ベートーヴェンの声楽作品特集

今年のクラシック界は何と言ってもベートーヴェンの生誕250年ということで、
ベートーヴェンの祝祭に染まりそうな気配です。

来日する海外からの演奏家のプログラムを見ても、オールベートーヴェンプログラムの公演の多いこと。

しかし、声楽作品に絞ってみると、交響曲第9番の4楽章と、オペラ「フィデリオ」、後は合唱に興味があれば「ミサ・ソレムニス」といったところで、それ以外はリートに興味がなければあまり知らない方も多いかもしれません。

そんな訳で、2020年の一発目はベートーヴェンの声楽作品を特集してみたいと思います。

 

因みに、ベートーヴェン以外で今年区切りの年を迎える作曲家は

ヨーゼフ・シュトラウス(没後150年)

マックス・ブルッフ(没後100年)

といったところがいます。

 

まず、演奏機会が殆どないながらも、第九の全身として知られている作品が
Choral Fantasy(合唱幻想曲)です。

曲目の説明はWikiを参照されるのが良いかと思いますが、この演奏を聴いても、
また二台ピアノでの演奏を聴いても、そこまで衝撃を受けるような作品ではないと言えます。

本当に、Wikiにあるように、実験的に作られた作品と捉えるのが妥当だと感じてしまうのは、実際に曲を聴いても納得するところがあります。

 

 

オラトリオ

Christus am Ölberge(オリーヴ山のキリスト)

この作品も演奏機会が少ないのですが、キリストのソロパートをテノールはヘルデンテノールが起用されることが多く、実際冒頭のキリストのアリアは1803年に作曲されたオラトリオのアリアとは思えない程劇的な表現が求められる音楽です。

 

 

 

 

Jehova, du mein Vater…Meine Seele ist erschüttert(我が父エホヴァよ、私の魂は震撼し)

モーツァルトの魔笛が1791年、ハイドンの四季が1800年、ウェーバーの魔弾の射手が1821年の初演ということを考えた上でこのアリアを聴けば、声楽的にも如何に劇的な表現をベートーヴェンが持ち込んだかがわかるのではないかと思います。

このオラトリオ全体としては、演奏当時は非常に人気のあった作品のようですが、
部分的に聴けば魅力はあるものの、全体を通すとやはり大味な感じは残る作品と言えるかもしれません。

 

 

(全曲)

ただ、個人的には結構好きな作品で、もう少し演奏機会に恵まれても良いのに。
とは思いますので、特に今年は質の高い演奏が日本でも行われることを期待しています。

 

 

 

 

カンタータ

Meeresstille und glückliche Fahrt(静寂な海と順風航海)

 

ゲーテの二つの詩を使ったカンタータで、1815年の初演。
それこそ第九の前プロで合わせて演奏されても良さそうなんですけど、なぜか全然演奏機会がないカンタータ。
構成も長さも良いと思うんですけどね。

 

 

 

 

無伴奏声楽作品

イタリア語の重唱曲 WoO.99(2時間以上あるように見えますが、20:50で曲は終わります)

ベートヴェンにはイタリア語の無伴奏の重唱作品があることをご存じでしたでしょうか?

