Ludovic Tézierの声がおかしい!?

Ludovic Tézier(ルドヴィク テジエ)は1968年フランス生まれのバリトン

現在最も華々しい活躍をしているバリトンの一人と言えると思いますが、
そんなテジエが、先日のグリゴーロに引き続いてスカラ座でリサイタルを行った映像が公開されました。

 

 

Recital Ludovic Tézier in HD (Teatro alla Scala)

 

 

このリサイタルの冒頭から私は凄く違和感を感じました。
ヴェルディを得意とするテジエがリートを歌ってることや、それが上手いかどうかというような、プログラム、作品に対するアプローチの違和感ではなく、
なんか声そのものが変・・・。

 

どう変なのかを文字にするのは難しいのですが、
一言で言ってしまえあ不自然な声!

響きが前に集まっているのに喉が鳴っているようで、
低音は特に作ったような声になってしまう。

ディナーミクも不自然で、メゾピアノがない。
無理やり芯の有る声を作っているような感じなのですが、弱音では抜けてしまう。

テジエってこんな声だったか?
と思い、私が最近聴いて素晴らしいと感じた2019年初めの演奏会を聴き直してみました。

 

 

 

 

やっぱり声が違う!!

スカラのリサイタルは兎に角終始声が不自然に硬い。
今回のリサイタルでは、十八番のドン・カルロのアリアを歌っていないこともあり、
比較できる曲がないため、リサイタルで歌っている曲で、別途音源がある曲でどう不自然なのかを診ていきましょう。

 

シューベルト Ständchen (2017年の演奏)

今回のリサイタルでのは8:21~

まず顕著なのが”i”母音の響きで、
2017年の演奏では特に違和感はないのですが、今回のリサイタルでは、喉で押したような、不自然に圧力で響きを集めたような”i”の音質になっています。
これは音域に関係なく、低い音域でも悪い意味で過剰な圧力の掛かった声に聴こえてしまうし、高音でも勿論同じ。

この曲の一番最後「beglücke mich」という歌詞の部分なんかは”i”母音の不自然さを如実に聴くことができて、
2017年の演奏が良いかどうかは別としても、まだ自然な声なのですが、
今年の演奏での「glücke mich」がピアノで歌った音質とはとても思えない。
えせヴェルディバリトンが作った声のような詰まった声な上に、ちょっとでも弱音にしようとすると響きが無くなって、柔軟なディナーミクが全然できていない。

まったく証拠はありませんが、私の感覚として、このあまりに不自然な鳴り方をする声は、ステロイドによるものです。
強い圧力には耐えられても、柔軟な筋肉の調整ができないので、自然なディナーミクができなくなる典型的な症状・・・。

 

 

 

ジョルダーノ アンドレア・シェニエ  Nemico della Patria(2016年の演奏)

スカラのリサイタルは1:04:05~

今度はヴェルディバリトンが好んで歌うドラマティックなアリアでの比較です。

今年の演奏でも2016年の演奏でも劇的な表現をされていますし、
今年の演奏でも強い声ではしっかり鳴るのは健在で声が衰えたという印象は全く感じないので、今年の演奏を聴いてもシューベルトほどの違和感を感じずに、良い演奏と言ってしまえるかもしれません。

もとから声だけの歌手ではなく、歌い回しの巧さを持っていただけに、
歌曲のような繊細なピアノの表現のコントロールと、特に低音での柔らかい表現を必要としなければ上手く歌うことはできるのでしょう。

このアリアではそういう低音の表現はありませんが、例えば以下のような部分は違いがわかります。

 

今年の演奏1:07:35~
2016年の演奏03:23~

Com’era irradiato di gloria
il mio cammino!

「gloria」という言葉の後の「il」の部分がカギです。

ココは深いピアノの表現が要求される部分ではありますが、
言葉が前に出ているので、今年の演奏でも違和感はないのですが、
ディナーミク、と言うかフレージングとしては一本調子です。

一方2016年の演奏は実に柔軟なフレージングで、
言葉と発声技術の双方が高いレベルで融合されています。

具体的に言えば、今年の演奏だと、
「il mio cammino」という言葉で「il」は一番重要ではない定冠詞にも関わらず、アクセントが付いてしまっていますが、
2016年の演奏では「il」は柔らかく歌い「mio」にアクセントを持っていっています。

こういうのがフレージングの巧さの例と言えると思うのですが、
こんな感じで柔軟な表現が今年の演奏ではできなくなっている・・・こういう部分を具体的に指摘できてこそ評論だと思うのですが、David Karlinのような音楽評論家
「his noble and serene expression, perfect control」などと書いてしまうのです。

高貴な表現とか完璧なコントロールとか精神性とか抽象的な言葉を並べる評論家を私は信用していません。
どういうフレーズをどう歌っているから素晴らしいのか。ということを読者に伝えられなければ何の意味もない。

 

という訳で、なぜこのフレーズが難しいのか少し説明させて頂くと、

”a”母音(一番口を開ける母音)から”i”(一番口を閉じる母音)への下行音型でレガートに歌うのは高い技術がいります。

上行音型だったらまだ楽なのですが、下行音型で開口母音~閉口母音へ音質を変えず、段差ができないようになだらかに移行するのは、どうしても空間が狭くなる分自然に音が上がり易い上に、”i”母音の方が”a”母音より前で明るく響く性質があるために難しいのです。

この部分は、高音で「gloria」をピアノで歌わないといけないから難しい。
というだけではないのですね。

 

とまぁこんな感じで今年のテジエはかなり心配です。
こういう声になってから復活した歌手は、私の知る限りロベルト・アラーニャくらいなので、果たしてこれからテジエが柔軟な声を取り戻せるのか心配ではありますが、
世界的に見ても優れたバリトンであることは間違えない事実なので、どうか自然な声を取り戻して欲しいと願うばかりです。

 

 

CD

 

 

 

 

 

 

3件のコメント

  • のりしん より:

    テノールのベチャワの声も、スカラ座の特別コンサートを聴いて、変になったと思いましたが如何でしょうか?

    • Yuya より:

      のりしんさん

      piotr beczala、そのリサイタルは聴けてないのですが、
      今年のウェルテルの映像があったので聴いてみた感じでは、確かに以前より不自然に喉が鳴ってる感じはありますね。

      元からちょっと不思議な歌い方でしたけど、
      言語能力高いし、音程良いので優れた歌手であるのは確かだと思うんですよね。
      個人的な好みで言えば、カウフマンとベチャーワは曲によっては上手いと思ったこともありますけど、基本苦手です。

      • のりしん より:

        Yuyaさん、
        そのコンサートでは、ベチャワの他にテノールでは、フローレス、メーリ、ベルネームも出てました。3人とも良かったですが、ベルネームが一番でした。生で聴いてみたいです。

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