メキシコ出身の名テノール
Ramon Vargasが、最近の演奏会でドイツリートを積極的に歌っている姿が見られて興味深いので紹介します。
まず、今年の6月の演奏で、
得意としているイタリア物、スペイン語の物も歌っていますが、
Rシュトラウスやベートーヴェン、シューマンの歌曲も歌っています。
今年の9月でいよいよ60歳になるヴァルガスですが、
まだまだ若々しく柔軟な声を維持しています。
2曲目に歌った「フェデリコの嘆」(E’ la solita storia del pastore)の高音などを聴くと確かに瑞々しさが失われてきていることは否めませんが、それでも曲が進むにつれて徐々に良くなって
最後に歌っているJurameなんかは、スペイン語圏のテノールが歌うと特に栄える曲で個人的に好きなんですが、こういう曲を最後にしっかり決めてくれるところは流石です。
でも、今回注目するのはドイツ物です。
いきなりRシュトラウスの「明日」(Morgen)から始めるという選曲は、リートの演奏会などを聴いても、むしろアンコールに演奏される機会が多い曲だけに不思議な感じがしますが、演奏を聴くと妙に説得力があって、こういうプログラムの組み方もあるのか~と演奏とは違う部分でも楽しめました。
Wigmore Hallでのリサイタル
こちらは5年程前の演奏会ですが、
ここでシューマンの「詩人の恋」を歌っています。
”e”の長母音が時々開き過ぎることがあるのは気になるのですが、
ヴァルガスの演奏の何が素晴らしいかって、五線の真ん中より下の音の響きや発音が非常に明確で、高音と全く質が変わらにこと。
なので、ベートーヴェンの「君を愛す」(Ich liebe dich)みたいな、単純な曲を上手く歌うことができること!
ラテン系のテノール歌手がこういう曲を歌ったら、大体の場合はボチェッリのような感じになってしまう。
Andrea Bocelli
因みにヴァルガスの演奏は、最初に紹介した画像の17:28~です。
比較すると、ボチェッリはわざとデフォルメ演奏してるんじゃないか?
とさへ思えてしまうかもしれませんが、柔らかい声で中低音をしっかり響かせることができるテノールは中々いません。
私は記事の中で、「中音域~高音域まで繋がった声」
という表現を良い歌唱に対して使うのですが、
ボチェッリとヴァルガスの演奏の違いを聴いて頂ければわかる通り、
結局硬い響きになってしまうとレガートが甘くなり、表現としても当然柔軟性がなくなってしまいますし、言葉も飛び難くなります。
そういう意味でも、本来高声歌手の中低音というのは、上手い歌を歌うためには高音以上に重要な要素だと言えるのではないかと考えています。
ヴァルガスがベートーヴェンに続いて歌っているシューマンの「Widmung」(献呈)ですが、こちらもリートの名手として知られるシュライアーと比較すると、やっぱりヴァルガスの中間部での中低音での響きがいかに優れているかがわかります。
Peter Schreier;
この曲はシュライアーにとってはテッシトゥーラが低過ぎて、全体的に鼻歌っぽくなってしまっているのですが、
兎に角細く声を鼻の方に通す歌い方を極めているシュライアーは、破裂音や”e”母音でも開いた声にならずに、詰まった感じがありながらも無駄なヴィブラートがなく、どんな子音が来ても均一な音質で歌えるのは凄いです。
あくまで私の感覚ですが、日本の合唱指導に於けるテノールの理想形はシュライアーなんじゃないかなと思えてなりません。
それと比較するとヴァルガスは、明るく開いた”e”母音が時々浮いて聴こえることがあります。
こういうところがラテン系の歌手っぽさではあるのですが、”u”母音や”i”母音は、柔らかさの中に深さもあって、シュライアーの薄い響きとは雲泥の差です。
こういうのを聴いていると、今後ヴァルガスがオペラの第一線から退いてコンサート活動が中心になった場合、もしかしたらリート歌手として本格的に活動するようになるのでは?
と思えなくもないのですが、いかがでしょうか・・・。
まだドイツ物を歌った録音がないのは残念ですが、近い内に出ても不思議ではありませんね。
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