1. 二重唱「美しい唇、何という愛」(Bei Labbri, che amore)(1802年?)
2. 三重唱「だれかこの心を」(Chi mai di questo core)(作曲年不明)
3a. 二重唱「すべての苦しみの中に」(Fra tutte le pene)(作曲年不明)
3b. 三重唱「すべての苦しみの中に」(Fra tutte le pene)(1802年?)
3c. 四重唱「すべての苦しみの中に」(Fra tutte le pene)(1802年?)
4a. 四重唱「すでに夜は近づきて」(Già la notte s’avvicina)(1802年?)
4b. 三重唱「すでに夜は近づきて」(Già la notte s’avvicina)(作曲年不明)
5a. 四重唱「船頭は誓う」(Giura il nocchiere)(作曲年不明)
5b. 三重唱「船頭は誓う」(Giura il nocchiere)(作曲年不明)
6. 三重唱「しかしお前は震える」(Ma tu tremi)(作曲年不明)
7a. 四重唱「野と森で」(Nei campi e nelle selve)(作曲年不明)
7b. 四重唱「野と森で」(Nei campi e nelle selve)(作曲年不明)
8. 斉唱付き独唱「おお、懐かしい森よ」(O care selve)(作曲年不明)
9. 三重唱「君に愛する青春を」(Per te d’amico aprile)(作曲年不明)
10a. 四重唱「かのギター、ああ清らかなもの」(Quella cetra, ah pur tu sei)(作曲年不明)
10b. 三重唱「かのギター、ああ清らかなもの」(Quella cetra, ah pur tu sei)(作曲年不明)
10c. 四重唱「かのギター、ああ清らかなもの」(Quella cetra, ah pur tu sei)(1797年以前)
11. 二重唱「お前に手紙を書く」(Scrivo in te)(1796年?)
12. 四重唱「シルヴィオ、絶望の恋人」(Silvio, amante disperata)(作曲年不明)

この作品だけ聴けばベートーヴェンの作品なんて誰も思わないのではないかと思えてしまいます。
どうやらこの作品は教育教材的に作られたようなので、普通に音大とかでもっと活用されても良いのにと思ってしまう。

クレメンティとかツェルニーはピアノでは易しい練習曲を残した作曲家のイメージが一般的には強いかもしれませんが、実際は決してそうではなく、一つの側面が強調されているに過ぎない部分があります。
それと同じように、ベートーヴェンは高尚な作品ばかりを残しているイメージが強くて、それこそ声楽作品は軽視されがちです。
しかし、難しい曲を歌うための練習用にベートーヴェンがこういう作品を残したことはもっと焦点を当てても良いと思うのですが、音楽史、歌曲史、オペラ史を勉強してもまず音大では習いませんので、大抵の音大生もこのような作品の存在そのものを知らないでしょう。

 

 

 

ソプラノ用オーケストラ伴奏によるシェーナとアリア

Primo amore(初恋)

モーツァルトのコンサート用アリアのような作品がベートーヴェンにもあります。
ただ、シェーナ部分が必要以上に長く曲全体のバランスは決して良いとは言えないかもしれません。
こうやって聴くとオペラ作曲家としてはモーツァルトの方が優れているなとは思えてくるのですが、逆に前述のオリーヴ山のキリストのような表現を聴く限り、こちらが1992年の作品であることを考えれば、色々声楽の扱い方も実験的に色々試していた段階だったのかもしれません。

 

 

 

歌曲

Seufzer eines Ungeliebten und Gegenliebe(愛されない物のため息と愛の返答)

 

ベートーヴェンの歌曲の中で、一番重要な作品はと聞かれれば、間違えなくほぼ全ての研究者も

An die ferne Geliebte(遥かなる恋人に寄せて)を挙げることでしょう。

ですが、ベートーヴェン自身が最も思い入れがあった曲はどれなのか想いを巡らせると、この曲は絶対に軽視できないモノであるはずです。
上の演奏の4:00~を聴けば、大抵の方は「お!?」と思うことでしょう。

 

 

<歌詞>

Hast du nicht Liebe zugemessen
Dem Leben jeder Kreatur?
Warum bin ich allein vergessen,
Auch meine Mutter du! du Natur?

Wo lebte wohl in Forst und Hürde,
Und wo in Luft und Meer,ein Tier,
Das nimmermehr geliebet würde?
Geliebt wird alles,wird alles ausser mir,ja alles außer mir!

Wenngleich im Hain,auf Flur und Matten
Sich Baum und Staude,Moos und Kraut
Durch Liebe und Gegenliebe gatten;
Vermählt sich mir doch keine Braut.

Mir wächst vom süßesten der Triebe
Nie Honigfrucht zur Lust heran.
Denn ach! Mir mangelt Gegenliebe,
Die Eine,nur Eine gewähren kann.

