【評論】2022/5/3 別府美沙子×尾形志織ジョイントコンサート

 

 

本日は久々の演奏会評論になります。
ここ半年は、聴きたい方が来日できなかったり、行きたい演奏会に予定が合わなかったりで自分が歌う方に集中していたのですが、本来の活動に戻れそうです(笑)

さて、行った演奏会は、現在藤原の若手有望ソプラノ二人による演奏会。

プロフィールについてここでは割愛させて頂きますので、ご本人のHPをリンクしておりますので、ご興味のある方は彼女達のHPもご覧になってみてください。

別府美沙子

尾形志織

 

<演目>

ヴィヴァルディ:「グローリア・ミサ」より 主を讃えて(二重唱)

ドナウディ:私の愛の日々

ロッシーニ:フィレンツェの花売り娘

小林秀雄:花の春告鳥

中田義直:さくら横町

別府貞雄:さくら横町

木下牧子:竹とんぼ

モーツァルト:「フィガロの結婚」手紙の二重唱

プッチーニ:「ラ・ボエーム」私の名はミミ

マスネ:「マノン」さようなら 私達の小さなテーブル

ヴェルディ:「イル・トロヴァトーレ」おだやかな夜

ドニゼッティ:「ランメルモールのルチア」辺りは沈黙に包まれ

チルコット編:朧月夜

プッチーニ:「ラ・ボエーム」ムゼッタのワルツ

 

忘れてしまったため抜けてる演目があることご了承ください。
休憩中にプログラム置いて席立ったらなくなってしまって・・・。

演奏の評論に入る前に、コロナになってから演奏会を一つやるにも本当に大変で、
今回の演奏会は、プログラムを小さな折り畳みの用紙1枚に収めて、曲目解説は都度演奏者が行っていくという形式でした。

ホールの予約は半年とか一年前位から行って、GWということになれば、最悪の場合緊急事態宣言が発令されている可能性も考慮して計画立てないといけないのです。
ホールが使えても蔓防発令なら定員も少なくなったりするので思うように宣伝もできないのです。
だから、チラシの印刷も最低限にする関係上、曲目解説のような本来ならつけるべき用紙も省いたのだと思います。
ついでに、歌う前に喋るって結構喉にとっては大変なんですよね。

という状況を考慮した上で評論に入ります。

 

 

<歌手の声について>

まずは別府、尾形両氏の声についてです。
尾形氏の音源はYOUTUBEにはないのですが、別府氏はご本人のYOUTUBEチャンネルに幾つか音源をアップしていて、ここではアップされている中で一番新しい2019年の音源を参照します。

 

 

響きのポイントがハッキリしていて、高音の鳴りも良いのですが、
何より素晴らしいのは声ではなくちゃんと言葉で表現できているため、
曲のドラマが聞き手に伝わるんですよね。
その良さが特に顕著だったのが日本歌曲だったと思います。
その辺りは曲目ごとの評論で詳しく書くとして、

声質はリリコ・レッジェーロで、イタリアでは伝説的なコロラトゥーラの使い手
ルチアーナ・セッラ女史に師事していたこともあったとのこと。

 

 

Luciana Serra

確かに似た部分はあって、
細い響きでも中低音で響きのポイントが落ちないので、言葉が籠ることなく真っすぐに飛ぶところ。

ただディナーミクについては更に磨く必要性があるのかな?という印象で、こちらについても後程詳しく書いて行こうと思います。

 

尾形両氏の声はリリコでやや癖がある感じではありますが、
別府氏同様にちゃんと上の歯と鼻の間辺りに響きのポイントが乗っていて、
お二方とも鼻に近いけど鼻声にならない良質なものでした。
これは”i”母音の時によくわかるのですが、ポイントが奥だと、高音にいくに従って”e”と”i”の間のような不明瞭な”i”母音になってしまうし、鼻に入ったり、横に広がってしまうと平べったい音色になるので、深さとがありながらも明るくハッキリした”i”母音で歌えている。
というのは、他の母音以上に前で響く特性からも歌詞を客席までちゃんと届けるには絶対必要な条件だと私は考えています。

尾形両氏の癖については、これは推測になりますが、
恐らく舌が十分に脱力できていないので喉の空間が狭くなっているのだと思います。
ブレスの時に吸気音が聞こえてしまっていたことから、喉が十分に開いていない状態であることは間違えないと思いますので、舌の重さを自身で感じられるくらい舌を脱力した状態でブレスができればかなり改善されるような気がしました。

 

 

 

 

 

<曲目評論>

◆ヴィヴァルディ:「グローリア・ミサ」より 主を讃えて(二重唱)

 

 

最初なので仕方ない部分もあるのだと思いますが、ちょっとバタバタしている感じでした。
技巧的な曲ですが、個々では良く歌えていました。
ですが難しいのは調和させること。

