先週フランクフルトオペラで主に活躍しているFlorina Ilieについて紹介しましたが、
その後もフランクフルトのメンバーについて調べていたところ、他にも素晴らしいソプラノが所属していることがわかりました。
そのソプラノは、Bianca Tognocchi (ビアンカ トニョッキ)
ジュゼッペ・ヴェルディ音楽院を出てからドイツ・オーストリア地域を中心に活動しているという、珍しいイタリア人歌手で、20/21シーズンからフランクフルトのメンバーになっているようです。
以下の動画はフランクフルトの前に所属していたダルムシュタットでのルチア。
コレは凄いですね。
超絶技巧を楽々とこなしているだけでなく、下~上の音まで開いた声で全部レガートに歌えている。
はっきり言ってデヴィーアより上です。
Mariella Devia
トニョッキの声を聴いた後でデヴィーアの声を聴くと、詰まっているように聴こえないでしょうか?特に中低音は顕著です。
勿論表現的な部分も含めて判断すればトニョッキの方が優れているとは安易に言えない部分がありますが、声の面だけみれば、私はトニョッキの方がデヴィーアより優れた発声技術を持っていると思います。
そしてイタリア人ソプラノはあまりドイツ物をレパートリーの中心に据えることはしませんが、トニョッキはドイツを中心に活躍しているので、ドイツ物も十八番というのが何と言っても強みではないかと思います。
Walter Braunfels(ヴァルター ブラウンフェルス 1882~1954)という作曲家の近代オペラの演奏
ドイツの近代オペラを歌えるイタリア人ソプラノ。
これだけで結構希少だと思うのですが、発声的にもイタリア国内で間違えなくトップクラスになれる能力がある。
イタリアでイタリア物を歌う能力がなくて外国で歌ってる歌手ではないのが良いですね。
でもなぜか夜の女王を歌った形跡がないのが不思議で、頻繁に歌っているのがジークフリートの森の小鳥。
勿論と言うべきか、椿姫も歌っていない!
このようなレパートリーを見ると、私的には大変興味をそそられるのですが、一般的に受ける役はルチアくらいかもしれません。
だからと言って、イタリア物はあまり歌っていない訳ではなく、ロッシーニ作品やモーツァルト作品(魔笛や後宮からの誘拐のようなドイツ語物は歌った形跡がない)はかなり歌っているようでした。
トニョッキの響きの高さは色々な歌手と比較すればするほど半端ないレベルだと気づかされるのです。
例えば、ドイツの歌手でコロラトゥーラを得意としていて、近現代作品まで歌えるという意味で似たタイプのペーターゼン
Marlis Petersen
ペーターゼンも好きな歌手で、リートでも大変優れた演奏を聴かせてくれる歌手なのですが、
トニョッキを聴いた後だと彼女の声すら響きが低く聴こえてしまう。
フランクフルトに所属してる歌手は男声陣では正直突出して上手いと思える歌手は見つからなかったのですが、コロラトゥーラを得意とするハイソプラノは半端なくレベル高いですね。
来シーズンのスカラ座のキャストより、今回紹介しているトニョッキや、先日紹介したイリーの方が魅力を感じます。
因みにスカラの来シーズンに出演予定の軽めな声のソプラノは以下のような方々です。
Marina Rebeka
ディナーミクは素晴らしいのですが、どこか作った感じの声で発音も今一つ明瞭ではないので、私はあまり好きではありません。t
Irina Lungu
この人は押してますので、正直スカラに出るレベルではないと思っています。
Federica Guida
この方は鼻に入ってますね。
Lisette Oropesa
この人のルチアなら納得できる部分はありますが、
この人も中低音に癖があるという意味では、高音や技巧を聴かせてこそ真価を発揮すると言えるかもしれません。
逆を言えば狂乱しないと魅力が半減する・・・とも言えるかもしれません。
以下の演奏の、まるでメゾのような太い低音と、どこか不自然な響きには違和感を感じてしまいます。
olga bezsmertna
この人は一言で言えば響きが浅い。
胸の響きがあまり使えていないので、どうしても低い音域でスカスカになってしまう。
Benedetta Torre
この人は1994年生まれで、低音でも決して不自然な声にならずに、それでいて軽い声にしては胸の響きと、高い声を出す響きを上手く混ざったメゾが使うような声を操れる有望な若手ソプラノだと思っています。
この人の中低音とオロペーザやレベカのような有名ところの声を聴き比べれば、トッレの声の自然さは明白だと思うのですがいかがでしょうか?
最近のスカラは癖の強い歌手や知名度と実力が見合ってない歌手が多いので正直興味を失ってしまっていますが、トッレのような有望な若手が起用されているところには希望も見いだせます。
そして最後に今一度トニョッキの演奏
ベッリーニ Vaga luna
もう、上手過ぎて初めて聴いた時は正直涙出ました。
明らかに音響の良くないところで録音してるんですが、それがかえって全くごまかしがなくて、
しかも調性も上げずに歌っているので高音なんか出て来ない。
極上のレガートとピアノの表現で歌われる歌唱から、ただただベッリーニの書いた美しい旋律と、その中に許された自由なフレージングが浮かび上がる理想的なベルカント物の演奏と言って良いのではないかと思います。
だから、高音や超絶技巧が得意な歌手でも、大事なのは結局誰でも出せる音域を如何に人より美しく歌えるかなのだとずっと自分で記事に書いてきて、そのことが間違ってなかったなと彼女の演奏を聴いて改めて確信しました。
ありがとうトニョッキ!
