Giuseppe Sabbatiniの歌唱解析

Giuseppe Sabbatini(ジュゼッペ サッバティーニ)は1957年、イタリア生まれのテノール歌手。

サッバティーニは長らく日本の声楽教育に関わっています。
と言うのも、サントリーホール オペラ・アカデミーという所で既に10年近く指導にあたっているからです。
サントリーホール・アカデミーをご存じない方は、以下の動画を参照ください。

 

 

 

日本で声楽の研修所と言えば、二期会、新国立歌劇場、藤原歌劇団が有名かもしれませんが、
ここもそれなりに知名度は高いと私は思っています。
ですが、ここを出た方から間接的に聴いた話や卒業生の演奏から、
この研修所で本当に実力を伸ばせるのか疑問に思い、
流石に動画や音源のある卒業生を論って論評する訳にもいきませんので、
今回はサッバティーニ本人がどのような歌唱をしてきたのかを解析してみることにしました。

 

 

 

1988年(31歳)

プッチーニ ラ・ボエーム Che gelida manina

31歳にしてスカラ座でロドルフォを歌っているのですから、素晴らしいキャリアであることは間違えありません。

歌唱に関しては、録音状況があまり良くないので声が聴きとり難いですが、
聴いてときにパっとジュゼッペ モリーノというテノールの声が私の頭をよぎりました。

 

 

 

Giuseppe Morino

特徴としては、
●高音に強い
●自在にディナーミクを操れる
●レガートで歌えない
●チリメンヴィブラートが掛かる

といった特徴があり、若い時のサッバティーニも、ヴィブラートこそモリーノのようではありませんが、高音を苦にせずディナーミクも自在に操れるのですが、フレーズ感がなく、声の線が細い割には声が重く、ピアノの表現に響きが伴わない抜いた感じに聴こえてしまう。

 

 

 

1990年(33歳)

ヴェルディ ドン・カルロ O inferno!…Cielo pietoso rendila

1990年代が彼の全盛期と言えると思います。
流石に高音の響きのポイントが安定しており、輝きのある声は見事と言えるでしょう。
しかしどこか線が細いと言えば良いのか、開放感のある声とはちょっと違います。

それは現在若手リリックテノールとして世界的に活躍しているピルグと比較してもわかります。

 

 

 

Saimir Pirgu

年齢はほぼ同じ位の時ですが、ピルグの方が少し上です。
こうやって比較すると、
サッバティーニのピアノの表現は飲み込むような、声を引っ込めて小さくするような感じがあり、フォルテとピアノで明らかに響きの質が変わってしまっています。

レガートの面でもピルグとサッバティーニを比較してみると、
ピルグには中音域の強さはないながらも、どの音域でも滑らかで柔らかに歌える一方、
サッバティーニはドミンゴに近いような、
良く言えば芯の有る響きで歌っているのですが、悪く言えば不自然な人工的に作った感じのする強い響きの中音域を出していて、更に低音になるとちょっと辛そうです。
私には、本来の声より強い声を出そうと、響きを集め過ぎてるように聴こえます。

響きを集める。という表現は適切ではないのかもしれませんが、
比喩としては伝わり易いのでついこういう書き方になってしまいますね。
声楽の指導を受けていると、「響きを細く集めて」という言葉を頻繁に耳にします。
集める場所は、鼻先だったり、額だったり、目頭の辺りだったり色々聴いたことがありますが、コレは結局喉を押すという行為に繋がるのでダメです。
この辺りは、正しいアクートとよく勘違いされやすいですし、
テノールに限らずソプラノでも同じことが言えて、過去の記事でフレーニについて書いた時にも触れていますので、まだご覧になっていない方は是非ご覧ください。

 

 

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ドニゼッティ 連隊の娘 Ah mes amis…Pour mon ame

何年の演奏かはわかりませんが、恐らく90年代です。
このアリアは非常に軽い声のロッシーニテノールがよく歌うので、
何気に日本人テノールもよく歌っていて、その上に他の曲より上手く聴こえるということがあるので、コンクールとかで歌えると強い曲だったりするのですが、
サッバティーニは、このアリアを歌うテノールとしては強い声を持っているので、単純にハイCの力強さには目を見張るものがあります。

しかし先に述べたように、サッバティーニの声は点なので広がりが不足しています。
似たようなタイプの声で、コルチャックと比較すると、サッバティーニの声には強い圧力で押し出したような感じがあるのがわかると思います。