歌詞はラテン語で
「Laudamus te, benedicimus te, adoramus te, glorificamus te」
となっているのですが、”te”の”e”母音の音質が揃わなかった部分が散見されたのが一番大きいかもしれません。
でも、こういう曲を最初にもってくるのは中々挑戦的で、通常では見られないプログラムなので新鮮でした。

 

 

◆ドナウディ:私の愛の日々(尾形氏)

Amorosi miei giorni

 

中音域~高音域に掛けての繋がりが見事な分、
出だしのよう低い音域~中音域でレガートに課題が見えるといったところでしょうか。
もう少し母音の幅が揃うと音楽的に密度が濃くなるように思います。
その一方で、ドナウディの音楽が持つ緩さと言えば良いのか、如何にもイタリアといった感じのギラギラしたのとは違う穏やかな空気管はとても良く出ていたと思います。

 

 

◆ロッシーニ:フィレンツェの花売り娘(尾形氏)

La fiorala Fiorentina

 

個人的な好みかもしれませんが、こういう曲は大げさに芝居がかった演奏が好みなので、その辺り、娘が同情を誘うような台詞を口にする中間部分の感じなんかはとてもよかったですね。

歌詞はコチラを参照頂ければと思いますが、
poveretta「(母は)貧しい」、aspetta「(私を母が)待っている」という歌詞で韻を踏んでいる部分のロッシーニの音楽のわざとらしい音楽の付け方とか、男である自分は歌うこと絶対ないのですがちゃんと声で演技しないとつまらない演奏になるのは当然のこと。

そして(欲しいのはお金じゃなくて母親のためのパンなの)と言って執拗に協調されるnonは良い声のポイントにハマっていました。

 

 

◆小林秀雄:花の春告鳥(別府氏)

この演奏が今回一番印象に残りました。
別府氏、日本語の響き、特に”う”と子音の出し方がよく考えられていて惹き込まれてしまいました。
例えば「春」とか「花」という言葉の”h”をどう出すかに正解はなく、完全に歌い手のセンスに委ねられる部分ですからね。

それにしてもこの曲の歌詞

『溺れてごらん 溺れてごらん
少女が助けに来てくれるから

うすくれないの服を着た
小さな無数の少女たちが
うすくれないの歌をうたいながら』

とか完全にホラーですよね
聴きながら寒気してきました(笑)

日本語の”う”を日本歌曲でどう出すかというのも難しくて、
外国語に慣れると、不自然になってしまうことがあるし、
だからといって声楽的でない浅い響きになってはいけない。
そして、「いる」「ある」みたいな語尾で音を伸ばす時の”う”と、
この曲で頻繁に出てくる「うすくれない」の”う”も色合は当然変わってくる。
「うすくれない」という言葉は本当に何度も出てくるので、都度”す”をどの程度の有声音にするのかのバランスも歌い手のセンスになってくると思います。
この辺りの声を犠牲にしない範囲で劇的な表現をするバランス感覚が本当に見事でした。

 

 

◆中田義直:さくら横ちょう(尾形氏)

ちょっと声が重かった。
出だしの、「はるのよい」の”い”を押してしまうので、
本来アクセントのない語尾が強くなってしまうことがあったのが原因ではないかと思います。

 

 

◆別府貞雄:さくら横ちょう(別府氏)

普通に上手かったのですが、あえて言うのであれば、
中低音での”o”母音と”e”母音の音質が不均一になったことでしょうか
確か「はじまらないと 心得て 花でも 見よう」
という歌詞の「心得て」の”o”母音が続くところは暗めの音色で響きのポイントが落ちてしまった感じで、最後の「て」が横に平たくなってしまった感じ。
とは言っても無茶苦茶く細かい部分なので普通に聴いて気になるところではないです。

 

 

◆木下牧子:竹とんぼ(尾形氏)

尾形氏の演奏でこの曲が一番好きでした。
きのまき作品を歌っている時の尾形氏はどこか生き生きしていて、
本当に好きなんだろうなぁ。というのが伝わってくる。
比較してはいけないのだと思うけど、さくら横ちょうを歌ってる時とは全然違って、声まで、どこまでも飛んでいく竹とんぼのようなイメージが持てる軽くて伸びやかなものでした。
プロだろうとアマチュアだろうと、演奏者がその作品が好きかどうかってのは聴いてる方にも伝わってきますよね。

 

◆モーツァルト:「フィガロの結婚」手紙の二重唱(別府氏・尾形氏)

この重唱難しいんですよね。
ドラマを見せながら、どっちがどっちの役歌ってるのか分からないような調和がないと美しく聴こえない。

モーツァルトのこの類の曲はとにかく粗だけが目立つので先に謝っておきます。
まず、跳躍して引っ掛ける高い音をアタックしてしまっている感じでフレージングが見えなくなってしまっていた。
そして、”e”母音の音質が二人で微妙に違うので綺麗にハモった感じがしない部分があった。

