2021年3月現在に考える 今一番狂気を感じるコロラトゥーラと言ったら?

今まではオペラにそれなりに詳しい方や、歌を実際に勉強されている方を対象に記事を書いてきたのですが、

もう少しライトな記事を書かないと案外音大生とかの読者が増えないことに気付きまして、今まで紹介してきた歌手も随分な人数になってきたことですし、

整整する意味も込めて、埋もれた過去記事をただ補筆するだけでなく、
あまり歌手に詳しくない方にも、興味を持って頂けるような内容にしていけたら良いかなと思い、今回はこのお題で記事を書くことにしました。

 

コロラトゥーラを得意とするハイソプラノはオペラの華ですから、オペラに興味があれば、やっぱり現在どんな歌手がこのタイプで一番優れているのかは興味があるところでしょう。

因みに、以前にも記事に書いたことがありますが、
『コロラトゥーラ・ソプラノ』という一般的な言い方は正しくありません。
この言葉で多少でもオペラに興味のある方なら通じますが、コロラトゥーラは技術であり、それが声質や音域を表す言葉ではないからです。
なので私は、{コロラトゥーラを得意とするハイソプラノ}と表記しています。

 

ただ問題なのは、歌の優劣というのが、技巧と高音の安定感や、譜面にいかに忠実かといった完成度の高い歌手ほど上手い。

という単純なものではないので、あえて狂気を感じるコロラトゥーラという題材にしました。
狂気というのは、狂乱オペラこそが彼女たちの最大の聴かせどころだからこそ選んだお言葉なので、まずは予備知識としまして、狂乱オペラについて少し説明させて頂きます。

オペラは元々ギリシャ悲劇の復興という私情命題を持って生まれた芸術だったので、実は1600年代は、作曲や演奏家より、台本作家が一番偉かったのでした。
しかしヘンデルの時代、超絶技巧を売りにしたカストラートと言う去勢した男性歌手が技巧を聴かせるのが流行り、ここで演奏家が力を持つ時代が来ます。
今でもヘンデルのアリアなんかは、リズムを壊さない範囲で比較的自由に装飾音をつけて歌うことが許容されて(当時はそれが当たり前)いますが、
カデンツァなんかになると、当時は指揮者が指揮を止めて、歌手が好きに歌うのを待って、それがあまりに長いので、指揮者がイスに座ってしまうという話もあったそうです。
3分とか5分とかカデンツァ歌ってたのだとか・・・。

しかし、オペラのストーリーや歌詞が軽視されているということで、グルックによるオペラ改革なるものが起こり、簡潔な音楽が評価されるようになることで、再び台本作家や作曲家が演奏家より重要な地位に立ちます。
 ※個人的には、喜劇を悲劇と同列の地位ひ引き上げたペルゴレージの方が評価されるべきだと思っているのですが、
オペラ史ではグルックのオペラ改革がとても重要なポイントになっていて、ワーグナーもグルックの改革を支持していたという話なので、ここではペルゴレージのお話は割愛いたします。

 

しかし、その後に改めてロマン派時代にヴィルトゥオーゾ達が己の技を聴衆に見せつける時代がきたのでした。
※この経緯も少し説明しておきますと、フランス革命により、オペラが高い教養を持った貴族のものではなくなったために、よりギリシャ悲劇や神話といった前提知識がなくても視覚的に楽しめる大規模な装置やバレエを用いたグランドオペラ、
スター歌手の超絶技巧が支持され、複雑なストーリーが敬遠され易くなったというのがあり、台本作家や作曲者より、演奏者優位となった時代背景があります。
ロッシーニがフランスで大人気だったのは、こういった時代背景を考えると必然だったと思います。

 

そこで彼女達に超絶技巧を歌わせるために考え出されたのがヒロインを発狂させるという発想だったので、正気の時はルチアとか見て頂ければわかる通り、意外と低い音域で歌ってたりするのですね。
※だから、狂乱してる時とそうでない時の歌い分けができてないとかNGなんですよ?

