【評論】 NISSAY OPERA 2020 特別編『ルチア~あるいはある花嫁の悲劇~』 11/14

「日本製」のゴアテックスを使用した水・雪に強い婦人用ブーツです。これからの雪のシーズン、雨のシーズンでもおしゃれに足元を飾りながら、濡れずにムレない構造が好評を頂いております。累計販売100万足を達成しました。

 

本日は久々にオペラへ行くことができました。

NISSAY OPERA 2020 特別編『ルチア~あるいはある花嫁の悲劇~』

 

 

 

<キャスト>

【キャスト】 11月14日(土) 11月15日(日)
ルチア    高橋 維     森谷 真理
エドガルド  宮里 直樹    吉田 連 ※
エンリーコ  大沼 徹     加耒 徹
ライモンド  金子 慧一   妻屋 秀和
アルトゥーロ 髙畠 伸吾    伊藤 達人
アリーサ   与田 朝子    藤井 麻美
ノルマンノ  布施 雅也    布施 雅也

 

この公演は主役に注目の若手歌手の2が揃うという、
私にとっては絶対聞き逃すことができないものでした。

とは言え、本命中の本命はテノールの宮里 直樹 氏で、
個別の歌唱について書く前に言ってしまいますが、案の定一人だけ次元の違う歌唱をしていました。

今回はコロナ対策ということが絡んでいたため、通常の公演とはかなり違って、
ルチアの一人芝居的な演出となっており、他のキャストは壁を隔てた舞台横で歌うという形式だった上に、金管楽器を使わず、金管パートをピアノが弾いたり、かなりの部分でカットがなされて休憩なしの1時間40分程度の内容となっていました。
ルチア以外のキャストには本当に少ししか出番がなかったり、アリアがなかったりで、ちょっと内容として物足りなさはありました。

そんな訳で、歌唱について書くのはルチア・エドガルド・エンリーコ・ライモンドになります。

 

 

 

<評論>

 

◆ライモンド役  金子 慧一

暖かい声質で役とはマッチした声だとは思いましたが、声種はバスではない。
今回はコロナ対策ということで、オケも縮小されていたし、客席もかなり空いている状況だったので、通常の公演に比べれば声を響きやすい状況だったのですが、
それでも低音が鳴らないのはバスとしては物足りない。

一方の高い音域は時々素晴らしい響きがあって、
時々というのが勿体ないのですが、喉が上がってしまうような声の時があるかと思えば、
力みなくハマる時があります。

音型なのか母音などの影響なのかはわかりませんが、
聴いた限り特に苦手な母音があるような感じではなく、詰まっていたり、鼻声だったりということも特にはないので、バスの声を作ろうと太い声にし過ぎているというのが私の印象でした。
それでも押して高い音を出す訳ではないので、薄い響きではあるけど高い音域は綺麗な響きをしていました。

役的にはあまり感情を前面に出して歌ったり、表現的にも複雑な心の変化を歌い分けるということがないので、もっと違う曲の演奏を聴いたら、また違った印象を持つ可能性はあるかもしれません。

 

 

 

◆エンリーコ役  大沼 徹  

 

 

 

 

 

 

 

 

最近イタリア物を歌っているところをよく見ますが、
ドイツ物を歌った方が明らかに発音が前に飛ぶし、横に開いた響きになることがないです。

とは言え、どの音域でも声が薄くなることなくしっかり高音まで出せる技術は流石で、
ルチアとの二重唱では最後のAsまで出していたのは驚きました。
大沼氏は私の感覚としてはキーンリーサイドに近い感じの声質だと思いますし、
魔笛の演奏は同じ環境で聴いたらどっちが歌ってるかわからない自信があります(笑)

 

 

 

Simon Keenlyside

 

そんな訳で、声の厚みや音域に影響されない響きの安定感は抜群と言えますが、
特に高い音域で”u”母音が押し気味になったり、”a”母音が横に開き過ぎたりすることがあり、言葉の色合いと声がリンクしない部分があることが改善されるとイタリア物も更に良くなるのではないかと思います。

 

 

 

 

◆エドガルド  宮里 直樹 

 

 

 

まさかここまで素晴らしいテノールになっていたとはッ!

まるでヨハン・ボータの声です。

 

 

 

Johan Botha

 

 

決して重い声ではないのですが、中音域でも音圧が落弱くなることなく真っすぐ飛ぶ上に、しっかり言葉を喋れているので、呼吸と発音がしっかりリンクしていて、今回のキャストで唯一発音がハッキリ聴こえました。

発音と呼吸がリンクするとはどういうことかと言いますと、
同じテンポ、同じ音程で何小節も歌うような箇所があった場合、
ただ真っすぐに良い声を出すだけでは何も表現が付きません。

だからといって、特定の単語やアクセントだけ強く歌うのでは不自然ですし、ロマン派ならまだしも、古典派やバロック作品だったらテンポを揺らすわけにもいきません。
そこで重要なのが感情と呼吸に声をリンクさせることなのですが、これが結局喋るように歌うことができてないと不可能な訳で、それを宮里氏はできていた!

