Arantza Ezenarroのジルダ役が色んな意味で刺激的な件について

先に申し上げておきますが、本日の記事は半分ネタです。
と言うのも、私自身この人が上手いのか下手なのかよくわからないからです。

エツェナーロはスペインとミュンヘンで音楽の研鑽を積み、ミュンヘンではリートの名手Edith Wiensにも習っていたリリコレッジェーロソプラノ。
少々癖のある響きのソプラノ歌手なので好き嫌いが分かれるところではあると思いますが、
今回取り上げたのは、ただセクシーなリゴレットのジルダ役を紹介したかったがためです(笑)

この演出を初めて見た時は、なにかある度にお風呂に入っているところを覗かれる、ドラえもんのしずかちゃんですか?
と突っ込みたくなったのですが、コレはサロメより恥ずかしいと思うんですけど・・・。
まぁセーフなのかな?

 

 

 

ヴェルディ リゴレット Caro nome

ジルダという箱入り娘とこの恰好があまりに私の中で釣り合わなくて戸惑いました。
それだけでなく、歌い方も声も今までのジルダの印象をぶっ壊す演奏です。

まず、私の中でリゴレットのジルダは、とりあえずかまととぶってる娘。
道化師の娘であるにもかかわらず、貴族の娘のように世間知らずなお嬢ちゃんぶってる感じとでも言えば良いのでしょうか?
そういう面から言えば、この演出ってド直球な気がします。

これはきっと覗かれていることをジルダは知っていてやってるんでしょ?
実はボエームのミミくらい計算高く女に嫌われる女像がここに見えてくる・・・ような気がします。
エツェナーロの歌い方も品があるのか無いのか良くわからない絶妙な歌い方なんですよね。

こう言っては失礼ですが”e”母音なんてかなり品のない平べったい響きなのですが、
ピアノの表現だったり、高音になると急にキレイな響きになったりして、すっごくこの人の歌唱について文字で表現するのに困るんですけど・・・。
あえて一言で言えば、下手上手い歌手。

技術はあると思いますし、高音も出る。
でも基本的に誰でも出せるような音域の声が雑で美しくない。

この声と演出があまりにもハマっているために、私の従来のジルダ像を破壊してくれまして、ついつい記事にしてしまいました。。。
そんな訳で今日は半分ネタな訳です。

 

一応ちょっと真面目にいつものように声を分析してみます。

純粋にエツェナーロの声について、
色々問題はあると思うのですが、いい時の響きがハマるポジションだけ取ってみると、ルチア・ポップに似てるな~。と思わなくもないんですよね。

 

 

 

 

 

 

 

モーツァルト Exultate Jubilate

 

 

 

 

Lucia Popp

5:45~がエツェナーロの音源と同じところからになります。
ポップの方が明るくて開いた声であることは言うまでもないのですが、
基本的な響きのポジションは私の耳には似ている気がするんですよね。
特に鼻の奥の方に響きが集まる感じが似てて、その影響で”a”母音がどうしても不明瞭な”o”に近い暗めの音色に成り易いところ。
基本的に響いているのは顔の前面だけで、あまり奥行がないところなどでしょうか。

 

繰り返しになりますけど、エツェナーロは上手いのか下手なのかわかりません。
終曲のAlleluiaのメリスマなんて素晴らしいんですが、ちょっと音を伸ばすと声質が変わってしまう。

ちなみに、リートの名手に師事していたはずなのですが、リートを歌うとかなり悪い癖ばかりが目立ってしまいます。

 

 

 

 

シューマン Widmung

 

 

 

 

 

エツェナーロの先生であるEdith Wiens の演奏

やっぱりこうして比べてみると、エツェナーロは母音だと音が繋がるのですが、
子音で流れが一々駒切れになってしまって、全然ドイツ語の曲をレガートで歌うことができないことがわかります。
後は”i”母音がどうしても喉にいってしまう。
その辺り、ポップは鼻気味でも喉声にはならないですから、そういう部分は全然違いますね。

これは結局発音する時に喉を押してしまっていることと、そのせいで全体的に空間が狭いために鋭く平べったい響きになり易いと考えられます。
恐らくヴォカリーズみたいなずっと”a”で歌うような曲ならかなり上手く歌えるのではないでしょうか。

 

歌を勉強されている方は、
このように、実際にご自身で歌っていて特定の言語で著しく響きの質が変わってしまったり、レガートができなくなったりすることがある場合は、逆に悪い癖を発見できる好機でもあるので、言語の特徴と自分の癖には常に意識を傾けておくと良いと思います。
エツェナーロは中々良い鏡だと私は思います。

 

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