Riccardo Massiは世界の一流歌劇場を席巻するほどのテノールなのか?

Riccardo Massi(リッカルド マッシ)はイタリアのテノール歌手。

2017年に新国で蝶々夫人のピンカートンを歌って初来日しているのですが、
デビューが2009年にアイーダのラダメス、2014年にトスカのカヴァラドッシでロイヤルオペラに出てから世界の大劇場でスピント~ドラマティックな役柄を歌いまくっている訳で、今年はネトレプコのデズデーモナを相手にオテッロも歌いました。

そんな今勢いのある若手イタリア人テノール歌手を、ピンカートンという微妙な役で呼んでしまうあたりに新国のキャスティングの微妙さがわかるのですが、
それは別の話としまして、

このマッシという方は元々俳優を目指していて、スタントマンなんかもやっていたようです。
なるほど、剣振り回すようなマンリーコとか、ラダメス、命知らずのカラフをやるには役に立ちそうなキャリアですね。

声としても、デビューからずっと重めの役をずっと歌っている珍しいタイプではありますが、
個人的にはそこまで売れるテノールなのかはちょっと疑問に思いますので、今回はその辺りをみていこうと思います。

 

 

 

ヴェルディ レクイエム INGEMISCO

 

こちらは2010年の演奏なんですが、なんとも言えない演奏ですね。

全体的に響きが上がっておらず発音もかなり大雑把です。
「Ingemisco」は”i”母音が綺麗に決まらないとだらしなくなります。

例えば

0:45~の「Qui Mariam」
1:13~の「Mihi quoque 」
2:10~の「Inter oves 」

こういう長いフレージングの”i”母音で響きが奥になったり、
声が揺れたりするのは非常にマズイ。

と言うのも、”i”母音は一番前で明るく響くので、
この母音が奥に引っ込むということは、
他の母音も相対的に奥に引っ込んでしまうということになります。

声の揺れについても、”i”母音は口腔が狭くなるので、
柔らかい響きを出し難い分、音程としては最も安定し易く揺れ難いので、
この母音が揺れるということは、無駄な力みがあることは確実です。

 

 

 

 

ジョルダーノ アンドレア・シェニエ Un dì all’azzurro spazio

こちらは2014年の演奏。
声そのものは良いものを持っていて、高音のBなんかは立派なものです。
2010年から確実に進歩しているのはわかりますが、問題は五線の上のFの音周辺。

最高音に上がる前に伸ばしている音
2:03~
4:50~
この辺りの音がとにかく揺れる。
ですが、このアリアは声が出ればあまりレガートで歌えてなくても、なんか上手そうに聴こえてしまう部分があるので、逆に絶叫系の歌手が歌うとすぐにバレる有名アリアで見てみましょう。

 

 

 

 

プッチーニ トゥーランドット Nessun dorma

この映像では特にマッシの歌唱の問題がよくわかります。
喉を凝視して頂きたいのですが、頻繁に何かを飲み込んだように喉が上下するのがわかると思います。

高音では、この動きに連動して音をズリ上げています。
この動きは力で舌の奥を下げるなどして無理やり喉を下げて空間を作っているので、
硬くてレガートの無い、それでいて伸ばしている音で揺れる声の歌唱になってしまいます。

さて、パワーで歌っているようなイメージが強く、
アンチには「フォルテでしか歌えない。」と言われるデル・モナコですが、
彼の歌唱と比較すると、いかにモナコとマッシのパワーの質が違うかがわかると思います。

 

 

 

Mario Del Monaco

いかがでしょう。
デル・モナコは声で歌っているのではなく、
レガートでしかも全くズリ上げることなく歌っています。
声ではなく言葉の力、息の力で歌っているのですが、声が大変立派なために、
マッチョな声を作っているのではないか?と思う人もいることでしょう。

ですが、聴き比べれば明らかなようすに、
「マッシの歌唱はイタリア伝統のベルカント・・・・」
などと言って良い代物ではなく、
それどころか全く違う質の発声であることがわかると思います。
マッシよりも声は軽いですが、よっぽどチャネフの方が発声としては素晴らしいです。

 

 

 

Kamen Chanev

マッシと全く逆なのがチャネフですね。
声そのものはリリコでも良さそうなやや線が細い感じなのですが、
響きがどこの音域、母音でも一定してしっかり鋭く強く明るいポイントに当たっているのがわかると思います。

 

 

 

 

ヴェルディ オテッロ first act duet
ソプラノ Anna Netrebko

 

今年の11月に行われたばかりのオテッロの演奏なのですが、
ネトレプコもここまでドスの効いた声になってしまったんですね。

それはともかく、マッシはアルミリアートの下位互換か?
ってくらい高音のズリ上げが酷くなっています。
部分的にこの2人の重唱を聴いていたら、ローエングリンのオルトルートとテッラムントの重唱のような、まるでメゾとバリトンの重唱のように聴こえました。
では現代を代表するオテッロ歌い、クンデはどうか?

 

 

オテッロ全曲
オテッロ: Gregory Kunde
デズデーモナ: Maria Agresta

25:00~が同じ部分になります。
こうして比較すると、声ではそこまでマッシはクンデと比較しても遜色ないのですが、
何といってもフレージングというものが全くありません。
マッシほどレガートで歌えないイタリア人テノールも珍しいのではないかと思うくらいです。
こういう声だけが取り柄のような歌手がスカラやメトで、カラフやカヴァラドッシやオテッロを歌っているのが現状であると考えると、
一流劇場だと認識されている大劇場は、歌の上手さより声のデカさが重要視されていることは明白です。
特にドラマティックな役になるほどこの傾向は顕著なのではないかと思います。

こうした現状を知ることで、メトやスカラに出てるから上手い歌手。
地方の中小劇場でしか歌ってないから大した歌手じゃない。
というような考えを持っている方いるのであれば、是非この機会に改めて頂きたいと思います。
ちょっとマッシの歌を聴いている限り、この声で歌い続けられる寿命はそう長くないように思えてなりません。

 

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