 

 

 

Dmitry Korchak

 

コルチャックは本当に良いテノールで、悪い癖らしいものがなく、どの音域も真っすぐ広がりのある声が出せる。

サッバティーニの歌唱を、

「イタリアのテノールらしいアクートだぁ。」

などと思ってしまうのは危険で、
むしろ、米国のテノールっぽい圧力による高音と言った方が良いのではないかと思えてきます。

 

 

Chris Merritt

メリットの方が下手したら、サッバティーニより高音は自然な響きかもしれません。
中音域は癖のある詰まり気味の声なんですが、ハイCは楽に抜けていくんですよね~
ファルセットっぽい感じが微妙に混ざっているような気もするのですが、
元々はロッシーニテノールでしたし、体格もあるので、この辺りの微妙な地声とファルセットのコントロールは流石といったところでしょうか。

 

 

 

 

1999年(42歳)

マスネ ウェルテル pourquoi me reveiller

99年になると既に明らかな喉声になってきており、
高音も輝かしいと言うより、耳に痛い感じになってきています。

ただ、それでも彼が凄いところは、響きが落ちたり、太くなったりしないことで、
一定の幅の響きで歌い続けられるところはそこれの歌手とは違います。

 

 

 

 

2007年(50歳)

ドニゼッティ 愛の妙薬 Una furtiva lagrima

 

ピアノには全く響きがなく、高音もズリ上げることが多い。
メゾピアノが存在しない演奏は聴いていてとても不自然に聴こえてしまう。

と言うか、響きに柔軟性がなく、喉がバリバリ鳴る感じのフォルテと、抜いたようなピアノしかできない症状を聴く限りでは、この人もステロイド常用者かも?と疑いたくなります。
私はこういう声を聴いてると、耳より喉が声に反応して痛くなってくるので自分の中ではステロイド声だと確信しています。

 

 

 

 

グノー ファウスト ALUT DEMEURE CHASTE ET PURE

改めて1991年の演奏を聴いてみましょう。
テノールにとって50歳はそこまで声が衰えるような年齢ではありません。

1991年の演奏では、確かに声の開放感こそ物足りなさを感じるものの、歌の上手さと高音を出す技術が一流であることは疑いようのない歌唱をしていました。
それが16年でこれほど声が変わってしまったのはなぜかと考えると、
答えは絞られてくるのではないでしょうか・・・?

 

 

こんな感じで、今回はサッバティーニの歌唱を分析してきましたが、
確かに良い時の演奏には魅力があるのですが、
言葉による表現よりは声を求める歌唱をしている印象は拭えませんでした。

例えばデル・モナコはフォルテでしか歌えないので、
トランペットボイスで売ってきた歌手だと思われる方がいらっしゃるかもしれませんが、
彼は間違えなくドラマを表現することに命を掛けていた歌手です。

そうでなれば、ローエングリンを一度歌って
「こんな人間的な感情のない役はもうやらない、この役は君がやれば良い」と
当時ローエングリン歌いとして有名だったコーンヤというハンガリーのテノールに言ったりはしないでしょう。

そして、何より気になるのは全盛期の短さです。
ずっと重いレパートリーには手をだしていなかったにも関わらず、
みるみる声が硬くなってしまったことを考えると、彼が長いスパンで声を育てていく経験を積んでいないことになりますので、若手歌手の声を育てることができるとはちょっと考えられません。

合うタイプの歌手がいれば、彼の指導で伸びる人もいるかもしれませんが、
それこそ、ロフォレーゼのように90歳を過ぎても素晴らしい高音を維持した歌手がいたことを考えると、ロフォレーゼが驚異的であったとは言え、
50歳で衰退しきった声になってしまったサッバティーニは、持っている才能で一発屋的に売れたテノール。という位置づけにせざるを得ません。

 

 

 

1987年(30歳)

ドニゼッティ ランメルモールのルチア Tombe degli avi miei

最後に30歳の時の演奏です。
彼の持っている本来の声はこれくらい軽かったのです。
まだまだ勢いで歌っていて、特に高音は1991年の演奏とは比べ物にならない位粗削りではありますが、どんどん非人間的な声になっていく彼の声を辿った後でこの演奏を聴くと、
中低音の充実を無視して高音の強さを求めることが、どれほど声を消耗させるか思い知らされる心地です。

 

 

 

CD

 

 

 

 

 

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