大変ご無沙汰しております。
最近本番が立て込んでおりまして、中々色々な演奏を聴いたり、記事を書く時間がとれておりませんが、明日でひと段落しそうです。
ということで、明日合唱ですけど参加することになった第九が、
ライブ配信されるようなのでお知らせさせて頂きます。
コバケンとその仲間たちオーケストラ 史上最高の第九に挑む Vol. 4 祈りの第九
ここに参加することになった経緯なのですが、
「コバケンとその仲間たちオーケストラ」には、障害を抱えた方が参加されており、その中で視覚障害を患いながらもヴァイオリンを弾いている知人から、
このオケをプロデュースしているコバケンの奥様、桜子(ようこ)夫人に私を紹介下さって、今回参加することになったという経緯があります。
全盲でオケに入って、練習番号とかまで覚えて引いてる方とか、本当に尊敬しかありません。
自分もかなり苦労して、譜読みしてるとは思っていましたけど、点字楽譜で交響曲暗譜してる方と比べたら微々たる功労ですからね。
こうやって宣伝をしている関係上、ソリストについては今は書きませけど、主役はそういった困難を乗り越えてプロもアマも、障害の有無も関係なくコバケンの元に集ったオケの皆様であることは申し上げておかなければならないでしょう。
第九の合唱に参加するのは、大学生の時以来なのですが、
正直、音大生にとって第九は、バイトでアマチュア合唱団に加わって歌う行事に過ぎない面が強く、テノールとかソプラノは、とりあえずアマチュアの方が出せない高音を出してあげれば良いんでしょ!
みたいな気持ちで参加してる人も少なくないと思う。
実際自分も、あまりに演奏頻度が多すぎて作品に対する敬意とか無くしてました。
しかし、コバケンは、何百回と演奏しているにも関わらず今でも一日中スコアと向き合っているのだそうで、一流指揮者は、
例えば朝比奈隆なんかも同じようなエピソードがあったようですから、それ位勉強することが当然なのかもしれないけれど、学生時代なんて作品に対して失礼な歌唱をしていたのだろうと恥ずかしくもなり、一方では、音が高いとか、声楽的に書かれてないとか関係なく、オケの一部として声を出せる方向性が見えてきた気がします。
第九の中で「合唱」をどう位置付けるかでも歌い方は変わると思っていて、
例えば、合唱がオペラ合唱的な民衆を表している場合と、
それこそ、今回のテーマとなっている”祈り”を表現するような、オケに言葉を乗せる役割に徹する場合だと、やっぱり歌い方は全然違うと思います。
こういう記事を書く活動をしてきた関係で、演奏者がどういった意図で、フレージングやテンポを設定してるかみたいなことを考えるようになった経験が、こんなところで生きてくるとは思わなかったのですが、改めて、自分の好みで演奏を判別するのは悪いことではないですけど、演奏者の意図に想像力を膨らませて寄り添うのも大切だと今回の第九に参加させて頂いて感じております。
でも、技術的な部分はどこまでも冷徹で機械的なんですよね。
そこは妥協してはいけない/(^o^)\
コメントする