Regula Mühlemann(レグラ ミューレマン)は1986年、スイス生まれのソプラノ歌手。
モーツァルトやドイツリート、宗教曲のソリストとしての歌唱に於いて、若くして高い評価を受けており、CDも何枚か出している。
来日もしており、声には若々しさがありながらも安定した歌唱を聴かせていました。
今回は久々に知名度の高い歌手を取り上げて、歌唱分析をしていきたいと思います。
2010年からルツェルン音楽アカデミーで声楽を学び始めたとwikiにはあるのですが、
2012-13シーズンの年で既にジュネーヴのGrand Théâtreに出演しており、相当レベルの高い歌唱を聴かせていることからも、音楽アカデミーに入る前に習った先生が相当優秀だったのではないかと推察できます。
2012年
ドニゼッティなんて歌っているイメージがなかったのでちょっとびっくりしました。
聞こえが良く言えば端正に歌っている。逆に言えばスケールが小さい歌唱と言えば良いのか
言葉も音程も綺麗なんですけど、ザックリ行ってしまえばイタリア物の歌い方ではないんですよね。
じゃあ、イタリア物の歌い方って何かと聞かれると簡潔に説明するのは難しいのですが、
ミューレマンのようなとても軽い声で、ロッシーニやドニゼッティを歌わせれば近代では最高と言って良い歌手だった、セッラと比較すると響き方の違いがわかると思います。
LUCIANA SERRA
もちろん、歴史的に見ても最高レベルのセッラと26歳頃のミューレマンの歌唱を比較するのは間違っているのかもしれませんが、
注目して頂きたいのは、技術や高音ではなく、
セッラはこれほど軽く高音を楽々だせる一方で、中音域でも響きが全く落ちないのです。
一方のミューレマンは、高音では響きが良いポジションに乗るのですが、直ぐに落ちてしまう。
これは何度も記事の中で指摘しているように、口の開け方や、上の前歯を見せて歌っていることも関係していることは間違えないのですが、基本的に響きの空間が狭いので、綺麗な声ではあるけど、響きに豊かさがまだ不足しているといったところでしょうか。
やっぱりこういう曲は上手いですね。
声だけ聴けばまだまだ課題はあるのですが、リズムを揺らさずに、きっちしした拍節内で個性を表現できると言えば良いのか、癖はないのに個性的な演奏ができると言えば良いのか、モーツァルト物の間の感じ方は本当に素晴らしいなと思います。
2015年
この曲だと、”i”母音が特に硬くなる傾向があるのがわかりますね。
それでも、2012年の頃に比べると響きに随分深さが出て、響きの質も中音域~高音まで安定しています。
アデーレ役で、今年の新国の こうもり に出演予定のナザロワと比較すると、ミューレマンの声に、まだ硬さがあることがわかるかと思います。
Maria Nazarova
ミューレマンは清潔な響きで安定感のある歌唱を聴かせるのですが、響きに広がりがありません。
一方ナザロワは、声に柔軟性があって響きにも広がりがあります。
まぁ、ナザロワが無茶苦茶上手いという話もあるのですが、
役として声を作るにしても、ミューレマンは詰まったような声を出したり、押したりする傾向があって、ナザロワのように緩める方向の声がないので、どうもブッファなのにセリア風味な声になってしまうのが勿体ない。
2019年
この人の歌唱を一言で言うなら
「詰まりながら上手い」ではないかと思います。
決して開放感のある響きで心地よい訳ではないし、繊細なピアノの表現がある訳でもないのですが、
余計なことをしないと言えば良いのか、
超絶技巧をこなす。
とか
声量がある。
といったのとは違う種類の技術を持っていて、
例えるなら、
良い当たりではなくても確実にヒットゾーンに打球を飛ばす打者のような感じ。
そういう意味では、華のある、いかにもスター歌手といったタイプのソプラノとは全然違うのですが、
それでも広くオペラファンに認知される歌手となったことには、冷静に考えてみると中々意外なことなのかもしれません。
余談ですが、
全然違う声質なのに、なぜか私はミューレマンとエルトマン(Mojca Erdmann)を混合することがあります。
ファンの方、ごめんなさい。
イタリア物の歌いかたというのが、セッラ やナザロワの声を聴くとよくわかります。
前のほうで発音しているので、明るくて、聴こうとしなくても(^_^;)耳に入ってくる感じがします。
ミューレマンは、声が美しいけど、耳をしっかり働かさないと何を言っているのかわからない感じがします。
…あってるのかな(^_^;)
めぐさん
ミューレマンも前のほうで発音はできているんですけど、如何せん広がりがないですよね。
余計な力がどこかに入ってて、十分な共鳴を得られていないのだと思います。
チェチーリア・バルトリの響きの質もこんな感じですね~。