幅広いレパートリーで活躍の幅を広げているハイテノールCyrille Dubois

Cyrille Dubois(シリル デュボワ)は1984年、フランス生まれのテノール歌手。

幼少期はソプラノ歌手として教会で歌ったり、オエルガンを学んでいたようですが、その後テノールとしてパリ音楽院、パリ・オペラ座の研修所で研鑽を積んで、オペラ歌手としても、コンサート歌手としてもヨーロッパを中心に活躍しているハイテノールです。

レパートリーは幅広く、フランス物ではラモーのようなバロックから、グノー、ビゼー、オベール、フォーレ、ドビュッシーの作品は勿論、歌曲ではリストのフランス語の歌曲も積極的に取り上げていました。
イタリア物ではモーツァルト、ロッシーニ、ドニゼッティ作品。
更にはオペレッタまで歌っており、今非常に勢いのある若手テノールではないかと思います。

 

 

ドリーブ ラクメ Fantaisies aux divins mensonges

この演奏が2012年なので、20代半ばの演奏ということになります。
歌声を聴いていると、地声とファルセットの区別があまりなく,
パッサッジョも一般的な歌手よりかなり高いところにある、主にロッシーニテノールに多いタイプの声と言えるかもしれません。

こういう声のタイプのテノールは、前の方にカンカン響きが当たるタイプが多いのですが、デュボワはやや奥目で、軽くて細い響きながらもキンキンしたところが全くありません。
その一方で、前で発音ができていない分、どうしてもレガートの質や、ピアノの表現での緊張感には改善の余地があります。

フランスの名テノール、アラン。ヴァンツォの演奏と比較すると、同じ軽い声であっても響きのポイントと言葉の音色、ピアノでの表現での緊張感の違いは明確です。

 

 

Alain Vanzo

ただ、ヴァンツォの場合は、シチリアの血が入っているはずなので、やはりテノールのシチリアンブランドは伊達ではありません。
ロベルト・アラーニャもそうですが、フランス系のテノールでもシチリアの血が入っていると、イタリア人歌手に劣らない明るく開放的な響きを持っていますから、声質をデュボワと比較するというのは酷かもしれません。

 

 

 

モーツァルト ポントの王ミトリダーテ Se di regnar sei vago

こちらは2016年の演奏。
言語の違いのためなのか、それとも2年で発声的な部分で変化があったのか、
良く言えば響きのポイントが前にきているのですが、悪く言えばアペルト気味で、鼻にもはいりかかっている。
ロッシーニ作品ではありませんが、技巧的なパッセージがあって、高い音域を駆使するような曲を歌うとこういうスタイルになるのでしょうか?
この演奏を聴くと、ややミロノフに似た感じもしてきます。

 

 

 

 

Maxim Mironov

正直この声はロッシーニのようなものだからこそ上手く聴こえる感がありますから、
意図的にデュボワ曲によって、歌唱スタイルを使い分けているのだとしたら大したものです。

 

 

 

 

リスト O Lieb ! so lang du lieben kannst(愛の夢)

こちらは2019年の演奏。
ドイツ語歌唱で、ちゃんと言葉も聞き取れるんですが、どこかドイツ語っぽく聴こえないのはなぜだろう、
と考えた時、まず一番に思い当たったのが、”i”母音の焦点のなさ。

これは私の感覚的な部分も関係しているのかもしれませんが、上手くその言語を聴かせるのに、
ドイツ語であれば芯のある”i”母音。
イタリア語であれば、明るく開放的な”a”母音というのが一つ基本になると考えていて、
ここが決まってこないと、いくら声がよくても、発声技術が優れていても何か違うなという感じになってしまう。

デュボワの「愛の夢」はその典型的な例と言えて、出だしの「Lieb」という言葉なんかでも、”i”母音がディミヌエンドと共に衰退していってしまって、クラシックよりは、シャンソン寄りの表現に聴こえてしまうと言えば良いのか、緊張感のある真っすぐなメロディーラインが浮き立ってこないので、どこかふわふわした印象を受けてしまう。

様々な言語の歌唱で、あらゆる歌手がお手本であるかのように称えるニコライ・ゲッダの歌唱と比較すれば、デュボワの歌唱がドイツリートを歌うためのレガートとは違う質のものであり、その多くが”i”母音に起因していることがわかるかと思います。

 

 

Nicolai Gedda

 

 

 

 

ビゼー 真珠採り Je crois entendre encore

最後に今年の演奏。
やっぱりこういう曲は素晴らしいですね。
ファルセットとも実声ともとれない高音のコントロールの巧さこそ、彼の歌唱の最大の長所でしょう。

ただ、こういう声の歌手にとっては低めの音域の方がむしろ粗が目立ってしまうもので、
高い音に引っ掛けてから跳躍して低めの音を伸ばすような箇所(1:08、1:53など)が度々ありますが、そのような部分でチリメンヴィブラートが掛かってしまうのは気になるところです。

とは言え、高い音域での安定感やディナーミクの付け方など、技術的な面では本当に完成度の高い演奏をされていると思います。

 

2014年の声から現在の声まで追ってみましたが、響きのポイントが前にきている一方で、
最初は奥目ではあったものの鼻には入っていなかったのですが、最近の演奏は鼻に入るか入らないかギリギリのところで歌っている感じがします。

このような声質なので、あまり開放感のある響きを求めることはできないかもしれませんが、
少々上体だけで歌っている感じがして、歌曲の演奏が小さくまとまっているように聴こえるので、
今後は、部分的なディナーミクではなく、もっと大きなフレーズで曲を捉えて、芯のあるピアノの表現にも磨きをかけて欲しいなと思います。

何にしても、様々なレパートリーを歌っているので、今後どういう方向に転ぶかは予測し辛いですが、個人的には、あまりイタリア物を歌うとかえってアペルトな方向に声がいってしまわないか心配ではあります。

そんな訳で、
これからどんな声になっていくのか、注目したいと思います。

 

 

 

CD

 

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