モナコ直系のドラマティックテノールAmadeo Zambon

 

Amadeo Zambon(アマデオ ザンボン)1934年~2000年はイタリアのテノール。
知名度こそ高くないが、これほど力強く明るい声を持ったテノールはそういない。

デル モナコが唯一無二のドラマティックテノールだと信じて疑わない人にこそ聴いて欲しい歌手である。

 

 

 

レオンカヴァッロ 道化師 No, Pagliacco non son

画質が悪くチカチカするが、歌っている映像があまりない人なので、これでも貴重な動画である。
明るさの限界を突破したような響きの高さと強さ、この声は正確にはドラマティコと言うよりスピントなのだろうが、
ここまできたらそんな細かい定義はどうでもよくなってしまう。
因みに、勢いで歌ってるように聴こえる方もいるかもしれないが、これは圧倒的な技術に裏打ちされているものである。

 

 

 

 

ヴェルディ アイーダ Celeste Aida

 

「清きアイーダ」はテノールの発声技術を計るのに大変適した曲である。
そのことについては過去記事でも触れたので、どのような部分がテノールの発声技術を計る指標となるのかは、
Fabio Armiliatoの歌唱から学ぶテノールのパッサージョ処理

を参照頂きたい。

ザンボンの歌唱の優れたところをちょっと解説すると
繰り返される
「Celeste Aida, forma divina・・・」(F-G-A-B-C-F)
の部分で響きが常に安定している。

特に多くのテノールが失敗する、”Ai”-”da””の跳躍の”da”の響き。
アペルトになったり、あるいは奥に詰まってしまったり、酷いのは変に抜いた歌い方をする歌手もいたりするが、
ザンボンは真っすぐな響きでありながら、しかし深さを失わず明るい響きなのにアペルトではない。
デル モナコと比較すれば、ザンボンの凄さが分かる。

 

 

マリオ デル モナコ

この映像では全盛期を過ぎていたとは言え、かなり抜いた薄い響きで、
ややアペルト気味な声になっている。
一方ザンボン。
ズリ上げることもせず、響きが薄くなることもない。
パッサージョ付近の”a”母音は極力”o”に近づけて狭く息を通す。という人がいるが、
ザンボンの歌唱はまさにそんな感じで、高音はかなり前に明るく開くが、
パッサージョ付近は決して必要以上に開かない。
ここだけ切り取っても、パッサージョをちゃんと鳴らすということがどれだけ難しいか。
逆に言えば、それが出来る歌手がどれだけ優れているかということが分かって頂けるのではないだろうか。

 

 

 

 

 

 

ヴェルディ トロヴァトーレ Ah si ben mio… Di quella pira

1979年の録音ということで、近代最高のマンリーコかもしれない。
ドミンゴなんて足元にも及ばない。
こういう歌手が殆ど評価されず、
ロクに歌声を聴き分けることができない評論家が「良い歌手がいない」などと平気で書く。
ふざけた話だ。
ザンボンはどう聴いたってコレッリにも負けない逸材ではないか!

 

 

 

 

プッチーニ トゥーランドット

これだけの声を持っていながら、無駄なポルタメントは使わない。
声はとんでもない化け物級だが、歌い方は至ってシンプル。
極端な誇張も、抜いた表現も、ルバートもなく真っすぐに言葉を飛ばすだけ。
現代の歌手の多くが、いかに無駄なことを沢山やっているのか思い知らされる。

 

 

 

ヴェルディ シチリア島の夕べの祈り Giorno di pianto

この人の歌唱の欠点を上げるならディナーミクのなさ。
デル モナコ同様常にフォルテの表現で歌ってしまっていることだろうが、
それでも、これだけ声が出たら、それはそれで許される気がしてしまうのが不思議だ。

因みに、調べるとザンボンはマルチェッロ デル モナコ(マリオの弟)に習った、
直系の弟子(通称メロッキ派)の歌手だったことがわかる。
この発声が声を著しく消耗させると言うのであれば、
原因は恐らく高音より中音域を太く出し過ぎることにあるだろう。
これはソプラノも同じだが、高音は抜けてしまえばそんなにフォルテで出すのは大変じゃないが、
中音域はちょっとでも気を抜くと必要以上に太くなったり喉に負担が掛かったりする。
メロッキ派と言われる中でも、マルティヌッチは、
中音域を太く出すことをしない歌手だったので長くその声を保つことができた。
とは考えられないだろうか?

