セピア色を連想させる哀愁を秘めたドラマティックメゾの声 Cristina Melis

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Cristina Melis(クリスティーナ メリス)はイタリア、サルディーニャ島出身のメゾソプラノ歌手

年齢はわかりませんが、2004年にラウリー=ヴォルピコンクールで1位を取り、2005年にオペラデビューをしていることから、現在40歳前後ではないでしょうか。

2015年位まではイタリアを中心に活動をしていましたが、以後はキールを中心に、ワーブナー作品も歌っているようで、アイーダのアムネリス、カルメンのタイトルロール、指環のフリッカといった、伊独仏のドラマティックなメゾの代表的な役をレパートリーに持つ実力はメゾソプラノです。

 

 

 

 

ロッシーニ Canzonetta spagnuola

近頃は、ソプラノ崩れみたいなメゾが沢山いる中で、本当のメゾの声を持っている歌手ですね、

メリスの音色にはソプラノ歌手にない独特な色気があります。
そして、声の重さではなく、軽く歌ってもその人が持っている根本的な声の質はかわりませんから、ロッシーニを軽やかに歌っても明らかにソプラノではない声質です。

よく勘違いされるのが、高い声が出るからソプラノ、又はテノール。
高い声が出ないからバリトン、メゾ・・・みたいな声種の考え方をする人がいるのですが、メリスのような声を聴けばわかるように、メゾは根本的に響きがソプラノとは違うものです。

勿論、リリックメゾと言われる、ロッシーニなんかを中心に歌うタイプの歌手は、ソプラノともメゾともつかない声の人が多いですが、
歴史的に観れば、ロッシーニ自身はコントラルトのために曲を書いていたりするので、ソプラノ顔負けの高音と超絶技巧を駆使する、いわゆるロッシーニメゾ、というのは現代的な産物なのだと私は考えています。

 

話が脱線してしまいましたのでメリスの歌唱に戻りますと、
何度も出てくる「ay(アーイ)」という歌詞がありますが、
”a”と”i”は一番口が開く母音から、狭い母音への移行になりますので、

解放した明るい”a”母音を出せば出すほど、次の”i”で響きが狭くなるリスクが伴います。
なので、大抵の歌手は、出だしのピアノで歌う部分は”a”母音を抜き気味に歌い、最後の方で盛り上がってくると、どうしても早いパッセージをこなさなければいけないこともあり、”i”母音の狭い空間で”a”母音も発音するので、どうしても詰まったような声になりやすいです。
ディドナートやバルトリの演奏と比較するとよくわかります。

 

 

 

Cecilia Bartoli

 

 

 

 

oyce DiDonato

バルトリやディドナートの方が、ロッシーニを得意とする歌手でもあり、
技巧的には優れた演奏ではあるかもしれませんが、
純粋に響きの豊かさではメリスの方が断然上です。

”a”母音でしっかり解放された明るい響きが出せて、その響きを維持しながら”i”母音に繋げることはとても難しいので、発声練習なんかでも、
”i”母音で声の焦点を定めて、喉や口の空間を広げる”a”母音でも焦点がブレないように母音の響きを統一していくのがセオリーです。

よって、「あ」・「い」・「う」・「え」・「お」の順で発声練習をさせる声楽教師がまずいないのは、”a”と”i”の距離が離れていて、並べて発音するには向かないからです。
こういうところからも、メリスの響きの優れた部分がわかります。

 

 

 

 

マスカーニ カヴァレリア・ルスティカーナ Voi lo sapete

常にヒステリックに怒っているか嘆いているイメージしかない、サントゥッツァという役はどうも好きになれないので、このアリアも必然的に好んで聴かないのですが、メリスの演奏は彼女の良さが存分に出ています。
高音はあまり得意ではないようで、ブレスも極端に短くなる傾向があって、声を聴かせるという部分では物足りなさがあるかもしれませんが、
殆ど叫ぶことなく切々と訴えかけるような歌唱には胸を打たれます。

前述の通り、高音でももっと軽く、無駄な力が抜けてくれれば尚良いのは言うまでもないのですが、持って生まれた中音域の深さと、それを生かす静かな語り口は、大音量で聴かせるドラマティックメゾとは別の次元の魅力があるように感じます。

 

 

 

 

サンサーンス サムソンとダリラ Amour viens aider ma faiblesse

今まで紹介した映像は2015年、2018年の演奏で、こちらは2005年。
持っているモノは、そこらにはいないようなレベルの深さをもった素晴らしいメゾの声なのですが、
若い時の方がより押した声で、特に”i”母音と”e”母音はどうしてむ空間が狭くなって響きが貧しくなり易いですね。

 

 

 

 

 

ガスタルドン Musica Proibita

戻ってこちらは2017年の演奏。
あまり女声が歌うのは聴いたことがないのですが、
兎に角最高音でブレスが短過ぎて、ここぞとばかりに伸ばすイタリア人テノールやバリトンがデフォルトな私には、この人本当にイタリア人歌手かな?
と思うくらいすっきり歌うのですが、最後の高音以外の表現や言葉の美しさはやっぱり魅力的です。

ただ、やっぱりこの演奏を聴いても”e”母音は苦手なのかな~。
他の母音に比べて響きが硬く貧しくなる傾向がありますね。
それは逆に言えば、”a”母音が綺麗に開いていて、深さと明るさが見事に備わった音色だからこそ、ちょっとでもブレると目立ってしまうというのがあるのかもしれません。

 

 

 

ヴェルディ アイーダ(4幕前半)

2019年のアイーダから得意のアムネリス役です。
レチタティーヴォ部分の繊細でありながらも王女らしい威厳のある声と歌い回しは実に見事ですね。

低音~高音まで圧倒的声量で圧倒するすタイプの歌手にはできな表現で、グランドオペラとして見ればもっとスケールの大きさが欲しいと感じる方もいるかもしれませんし、以前よりはかなり良くなってはいるものの、やはり高音にはまだ改善の余地があります。
それでも、アムネリスという役の強さと脆さをこれほど絶妙に表現できる歌手は中々いないのではないかと思います。

日本人がこの役をやろうとしたら、絶対パワーでは欧米の歌手には敵いませんから、声量で太刀打ちできないならどうするかを考える上でも、メリスの演奏は非常に参考になるのではないかと思います。

そう考えると、メリスが大劇場で歌っていないのはとても良いことなのかもしれません。
大きな舞台で歌うことだけが成功ではありませんから、自分の声に合った箱でメリスには歌い続けて欲しいものです。

 

 

株式会社ライト通信

 

 

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