【評論】 アラーニャのローエングリン

ロベルト・アラーニャが昨年ベルリンでローエングリンを歌った映像がYOUTUBEにアップされました。

 

 

2020年 ベルリンドイツオペラ ローエングリン(無観客演奏)

<キャスト>

Roberto Alagna (Lohengrin)
Vida Mikneviciute (Elsa von Brabant)
René Pape (Heinrich der Vogler)
Martin Gantner (Friedrich von Telramund)
Ekaterina Gubanova (Ortrud)
Adam Kutny (Heerrufer des Königs)

Director: Calixto Bieito
Conductor: Matthias Pintscher

 

 

アラーニャのローエングリンはバイロイトで歌う予定になっていて、結局キャンセルした記憶がありますが、まさか本当に歌っていたとは知りませんでした。

そして、聴いてみるとドイツ語の発音にあまり違和感がない。
改めてアラーニャは立派な歌手だったのだと再評価しているところです。
とは言え、ローエングリンという役が彼に合っているかは別もんですが・・・。

 

 

他の歌手については今回あまり触れずアラーニャを中心に診ていこうと思いますが、
簡単に触れておくと、パーペは十八番の役なのでハマっているのは当然。
テルラムントを歌ったガントナーは個人的にも結構好きな歌手で、テルラムントを歌うには明る過ぎる音色なので合っているとは言えないかもしれませんが、こういう派手さはないものの堅実な演奏をする実力派は大事です。
変に声が明る過ぎるのは、上の前歯を見せて歌っているからで
口のフォームをパーペやアラーニャと比較して頂くと違いがよくわかります。

 

オルトルートを歌ったグバノヴァもイタリア物とドイツ物のドラマティックなメゾ役を得意とするパーペ同様鉄板キャストではありますが、個人的にドイツ物よりはやっぱりイタリア物の方が合っていると思います。
高音はそこらのメゾでは出せないようなクオリティで素晴らしいことは言うまでもないのですが、こういう常に怒ってるような役は、下手をするとずっと叫んでる感じになり勝ちなので、語りかけるような場所でも声でゴリ押ししてしまっているので、レガートにならない。
エルザをそそのかす場面なんかはやっぱりもっと違う表現が欲しい。

ソプラノを歌ったリトアニア人のVida Mikneviciute(読み方がわからない)はちょっと酷い。
ドイツ語字幕を見ても何言ってるか分からないレベルで、声にもチリメンヴィブラートが掛かっているので、これはワーグナーを歌ってはいけない歌手。

 

とまぁ、アラーニャ以外の歌手を早足に解説した所で本題です。
具体的にどこが良く、どこがワーグナー的ではなく感じてしまうのかという部分を分析してみましょう。

 

 

<上手いところ>

 

1997年

アレヴィ ユダヤの女 Rachel, quand du seigneur

売れっ子としてゲオルギューと世界中を席巻していた時代のアラーニャ。
この時期はポスト三大テノールとか言われていた頃で、
対抗馬にホセ・クーラがいました。

 

 

 

Jose Cura

この比較でも十分わかる通り、
アラーニャは声に合わないユダヤの女のアリアを歌っても、声を必要以上に重くすることなく、
発音のポイントが安定して前にあるのに比べて、クーラははっきり言ってただ叫んでるだけで高音は絶叫です。
よくこれで声が持つな~と思う。

 

 

 

モーツァルト ドン・ジョヴァンニ Deh vieni alla finestra

https://www.youtube.com/watch?v=5dn8cz1yEPI

なんとドン・ジョヴァンニのセレナータを歌っている音源があります。
以前、プッチーニのボエームのコッリーネのアリア(バスアリア)も中々上手く歌っている映像も見かけたことがありますが、アラーニャという人は声に合わない曲を歌いまくっていながらも声を現在まで大きく損なうことなく維持できているのは、その曲に合う声を作るのではなく、上手く聴かせる雰囲気を作ると言えば良いのか、様式感という言葉を使ってしまうとちょっと違うような気がするのですが、
呼吸の深さであったり、言葉のスピード感であったりを上手く捉えて演奏する能力がある。

声としては2000年代~2010年代はじめは随分不健康になっていたのですが、
最近の演奏では随分健康的な声になっていて、これは推測ですが、ステロイド辞めたんではないかと思ってます。

 

 

 

2014年の演奏

この演奏とローエングリンを比較して頂ければわかると思いますが、
2014年は明らかに響きではなく声で歌っていて、とにかく重い。クーラほど叫んではいませんが、似たような響き方になっています。
どちらの演奏が年齢的に若い時のものか聴いただけではわかりません。
この強くはありますが、響きが上がらずに喉がなっているような感じは典型的なステロイド声の症状。
この状態からよく復活したものだと正直驚いてます。
誰とは言わないけど、〇上〇明氏は完全にこの症状なのでアラーニャ見習って欲しい。

 

ただ、声が変な時でも歌として成立しているのは、言葉の発音が常に前にあって、奥に引っ込まないからで、それが歌い慣れていないドイツ語であっても、そこまで違和感なく聴こえる大きなポイントでもあると思います。
中でも”i”母音の響きが重要で、この明るさと鋭さがドイツ物、特にヘルデンテノールには必須。
ここが抑えられているのでなんとかローエングリンを歌っても形になっているのだと思います。

 

 

 

<改善が必要なところ>

開口母音が明る過ぎる上にズリ上げ気味に歌うことがあることにつきる。
勿論、語頭や語尾の子音の扱いの問題は大きいのですが、それ以上に私は母音が問題だと思っています。

まず、”o”母音が全て開口の明るい”o”母音になってしまっていて、閉口の”o”母音はかなり”u”に近い位まで閉じる必要がありますし、”a”母音に至ってはラテン系言語の明るさがあるって、兎に角開き過ぎてしまう。

3:23:00~のMein lieber Schwanの出だしを聴けば、ブレ具合が一瞬でわかります。
”i”母音ではハマるのに、開口母音になると開き過ぎてしまって、ポイントを外してしまう。

リートの上手い歌手のピアノの表現などを考えても、空間を包むような広がりのある声より、細い一本の線のように真っすぐに伸びる声の方が合いますが、それが結局”i”母音の鋭く細い響きに全ての母音の響きを合わせることなのです。

そしてアラーニャの場合、”i”母音は良い所にハマっている分、開口母音でのブレが酷く目立つ。

 

とは言っても、よくこれだけ歌えたなと正直驚いています。
アラーニャがローエングリン歌うなんてネタにしかならないのではないかと思いましたが、
カレーラスがマイスタージンガーのヴァルター歌ってしまったみたいなのとは違って、ちゃんと形になっていたし、演奏を見ていても熱意が伝わってきた。
本当はローエングリンは普通の人ではないので俗っぽい情熱に駆られた演奏はダメなのですが、2020年、無観客という特殊な状況でこういう演奏をしてくれたことには素直に拍手を送りたい気分です。

 

 

 

CD

 

 

 

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