最後上げたトッレ以外すべて細い声、浅い支えによる発声の歌手ばかりです!世界的傾向です!
世界のレベルが以前の世界のレベルでなくなってきています!
杉田輝夫様
コメントありがとうございます。
「以前の世界のレベル」とはいつ頃を指していらっしゃいますでしょうか?
私は歌手のレベルが下がっているのではなく、聴衆の良い歌手を聴き分ける能力が落ちているのだと思います。
少なくとも、ネトレプコの旦那さんを当たり前のように出演させている大劇場の状況が変わらないと難しいのかなと思っています。
大学で音楽学の専任教員をしてる者です。
何度かブログ拝見しました。
ステロイドの話や女性歌手の口の形の話、ネトレプコの夫の発声がひどい話など、共感できる部分も多くあります。
ただ、トニョッキがデヴィーアより上というのはあり得ません。
杉田氏も述べておられるように、支えがデヴィーアより段違いで浅いです。
なので、高音を長く保つことができていません。
デヴィーアの声が、録音で聞くと詰まって聞こえるという感覚は理解できます。
(カップッチッリなんかもそうですね)
ただ、生で聞くと詰まるどころかしっかり喉が開いており、大砲のような声が飛んでくるのがよくわかります。
イタリアで何度も生演奏に接しましたので、間違いありません。
支えが強靭で無駄なヴィブラートが一切ないために、録音だとそのように聞こえてしまうのだと思われます。
また、最新の記事で貴兄が良歌手として挙げておられるYoungjun Parkなども、私が聞く限りでは支えが非常に浅いバリトンという印象を受けます。
確かに上に抜けてはいますが、胸で支えているような浅い声ですので、私は聞いていて気持ち悪く感じます。
この手の男声は、日本の檜舞台で歌っている歌手でもそれなりの人数いますが、基本的に年をとると駄目になりますね。
YouTubeの演奏に多く接しておられ、その情報のみでかなり際どいことも書いておられますが、録音はあくまで録音で、設備状況によっても変わってきますし、それだけで罵詈雑言に近いような批評をされるのは危険性が大きいと感じます。
yamada様
ご意見ありがとうございます。
私の意見は同意を求めるものではありませんので、全く違う意見を持つ方がいるのは当然と思います。
ただ、ご指摘頂いた内容については抽象的過ぎます。
例えば「支えが浅い」とは具体的にどのような意図で使っていらっしゃいますか?
Youngjun PARKの比較対象はあくまで多く聴いた韓国人バリトン。
様々なコンクールで聴いたアンドレア・シェニエのアリアを歌うバリトン歌手で一流のプロ歌手と比較して上手いと言っている訳ではありません。
因みに、彼より上手いそれなりの数いる日本人バリトンの例を挙げて頂けると、私としてもyamada様の指摘の意味が理解できるかと思いますのでよろしくお願いします。
デヴィーアに関しては私も生で聴いたことはありますし、まだ学生の頃ではありましたが大変感動した記憶があります。
しかし、彼女の中低音は決して優れているとは言えません。
同世代で同じようなレパートリーを歌っていた、ルチアーナ・セッラと比較すればよくわかります。
もしセッラの声を「浅い」と表現されるのであれば、それはもう議論をしても平行線になるでしょう。
それにトニョッキの記事には、
「勿論表現的な部分も含めて判断すればトニョッキの方が優れているとは安易に言えない」とも書いています。
録音で判断するな!と仰いますが、今ではコンクールの審査も一次審査は録音や録画がメインです。
だからこそ私は自分自身が歌の勉強をして、耳ではなく身体の感覚としても理解できるように精進しています。
なので、別にカプッチッリの録音を聴いても「詰まっている」と感じたことはございません。
生で聴ければそれに越したことはありませんが、それでは世界中の歌手を広く紹介する活動はできませんのでご理解頂くしかありません。
Yuya様
ご返信ありがとう存じます。
「支えが浅い」ですが、腹斜筋や腹膜筋の使用において、全体をバランスよく使えておらず(特に下部)、胸郭等の開きが十分でない状態と考えます。
文章だけで説明するのは限界がありますが・・・。
Yuya様も書いておられるように、声楽指導において「支え」という一言だけで済ませるのは大変問題があると思いますが、文章表現の場で便宜上、使用することが抽象的と言われてしまうと、そもそも話が進みません。
Youngjun PARKにつきましては、「本当に良い歌手だと思います」ということを書いておられたので、大変高く評価しておられるのだと考えました。
(日本語の使い方の問題かと思います)
同じく若手の日本人バリトンで、同じNemico della patriaをYou Tubeにあげている方となると、例えば清水勇磨氏を私は高く評価します。
セッラはもちろん素晴らしい「支え」を持っていると思いますよ。
彼女の歌唱も生で聞きましたが。
お聞きしたいのですが、そのようにおっしゃるということは、セッラとトニョッキが同系統の発声をしているとお考えなのでしょうか?