 

 

 

ジョルダーノ アンドレア・シェニエ come un bel di’ di maggio

恐らくYOUTUBEに音源が残っている中で一番歳がいった時の演奏。
それでも1985年(52歳)なので、2000年まで存命だったことを考えると、
このシェニエの歌唱から考えても全然歌えていたはずである。
調べても大きな病気や怪我で歌手を続けられなくなったような記事は見当たらないので、
余力を残して引退してしまったのだろうか・・・。
それとも、やはりこの発声では長く歌い続けることは難しいのだろうか?
何にしても、全盛期が短い歌手だったとしても、ザンボンの声は間違えなく素晴らしいものであったことを疑う余地はないだろう。
そして、やはりと言うべきか、この人のCDが一枚もない・・・これが現実である。

17件のコメント

  • 前田昭文 より:

    MarcelloはMarioの弟だと思います。再確認をお願いします。

    • Yuya より:

      前田昭文さん

      ご指摘ありがとうございます。
      どこかで見た記事の裏取りをせずに書いてしまっていたのかもしれません。
      マリオ 1915年生まれ、マルチェッロ 1919年生まれ、仰る通り弟でしたね。
      ありがとうございました!

  • タグイ より:

    amadeo zambonの歌唱は、凄まじいの一言ですね。yuyaさんの仰られるとおり、corelliにも負けないというのも過言ではないと思います。
    ところで、既にご存知のようでしたら申し訳ないのですが、1990年(57歳?)のAidaの映像を見つけました。https://youtu.be/ruSBwbcrSO4
    少なくとも60歳ぐらいまでは舞台に立っていたのでしょうか。何分、実力に比して情報が少なすぎる歌手なのではっきりしませんが…

  • Mario Zambon より:

    Amedeo Zambon è nato vicino Treviso/Venezia nel 1934, e morto a Milano per infarto al cuore nel 2000, ha cantato fino al 1994, ultima recita a Parigi con Pagliacci, il suo repertorio era molto italiano : Aida, Trovatore, Otello, Forza del destino, Vespri siciliani, Ernani, Turandot, Tosca, Manon Lescaut, fanc.West, Butterfly, Tabarro, Pagliacci, Cavalleria rusticana, Wally, Norma, Straniera, Poliuto, Adriana Lecouvreur, Andrea Chenier, Fedora e in francese Carmen e Sansone e Dalila, ma anche altre opere eseguite raramente.
    Marcello Del Monaco è stato suo maestro al momento giusto alla fine degli anni 50′ e inizio anni 60′, prima aveva avuti altri maestri minori.

  • 琥珀正博 より:

    音楽のプロではないので、遠慮しながら、感想を申し上げますと、

    御説の通り、優れた歌唱力と美声の持ち主だと思います。
    ただ、コレッリやデルモナコに比べると歌唱にあまり人間的な個性が感じられず、素養あるテノールが楽譜に忠実に歌っている印象で、感心はしても、感動するということがありませんでした。

    デルモナコやコレッリのCDは手元に置いていたいと感じますが、この歌手のを取り立ててまた聴きたいような感覚にはなれないです。

    • Yuya より:

      琥珀正博さん

      コメントありがとうございます。
      人それぞれ感じ方がありますし、全然遠慮する必要はありません。
      だからこそ、モナコやコレッリほど有名にならなかったのでしょうし、
      逆を言えば、彼等の歌唱がそれだけ多くの人を惹きつける魅力があったということでしょうね。

  • NariBoo32 より:

    デル・モナコが好きで色々探していたら、こちらのサイトに辿り着きました。
    目隠しされたら分からないくらいデル・モナコです。
    Amedeo Zambon 音源探してみたいと思います。
    情報ありがとうございます。

    • Yuya より:

      NariBoo32さま

      メッセージ頂きありがとうございます。
      Amedeo Zambon凄い声してますよね。
      モナコ、日本ではNHKイタリアオペラの映像が有名なので、60年代の衰えた演奏が有名なのですけど、
      40年代の声はあの比じゃないですからね。
      いくらフォルテでしか歌えない歌手。という批判を受けようとも、全盛期はそんな批判なんて下らないと思えるレベルですよね。

      • NariBoo32 より:

        返信ありがとうございます。

        テノールに求めるものが人それぞれあるとは思いますが、
        やはり強烈な声の強さは一つの魅力だと思います。
        私もYuyaさんのおっしゃる通りだと思います。
        モナコも Zambon もあの声が魅力だと思います。

  • NariBoo32 より:

    Yuyaさま

    何度もすみません。

    デルモナコや Zambon っていわゆるパッサージョ、アクートは無縁な
    歌手と思っているのですが、いかがお考えですか?
    私の聞く耳が無いだけかと思いますが、地声を小細工無しに歌っている
    ように思えます。
    そう聞こえるところが魅力に感じているのかもしれません。

    • Yuya より:

