と言っていただけるよう、頑張ります!吉田志門拝