 

技巧が言葉や台本を蔑ろにすると言うなら、ヒロインを発狂させればいいじゃない!
という発想の元、有り得ないような高音や技巧を出させても、逆に超絶技巧が派手であれば派手であるほど狂乱ぶりが鮮明に出て劇的効果も出る訳ですから、実に見事なアイディアですよね!
そういった流れの中で生まれているのが狂乱オペラです。
なので、本来コロラトゥーラと言っても、ヘンデルとベッリーニやドニゼッティ作品は同じように歌ってはいけないと言われているのでした。

以上、狂乱オペラへ至るまでの超特急解説でした。

 

ということで、前置きが長くなってしまいましたが本題に入りましょう。

まず、私が一番今までで狂気を感じたのはNatalie Dessay のハムレット、オフィーリアのアリアでした。

 

 

 

今見てもやっぱ息が止まりそうなになる演奏でホント凄いの一言。
悪役やりたくなくて、夜女は歌いたくない・・・
と言って中々歌おうとしなかったそうですが、彼女なら許されると思う。

 

 

では現在こういう演奏を出来る歌手がいるでしょうか?

今回は、現在活躍する若手を中心としたコロラトゥーラを得意とするハイソプラノについて、今まで書いてきた記事のまとめ的な意味も込めて紹介していきますので、過去の記事で取り上げたのと動画と被ることもありますことをご了承ください。

なお、ヴィオレッタのような、リリコの声で超絶技巧を聴かせる役も高いレベルでこなせる、所謂ドラマティコ・ダジリタについてはココでは取り上げないので、あくまで軽い声のソプラノ限定であることご了承ください。

 

 

まず最初に紹介するのは、
度々私が称賛している、Sabine Devieilheなのですが・・・、
彼女は冷静に歌え過ぎて狂乱してないので、今回のお題にはちょっと沿いません(笑)

私がドゥヴィエルの演奏を初めて聴いて衝撃を受けたのがラモーでした。
古楽の奔放さとロマン派音楽の狂乱はやっぱり根本的に違うなとこういう演奏を聴くと思ってしまう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

理性的に歌い過ぎるという意味では、英国人のLouise Alderも同じことが言えるかもしれません。

近現代音楽や歌曲まで器用に歌える歌手ですが、上手く歌ってるな~以上の感想を持てないのが正直なところなんですね。

 

 

 

 

 

 

 

先日の新国「こうもり」で来日して得意のアデーレを歌ったMaria Nazarovaは期待(大)です。

リズム感が悪いとかいう意味ではなく、良い意味で拍節感を全く感じさせないフレージングの柔軟さと、それを可能にする技術は特筆すべきところ。
まだ若手なので、そんなに劇的な役はまだ歌わないで欲しいのが個人的な意見ではありますが、今後歳を重ねて声が成熟してくればどうなるのか楽しみです。

 

 

 

 

もう一人、若手で楽しみなのがポーランド系米国人のソプラノAlexandra Nowakowski

 

暗めで喜劇よりは悲劇向きの声質。
響きの高さと高音の響きの乗りの良さ。
低音もしっかり鳴らせて、中低音でも表現が薄っぺらくならない確かな発声技術。

こういった要素を兼ね備えたところからも、この歌手を狂乱させたら面白いに違いない。という期待感が高まります。

これ程の実力がありながら、驚くことにまだ殆ど劇場で歌っておらず、主役と呼べるような役も歌っていないと思います。
現在はワシントン国立歌劇場の研修生という立場のようですから、
彼女が檜舞台に現れた時、きっと世界的な注目が集まるはずなのです。

 

 

 