Wüsst’ ich,dass du mich
lieb und wert ein bisschen hieltest,
und von dem,was ich für dich,
nur ein Hundertteilchen fühltest;

dass dein [Danken]1 meinem Gruß
halben Wegs entgegenkäme,
und dein Mund den Wechselkuss
gerne gäb’ und wieder nähme:

Dann,o Himmel,außer sich,
würde ganz mein Herz zerlodern!
Leib und Leben könnt’ ich dich
nicht vergebens lassen fordern!

Gegengunst erhöhet Gunst,
Liebe nähret Gegenliebe
und entflammt zu Feuersbrunst,
was ein Aschenfünkchen bliebe.

 

 

 

<日本語訳>

お前は愛を分かち与えてはくれてきたのではないか
あらゆる生きるものたちに?
なぜ私だけが忘れられているんだ
母であるお前にまで!なあ大自然よ?

どこで生きているというのか 森の中や群れの中
大気や海の中で けものが
全く愛を受けることなしに
すべてのものは愛されている、そうだ私以外のすべては!

同じように茂みの中、野原や牧場でも
木と灌木、苔と草は
愛と愛とで結ばれているというのに
私と結婚してくれる花嫁だけがいないのだ

情熱の最も甘いところでも私にもたらしてはくれぬ
快楽の蜜の果実を
なぜならああ! 私に愛を返してくれるものがいないから
たったひとり、ひとりの愛してくれる人さえもが

私が知っていたなら、あなたが私を
愛し ほんのわずかでも想ってくださる価値があるのなら
そしてそのことを 私があなたから
ほんの百分の一でも感じることができたなら

私のあいさつへのあなたのすてきな感謝が
半分だけでも返ってくれば
そしてあなたのくちびるがキスの交換を
喜んで与え また受け取ってくれるのならば

そうしたら、おお天国よ、我を忘れて
私のハートは燃え尽きてしまうことでしょう!
この体も 命も私はあなたに
空しく求めさせるようなことはできないでしょう

好意は好意によって高められ
愛は愛によって育まれるのです
そして爆発するまで燃え上がることでしょう
灰の中に燃え残っていた火の粉でも

 

 

 

冒頭で紹介した合唱幻想曲の旋律の大本は実はこの歌曲なのです。
この作品は1795年に作曲されているのですが、この年はピアノ協奏曲1番、2番が成功して絶頂だったはずなのにこういう曲を書いた。
これは、ベートーヴェンの愛と哀しみについてという記事を読むと生涯に渡ってこの作品の思い入れが強く、合唱幻想曲⇒第九に進化していく過程がとても自然なことがわかります。
作品の偉大さだけを見ると孤高の作曲家ですが、女性関係と彼の作品を並べた中で最も直接的に意味が伝わる歌曲を見ていくと、ベートーヴェンという作曲家にとても親近感が湧いてきます。

このように見ていくとベートーヴェンにとっての声楽作品は決して軽視して良いものではないことがわかると思います。

余談ですが、
「遥かなる恋人に寄せて」の中に

『Denn vor Liedesklang entweichet Jeder Raum und jede Zeit,』
(そして歌の響きはあらゆる空間と時間を通り抜けて)

 

『Dann vor diesen Liedern weichet,Was geschieden uns so weit』
(そしてこの歌で私達を遠く分け隔てていたモノを消し去る)

 

という歌詞と、第九の中にある

『Deine Zauberbinden wieder, Was die Mode streng geteilt 』
(お前の魔法は時代が厳しく隔てたモノを再び結び合わせる)

は同じ意味として解釈することができると考えると、
人類愛を歌った壮大なものというより、実は結構個人的な感情でベートーヴェンはこの
An die Freude というシラーの詩を選んだじゃないか!
と思わなくもありません。

今年どのくらいベートーヴェンの声楽曲が演奏されるかはわかりませんが、是非注目していただければと思います。

 

 

 

CD

 

 

 

 

ガーディナーのベト演奏はどれも素晴らしいですが、ミサソレは一聴に価します。

 

ベートーヴェンの歌曲全集は珍しいです

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