      NariBoo32様

      パッサッジョ、アクートについては色々と調べれば記事が出てくると思いますが、
      アクートというのは、鋭いテノール特有の響きのことなので、寧ろ良い時のモナコやザンボンはしっかりそれが出来ていると言うべきでしょう。
      これとは無縁というのは、筋力で無理に出した太く重たい倍音のない声。
      あるいはドミンゴみたく押した声も正しくパッサッジョしてない声と言えるかもしれません。
      まぁ、この辺りは感覚的なことなので、人によって言うことは違うと思いますが、少なくともモナコやザンボンはしっかりしたアクートで高音を出していますよ!
      60年代以降のモナコはフォームが崩れてアペルト気味になってますけどね。

  • NariBoo32 より:

    Yuyaさま

    私が言いたかったのはパッサッジョでした。
    モナコや Zambon はパッサジョしてる感じがしません。
    地声でアクートみたいなイメージです。
    自分がイメージするパッサジョは高音を出すために発声を変える
    イメージです。
    言い方が悪いですが、高音用の発声法みたいなイメージです。

    • Yuya より:

      NariBoo32様

      >言い方が悪いですが、高音用の発声法みたいなイメージです。
      ⇒それをあえて言葉にすると、頭声発声ということになると思います。

      高音はミックスボイス(ファルセットと混ぜる感じの高音)なんかもありますけど、そこは置いておいて、
      パッサッジョと言うのは、低い声(胸声)~高音(頭声)をなだらかに繋ぐために通る道で
      そこの技術がないと、低音と高音で音質がバラバラになってしまいますので、結果として「高音用の声」になってしまう訳です。

  • Rei より:

    Zambonについて調べていたところ、この記事に辿り着きました。Zambonの声は凄まじいですね。ご存知がもしれませんが、最近のテノールではAlessandro Mocciaがデルモナコに似た声、メロッキ派のような発声をしていると感じるのですが、どうでしょうか?意見を聴かせいただきたいです。YouTubeには動画などが載っているのですが、それほど情報がないのが惜しいところです。

    • Yuya より:

      Rei様

      コメントありがとうございます。
      返信が遅くなって申し訳ありません。

      Alessandro Mocciaはいま何歳位なのかがわからないのですが、確かにモナコの声に似てますよね。
      ただ、60年代のフォームが崩れた頃のモナコに似てる感じと言えば良いのでしょうか。
      確かに声は立派なのですが、粗削りな演奏でちょっと聴いてて疲れてしまうんですよね。
      モナコは声ばかり注目されますけど、やっぱり根本的に歌が上手かったからこそフォルテだけでもあれだけ沢山の人を惹きつけられたのだと思います。

      • Rei より:

        Yuya様

        返信ありがとうございます。私も全盛期をすぎたモナコの声に似ていると感じました。確かに、聞いていくと少し飽き疲れます。いくら声がすごくてもダメということですね。そう考えると、他の記事でまとめていた、ジャコミーニに師事していたpio galasso は素晴らしいですね。また、pio
        galasso の奥さんのSaioa Hernandez も素晴らしいソプラノだと思います。私の意見ですが、現在のネトレプコや夫のユシフのように有名なだけで、実力が伴っていない歌手ばかりをキャスティングする運営側は考えものであり、素晴らしい素質、声・技術を持っている人達が日の目を見ないのは悲しいばかりです。

        • Yuya より:

          Rei様
          pio galassoとluciano ganciは、個人激に現在のイタリア人の若手リリコスピントテノールの中でも特に好きですね。

          まぁ、ネトレプコは若い頃に築いたものがあるので、フレミングとかダムラウと同じような枠かなと思っているのですが、
          ユシフを持ち上げる意味が全然わかりません。
          あの人を呼んだからと言って客が入るとは思えないし、ネトレプコのオモケで付いてくる的な考え方ならまだしも、
          単体でも大きな劇場に出てますからね。色々この辺りは劇場経営の闇を感じます。
          ネトレプコの前夫のシャーロットは実力もあって、彼との結婚期間のネトレプコは悪くなかったんですけど・・・。

          Rei様のように詳しい方だからこそ、「実力のある歌手が認められていない」という現状に憤りを感じていらっしゃるのだと思いますが、
          多くの聴衆は知名度=実力だと思っていて、自分の耳で歌手の実力を判断できませんし、そもそも歌手を知らないので、
          秋川氏のような方を、テレビに出てれば上手いと思ってしまう。
          こうした聴衆の劣化が結局のところ一番の問題で、ユシフにお金払って聴く価値ないとと考える人ばかりであれば、
          当然チケットが売れないので劇場側も起用しませんよね。

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