現在売れている若手ソプラノと言えば
Pretty Yendeですが、彼女には正直狂乱は似合わない。

嘲笑的な言い方をすれば、上手く歌っているいる以上のものが彼女の歌唱からはあまり感じられないということなのですが、具体的に言えばフレージングが一辺倒で、感情が高まっているのに一定の心拍数を刻むような呼吸で歌ってはだめなのです。
その辺り、ノヴァコフスキやナザロワには鼓動が速くなったり遅くなったりというのが歌と呼吸でしっかり連動してるところがあるので、知名度では断然イェンデの方があるのですが、個人的な期待感は前述の2人の方が上です。

 

 

 

 

 

 

 

なになに売れっ子の
Nadine Sierra

 

 

 

 

 

 

 

ある意味ネトレプコレベルのスター候補生として注目されてる
Aida Garifullina

 

はどうかですって?

2人とも確かに上手くなってます。
ですが、高音と中低音で完全に響きのポジションが変わってしまうのです。
高音で技巧的に歌ってる分には良いですが、言葉による表現という部分になるとダメで、極端に言えば彼女達はデフォルトが狂乱状態。
いくら超絶技巧が得意でも、イタリア古典歌曲みたいな簡素な曲も上手く歌えなければ、狂乱に意味を与えることはできないのです。

 

 

こういう曲を聴く、言葉のレガートができていないことがよくわかります。

 

 

 

 

 

 

 

そんな訳で、私が選ぶ現在最も狂気を感じるソプラノはと言いますと・・・・。

 

Christina Poulitsi

 

です。

 

1983年生まれで、ちょうど私と同い年なので選びました🎵

 

ってのは勿論ウソで、
この人の歌は、言葉が刺さるように飛んでくるんですよ。

技術、演技力共に備えた近年トップクラスのソプラノ、Patricia Petibonの同曲の演奏と比較しても、プリーチの芯の強さの異常さがわかると思います。

 

 

 

Patricia Petibon

 

 

 

 

 

そんな訳で、
ファンの方には申し訳ないですが、プリーチの歌唱は、ィエンデ、ガリッフリーナ、シエッラじゃ到底太刀打ちできない狂いっぷりです(笑)

この声は正直意味不明ですけど、
リンゴにかぶりつくように声を出せ!
とボローニャで勉強していた方から指導を受けたことがあるのですが、彼女の歌唱はまさにそれで、言葉に噛みつくように歌う。正直ちょっとコワイ・・・。
声の抜け方は爽快そのもの。

こういう技巧的な曲でも、声で歌うのではなく言葉で歌っているというのが重要なところで、まぁ、なぜそんなポジションにスコンスコン音の出だしの音がハマるのか!?

 

 

 

このように中低音を歌っても響きが落ちず、深さも響きの高さもある。
口だけ見てると凄く空けてるな~と思えますけど、
全体の表情を見ていると、顎やほほ、額辺りに無駄な力が入ってないんですよね。
個人的にプリーチは歴史的に見ても怪物級のソプラノだと思うんですけど、いかがでしょうか?

 

といったところで、今回はコロラトゥーラを得意とするハイソプラノのまとめ的な記事でした。

少しでもオペラにあまり詳しくない方に興味を持って頂ければ幸いです。

2件のコメント

  • めぐ より:

    今、発表会でする魔笛のオペラのために、
    夜女の練習をしてるので、参考になります!
    まさに狂乱ですね。
    夜女は二回目なので、今度はもっと落ち着いて歌いたい(^_^;)

    • Yuya より:

      めぐさん

      夜女歌われてるんですか?
      凄い!

      夜の女王という役をどう解釈するか難しいところで、
      1幕のアリアを純粋な母親の嘆きと捉えるか、演技と捉えるかで、
      2幕のアリアを彼女の醜い本性と理解するか、錯乱と捉えるかは変わってくるのかなと思います。

      1幕のアリアは、ロマン派オペラで確立されたカヴァティーナ、カバレッタ様式の先駆け的な面もあって、
      有名なのは2幕の方ですが、私は1幕のアリアがモーツァルトのアリアの中でも屈指の完成度だと思っています。

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