この曲の上手い演奏ってあまり聴いた記憶がないので、単純に私がこの曲好きじゃないだけなのか、それとも本当に無茶苦茶難しいのか・・・

 

 

◆プッチーニ:「ラ・ボエーム」私の名はミミ(尾形氏)

ミミを持ち役にしているだけあって、声は本当にミミ向きなのですが、
ドナウディ同様に低音~中音域への跳躍した時、特に”e”母音で音質が変わってしまうこともあり、どうしてもレガートが甘く感じてしまう。
後、盛り上がってくる中盤ですが、
高めの音から下行していく方向を繰り返すので、低音に重心が向かないとヴェリズモらしいドラマティックな表現にならないのと、
最高音「è mio」の”è”を伸ばすのは良いのだけど、ここも「mio」に力点が向かてくれないとフレージングが見えない。
高音の声の響きなんかは立派なので、旋律をもっと浮き立たせるような言葉の節回しが出来ると良いかなと思いました。

 

◆マスネ:「マノン」さようなら 私達の小さなテーブル(別府氏)

Allons ! Il le faut […] Adieu notre petite table

 

一言で言えば、イケイケ姉ちゃんなマノン(笑)
かなり見せるブレスを多用して、畳みかけるような感じがしたような・・・これは会場で感じたことなので違ってたらすいません。
そんな勢いから、マスネではなく、プッチーニのレスコーの方聴いてるような気分になってきました。

後は、フランス語は響きのポイントがどうしても奥に行きやすいので、その分声が微妙に重くなってしまったことと、冒頭に書いたディナーミクですね。
この曲は特にずっと繊細な響きに言葉を乗せないといけなくて、
テノールアリアの夢の歌もそうですけど、マスネがワグネリアンだっただけに劇的な表現が求められる部分も多々あれば、フランス音楽らしいエスプリも当然必要で、
私もこの辺りは全然勉強してないから偉そうなことは書けないのですが、ただ音が小さい大きいというのとは違う、イタリア物なら直球で行くところで反らす感じの節回しが必要なんですよね

例に挙げた、フランスのソプラノ歌手、ナタリー・マンフリーノの歌い回しは本当に上手いと思うので、興味のある方は他の歌手の演奏も聴き比べてみてくださいませ。

 

 

◆ヴェルディ:「イル・トロヴァトーレ」おだやかな夜(尾形氏)

ヴェルディの音楽は歌った人しかわからない身体の感覚があって、
自分で上手く身体がヴェルディの書いた音と繋がって出せていると楽に声が出て、
そうでないとフレージングが死んでただ声を音符にあてがっているだけのようになってしまう。
尾形氏がまずやるべきは、冒頭に書いた舌の脱力と、それによって母音ごとに空間の幅が狭くならないように音質を整えること。
こういったことができると、ヴェルディが求めるレガートに近づけると思う。
無茶苦茶偉そうなこと書いてますが、ヴェルディの音楽って本当に身体の使い方がそのまま書いてあって、それができてるか否かしかないと思うのです。

 

 

◆ドニゼッティ:「ルチア」辺りは沈黙に包まれ(別府氏)

一言で言えば、火の玉のようなルチア💣

速めのテンポで疾走し、テンポの揺らしはあまり行わず、装飾音も特別沢山付けることはせず、小気味よくスカンと抜ける高音を最後のハイDまで聴かせる。
ピリオド楽器のオケが入ったらこういう演奏のルチアになるのかな?みたいな想像をする演奏でした。
どこもズリ上げたり、音の入りが不明瞭になったりしないので、
簡単に気が狂うほどメンタル弱くなさそうなルチアで少々戸惑いを覚えながらも、演奏としてはあっさり味で私の好みでした。

 

大体こんな感じです。
アンコールも勿論あったのですが、残念ながら隣の席のじいさんが、演奏中に帰り支度はじめて、しばらくごそごそやってたので演奏に集中できず記憶がございませんので、詳しいことが書けません( TДT)ゴメンヨー

 

 

<総評>

全体を通しては大変良い演奏会だったと思います。
まずプログラムが独創的で、日本歌曲も有名所と、そうでないところ、
今演奏機会の多い、きのまき作品と、ボブ チルコット編曲の朧月夜
と実に味わいがありました。

別府、尾形両氏の歌唱も、これからプリマの階段を登ろうとしている若々しさがあり、その一方では勢いで音圧に任せた歌い方をせずに、曲目ごと演奏効果を考えている様子が伝わってきました。

そして何より個人的に関心したのは、中低音を蔑ろにしない歌唱。
ソプラノ歌手には高音ありきのような方が大勢いる中で、
彼女達は誰でも出せる音域で言葉を客席の後ろまで届ける。低い音でも美しい響きに言葉を乗せる。という方向性が見える歌唱をされていました。
このまま下~上まで繋がった響きの質で歌えるようになっていけば、レガートの質も更によくなっていくことでしょう。
そんな訳で、今後の活動に注目したい日本人歌手が増えた一日となりました!

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