恐らく今現在活躍してる大半のテノール歌手(外国人も含めて)の中でもトップクラスと言って良い程の才能だと思います。

初めて彼の声を聴いた時は、中島康晴氏が芸大在学中の時の衝撃に近いものを感じて、
この人は10年に一人いるかどうかの逸材だなと思いましたが、もしかしたらそれ以上、
市原太郎・山路芳久クラスのテノールなのかもしれません。

 

 

言葉では中々凄さが伝え難いので、僭越ながら解説動画を作ってみました。

 

歌い出しの音がスパっと決まる。
声が決して揺れない。
歌い崩しがない。

ただ声が良いだけでなく、表現の面でも無駄なことをしない非常に好感を持てる歌唱でした。

 

 

 

◆ルチア 役   高橋 維  

 

 

一番最近投稿された彼女の演奏を選んだらこうなりました。
悪意とかはございませんので、ファンの方は気を悪くされないでくださいませ。

 

さて、今回はルチアという役のモノオペラ的な要素を押し出したコロナ対策版だったので、ルチア役は1時間40分をほぼ歌いっぱなしという過酷な状況でした。
そのことを考えれば、集中力を切らすことなく、丁寧に正確に歌い切ったことはそれだけで称賛に価すると思います。

過酷な条件で稽古中でも色々カットが変更されることもあったでしょうし、通常の楽譜を暗譜するのとは違った難しさもあったと思いますし、本当によく歌いきったなという感想が第一です。

 

そして歌唱の方ですが、
まずルチアを歌うのを知った時、テッシトゥーラが合ってないのでは?
という疑問を抱き、案の定それは的中してしまった部分がありました。

テッシトゥーラというのは、簡単に言うと役柄の平均的な音域のことで、
ルチアという役は狂乱の場が有名なので、超高音を沢山駆使する役だと思われることがありますが、実際は意外と低い音域が多いのです。

高橋氏は夜女を得意とするような、典型的なハイソプラノなので、
中低音が多いルチア役は、下手をすると狂乱だけアクロバティックに歌って終わり良ければ全て良し。
といった演奏になりかねないのではないかと心配していました。

実際は、確かに中低音の響きはお世辞でもしっかり出ているとは言い難い状態でしたが、
とにかく丁寧に、響きを落とさないように歌う様は立派でした。
しかし、中低音が響かない原因は、楽器の問題ではなく、鼻寄りに響きを集めているからであることも事実で、技巧的なパッセージは大体ヴォカリーズのように歌詞がなく”a”で歌われますが、その”a”が中低音では全て鼻に入れたところから始まっている。
そして、高音から下行してきた時にもそこに入ってしまう。

高音での柔らかい弱音の美しさが際立つだけに、フォルテの表現で硬くなったり、
中低音で鼻に入ったりするのが本当に勿体なかったです。

面白かったのは、同じ中低音でも、うつ伏せに近い状態で歌っている時などに響きのポイントが変わって、決して声量が増した訳ではないのに、ハッとさせられる程響きに広がりが出る瞬間があったことです。

表現については、言葉が飛ばないので、どうしても緩急による表現が中心になり、
比較的自由にテンポを揺らせる狂乱では良さが発揮されましたが、
男性陣との重唱では物足りなさを感じる場面がありました。
この辺りを今後どのように鍛えてくるか楽しみにしたいと思います。

 

 

 

<おわりに>

最後にちょっと愚痴を書かせて欲しいのですが、
そりゃコロナ対策だってわかります。

わかりますけど、私のお目当ての7割はエドガルドだった訳です。
なのに、最終場面をバッサリ切って、まさかのエドガルドのアリアとカバレッタがなしって、
それ、フルコースのメニュー頼んで、メインディッシュは品切れなので出せません!
と言われたのに値段は同じ。みたいな気分な訳です。
勿論、様々な対策で費用がかさんで、恐らく利益なんて出てないでしょう。ということも分かってますよ。
分ってるけど・・・納得はできないですよね。
そこは、全役のアリアはせめて切らない演出を考えて欲しかった。

ともあれ、
またオペラは開催が難しい状態で、ヨーロッパはロックダウンまでしているので、
今日舞台に立った皆様と明日舞台に立たれる皆様、
そして裏で舞台を支えて努力されて方々には心から拍手を送りたいです。

 

 

 

CD

 

 

 

4件のコメント

  • Leona より:

    宮里さん素晴らしかったですね。
    私は発声的なことよくわからないんですけど、ただ声が飛びぬけて良いというのとは違うということでしょうか?

    • Yuya より:

      Leonaさん

      メッセージありがとうございます。

      例えとして良いかはわかりませんが、
      野球で言えば、巨漢で筋骨隆々の選手がホームランを量産できるか?
      というのに似ている気がします。
      絶対にパワーは必要なのですが、ボールを遠くに飛ばすにはスウィングスピードやボールにかける回転なども重要な要素です。

      それと同じように良い声は重要な要素ではありますが、声をコントロールする技術や、言葉に対する感覚、作品に対する様式感の理解など、
      ただ良い声だけでは上手い歌にはならない。というのと
      発声的な部分で言えば、声(言葉)を遠くへ飛ばすことは技術であって、決して声量ではないのです。
      ピアニッシモでも、広くて響きの悪いNHKホールの後ろまで声を飛ばせる歌手がいるように、
      声量があることと、響きが充実していることも別の領域の話なので、
      ただ持っている声が良いとか、声量がある。ということ以上に、実は良い歌手の条件として重要なポイントが沢山あります。

  • pi より:

    私も行きましたが、一番上手い宮里さんがカットされてたのは本当にもったいなかったですね、運営は何考えてるんだと。

    • Yuya より:

      piさん
      コメントありがとうございます。

      運営側の立場としては、
      ルチアという演目と、休憩なしで終わらせることを考えての選択だったのでしょうが、
      神々の黄昏なんて一幕で2時間くらいはありますから、終幕をカットするのが時間の都合というには無理がありますよね。

      私個人の意見としては、歌唱より演出の方が重視されることの弊害が今回現れたのではないかと思っています。
      ルチアしか舞台に登場させない演出上、彼女の死で舞台を締めない訳にもいきませんからね。
      歌手に主導権があれば、一番実力のある歌手のアリアをカットするなんて暴挙は起こっていないでしょう。

コメントする