まず、私は別に演奏が素晴らしければ、どんな性別の人がどんな声種を選ぼうがそれこそ立派な個性だと思うのですが、
男性が性転換してバリトン歌手をやっている。という「ダケ」で注目されることについては違和感しかありません。
それがLucia Lucas(ルチア ルーカス)1980~
という米国人歌手です。
ヴェルディ リゴレット Pari siamo
まず、この演奏プロのオペラ歌手として注目するに値する演奏かどうか?
という部分。
なお、性転換する前の演奏が以下
ヴェルディ ファルスタッフ È sogno? O realtà?
男性だった時の演奏とあまり声に変化がないようにも感じるかもしれませんが、上半身に頼った歌唱で、横に開いた平べったい声になることが多々あるのが気になるところ。(特に”e”母音が顕著)
それでも、男性だった時は、体格でカバーできているところがあって、まだ高音でもそこまで喉声にはなっていなかったのですが、
転換後は、五線の上のミの音辺りで、すでにギリギリな感じになっており、最後の高音は完全に喉声になっている、
流石にプロとしてヴェルディのアリアを歌うには厳しいレベルの演奏と言わざるを得ない。
にも拘わらず、性転換してからの方が注目されているということが私の感じている違和感なのですね。
こういうのを見ると、差別というより、むしろ性的マイノリティだと注目されてる。という現象が発生している。
声楽ではないですが、辻井伸行氏を「盲目のピアニスト」とか言うアホがいますが、彼は盲目なのにピアノが弾けるから素晴らしいのではなく、彼の音楽が他人には真似できないから多くの聴衆の心を掴んだのです。
楽譜というものを見たことがない。ということが他の音楽家には絶対にできない想像力を与える、
感じたものから音楽の世界を創造して、楽譜という世界からは全く解き放たれたところに彼の演奏がある。
楽譜の枠にとらわれない演奏は、視覚的情報に9割以上を頼って生きている健常者には絶対できないことである。
では、性転換したLucia Lucasは、それによって彼にしかできない演奏をしているのかどうか?
ここが一番重要なポイントである。
普通に考えれば、女性ホルモンを入れていく訳ですから、ホルモンバランスが変わる訳で、転換してからの方が声が高くなると考えるのが自然。
なので、声が男性の時より細くなるのは自然なことだと思うのですが、歌唱スタイルの転換ができていないから単純に演奏レベルが落ちたように聴こえる。
というのが私の率直な感想です。
つまり、転換して下手になった。これだけのこと。
女性に転換したからバリトンをやるのはオカシイ!!
と言うつもりはありませんが、身体の変化をレパートリーに反映させないスタイルがアイデンティティとして評価されることには違和感を覚えるのは私だけではないのではないかと思います。
皆さまは、Lucia Lucasについて、どう思いますか?
ここからは、まったくLucia Lucasとは関係ない内容になるのですが、
最近著名な音楽家が次々に他界されていて落ち込みますね。
外山雄三氏が亡くなったことはかなり大きく報じられましたが、
その後も、ワグネリアンにとっては最も尊敬されている日本人指揮者とも言える、 飯守泰次郎氏、
三大テノール全盛期にフレーニやカバリエと共に相手役として活躍していたソプラノ歌手Renata Scotto(レナータ・スコット)と立て続けに偉大な芸術家が他界されたというのですからショックですよね。
スコットについては、
正直私はフレーニや、その後に完璧なコロラトゥーラを得意として大活躍したデヴィーアより上だと思っていまして、
特に軽いレパートリーを歌っていた1960年代の演奏は、ベルカント作品にドラマティックな表現を持ち込んだカラスの影響が強い時代の中にあっても、少ない息を効率的に響かせて、圧力ではなく張り詰めた緊張感を切らさない多彩なピアノの表現で徴収を惹きつける理想的な歌唱だったと思います。
1967年 Renata Scotto
ドニゼッティ ランメルモールのルチア l dolce suono 1/2
l dolce suono 2/2
こうして改めてスコットの歌唱を見てみると、
無駄な口の動きのなさ、息の柔らかさにただただ感嘆します!
後にドラマティックな訳を歌って歌唱スタイルが変わってきますが、少なくとも1960年代のスコットは理想的な歌唱だと思います。
遅くなりましたが、ご冥福をお祈り申し上げます。
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