そうであれば、そもそも議論は成り立ちません。
またデヴィーアについて、「彼女の中低音は決して優れているとは言えません」と書かれておられますが、それは何を基準に優れていないと思われるのでしょうか?
音色が暗めであるということでしたら同意できますが、発声技術や響き方に関しては、彼女の中低音(考えてみれば、これも「抽象的」な用語ですが)は世界でもトップだと思います。
そうでなければ、「ノルマ」で成功をおさめることはできません。
ではトニョッキについて、まず「勿論表現的な部分も含めて判断すればトニョッキの方が優れているとは安易に言えない」と書かれておられることは、きちんと承知しております。
その上で、「声の面だけみれば、私はトニョッキの方がデヴィーアより優れた発声技術を持っていると思います」と明言しておられたので、「支え」ということを例に出して、それはあり得ないということを申し上げたのです。
一つ名言しておきたいのは、トニョッキが下手などと言うつもりは毛頭ないということです。
少なくとも大半の日本人レッジェーロソプラノより数段上でしょう。
音色の華やかさという点で、優れた歌手だとは思います。
ただ、例えばルチアの1:47~49あたりを聴くとわかりますが、彼女のアジリタでは、一音一音が曖昧になることが多いです。
(それこそデヴィーアと比較するとよくわかります)
これは、しっかりと声を「支え」られておらず、浅い所で声を回そうとするためだと思います。
また、同じくルチアの最後の高音ですが、デヴィーアと比較すると外腹斜筋等の力がうまく入っておらず、胸から上だけの響きになってしまっているように感じます。
なので、不自然に力の入った表情になりますし、長く音を保つことができていないですね。
これらの問題は、デヴィーアやセッラでは起こり得ません。
以上のことを申し上げたかったので、補足しておきます。
Youtubeの録音のみで批評をされることについて、それ自体が悪いとは思いませんが、書き方が非常に問題だと考えます。
Youtubeにあがっている、日本では知られていない優れた歌手を紹介するというのはとても意義がありますし、私も拝見して面白いと感じました。
ただ、現時点でプロ歌手として活動している日本人歌手等について、あまりに罵詈雑言に近いような表現を取られるのは、昨今の「侮辱罪」厳罰化の流れもありますので、危険性が大きいのではないかと思いました(侮辱というよりは、名誉棄損なのかもしれませんが)。
コンクールの審査をあげておられますが、ご自身で書かれているように、あくまで「一次審査」のみのもので、最終的には生演奏での判断となります。
ご自身の耳に自信を持たれるのは結構なことですが、批評を行うにあたっては(私も雑誌等に書くことがありますが)、慎重さおよび対象への最低限のリスペクトは必要と考えます。
(日本語の使用として、読者よりそのように受け止められるということが必要)
「荒らし」と言われたくはないですので、私がご返信差し上げるのは、これでひとまず終わりにします。
yamada様
清水勇磨氏は 立川市民オペラの公演で聴いたことありますが、音圧に任せたところがあり、
Youngjun PARKと比較しても明らかに響きのポジションが低いですよ?
所謂「Col fiato」と「Sul fiato」で歌われた声の違いを聴き分けのは難しいかもしれませんが、その辺りの違いは分かって頂きたいです。
さて「侮辱罪」だの「名誉棄損」だのということを仰いますが、本人の人格を否定するような発言は一切行っておりませんし、
優れた歌手には最大限の敬意を払って記事を書いています。
流石に雑誌なんかに投稿している方は色々配慮しないといけないことが多々あるのでしょうから、思ったことをそのまま書く訳にはいかないでしょう。
私とでは全く記事を書く立場が違います。
そもそも、本当に実力のある方が日の目を見ない状況を放置し、檜舞台に立っている歌手が本当にその場に立つに相応しいかに目を光らせることは日本の声楽レベルの向上には欠かせないはずですが、音楽雑誌はそういったことをしてきたのでしょうか?
実力のない歌手を批判するのが侮辱だと言うなら、知名度が低くても優れた歌手を拾い上げずに才能を腐らせる行為は怠慢と言う他ありません。
yamada様の仰ることは正論でしょうが、その結果が今の日本と韓国や中国との声楽レベルの差に表れているのではないでしょうか。
デヴィーアとトニョッキの比較について、yamada様は肝心な部分を議論から排除しています。
それは年齢です。
1980年と90年代の演奏でデヴィーアの声は全然違います。
トニョッキはまだ30歳台半ばだと思いますので、80年のデヴィーアより若いでしょう。
確かにアジリタに関してはデヴィーアの方が数段優れていると思いますが、アジリタが優れている=発声的に良い。という構図は必ずしも成り立たない。
それならバルトリの発声は理想的なのか・・・ということになってしまうし、彼女もかなり上半身で歌ってる部分がありますからね。
そういったことを考えると、トニョッキは支えが浅いのではなく声が成熟しきっていないと見る方が自然だと思います。