幅広い可能性を秘めた若手ソプラノMelody Louledjian

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Melody Louledjian(メロディー ルルジャン)はアルメニア系フランス人のソプラノ歌手。

リヨンとウィーンで声楽とピアノを学び、2009年にオペラデビュー。
ボルドーの劇場を中心にフランス国内で研鑽を積み、2018年にヴィオレッタを歌って注目を集めたようで、今年はルチアをフィリピンで歌うことになっています。

ですが、レパートリーは古楽~現代まで幅広く、スケジュールを見るとコンサート歌手としての活動とオペラ歌手との活動は半々といった感じに見えます。
ウィーンで学んだだけあって、歌っている演目にはドイツ物も散見されました。

参考までに、ルルジャンのHPはコチラ

 

 

 

 

Rシュトラウス ばらの騎士 Ich bin Euer Liebden

 

2016年の演奏です。
若くしてバランスの取れた粗のない演奏をされていますね。
何が凄いかって、高音は若いソプラノならそんな苦にしない歌手は沢山いますが、
ハイソプラノでありながら、低音の響きが魅力的ですね。

 

 

 

 

マスネ マノン Je suis encore toute étourdie

同じ演奏会からフランス物の演奏です。
フランス人なんですが、私の感覚としてはドイツ物の方が良いように思います。
と言うのも、ルルジャンのドイツ物での”u”母音”o”母音の響きが兎に角素晴らしい。
この時の響きで全ての母音が統一できれば良いのですが、他の母音は横めに口が開いてしまうので、マノンのアリアでは、ばらの騎士の時より低音が響かない。
その結果として、高音は確かに美しく響くのですが、浮いている感じが否めないですね。

 

 

 

 

ヴェルディ 椿姫 E strano.. Ah, fors’è lui.. Sempre libera

こちらが注目を集める転機となったと言われている2018年のヴィオレッタです。
確かにヴィオレッタという役のイメージには合っているので、当たり役だと言われるのは頷けます。
ですが声の面だけで見ると、響きを前に出し過ぎているように私には聴こえます。
口のフォームは2016年の時よりは横には開かなくなりましたが、前に集め過ぎて鼻声っぽい低音が所々あります。
そして何よりピアノの表現ができないことは、ヴィオレッタを歌う上では致命的なマイナスです。

 

 

 

Parigi o cara
テノール David Astorga

テノールのアストルガ有望なテノールということもあって、この重唱を聴くとフレージングやディナーミクの部分でルルジャンの課題が見えてきます。
この歌唱を聴いてれ、息も絶え絶えな状態で歌っているヴィオレッタのイメージが浮かぶでしょうか?
私は残念ながらまだそのレベルには達していないと思います。

YOUTUBE上での演奏の評価は高いし、プロフィールでも大きくヴィオレッタの成功は書かれていましたが、その後彼女はこの役を歌っていないのを見ると、オファーがないのではなく、本人が断っていると考えた方が自然な気がしますから、もしかしたらルルジャン自身も、まだヴィオレッタを歌い続けるのは時期尚早だと気づいているのかもしれません。

 

 

 

 

 

モーツァルト コジ・ファン・トゥッテ Come Scoglio

 

こちらは2020年の演奏。
ちょっと胸声を多用し過ぎなような気もしますが、響きの質が安定して、モーツァルトの音楽に必要なカッチリしたリズムと、歌い出しの音がズリ上げたり揺れたりせずに決まるのは見事です。
声や発声的には好みが分かれるかもしれませんが、演奏としてはとても優れているのではないかと思います。

それにしてもルルジャンは不思議な歌手です。
このアリアは最高音は決して高くなく、むしろ低音がしっかり鳴らないと歌えないアリアで、
一般的には、ばらの騎士のゾヴィーを歌うようなソプラノが上手く歌えるような曲ではありません。
ルルジャンの場合、胸声の鳴りが強いだけでなく、中音域でも強い声を張れるのが特徴と言えるでしょうか。
むしろ、喉が強いが故にベルカント物を歌ってもメトロノームの刻みが聴こえるような演奏になってしまうのかもしれませんが・・・。

 

 

 

 

ドニゼッティ ルクレツィア・ボルジャ Com’è bello quale incanto

2019年の演奏ではありますが、
とにかく声は美しいのですが、音楽の停滞感が著しいです。
こういう曲は、音果を楽譜通りに歌うのではなく、徹頭徹尾言葉のアクセントに即したリズムとディナーミクで歌わなければ、縦割りの音楽になってしまいます。
参考までにカバリエの演奏はやっぱり全然違います。

 

 

 

Montserrat Caballé;

ピアニッシモの技術とかが明らかに違うのは仕方ないとしても、
ルルジャンにはベルカント物を歌う上で、曲のフレージングやリズムの感じ方の面で研究しなければならないことがあることは明確でしょう。

 

 

 

 

オッフェンバック パリの生活 Je suis veuve d’un colonel

 

こういうのはやっぱりフランス語が母国語であればこその演奏だと思います。
あまり著名な歌手が歌っていないオペレッタのアリアですが、ルルジャンの硬質な声でカッチリした歌い方が得意な部分なんかはとても曲との相性が良いように見えます。
でも、欲を言えば、オペレッタならもっとはっちゃけても良いように思うんですよね。
何を歌っても表情が貧しく、それが歌唱表現にも出てしまっている印象を受けるのが勿体ないです。

 

個人的な希望としては、あまり悲劇のヒロインに染まらずに、
ブッファ作品の歌唱を磨くことで、もっと豊な音色を使い分けられるようになれば、表現力も格段に伸びるのではないかと思うのですが、
マイクを使ったパフォーマンスなんかもやってますし、素晴らしい才能があるのは間違えないのですが、正直どういう道を目指しているのかが判然としない歌手ではあります。

 

 

 

CD

 


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