ガンチ&シメオーニのコンビでアドリアーナ!

日本では、オペラ歌手とは名ばかりの歌手がテレビに出て歌っていましたが、
ボローニャでは、現在トップクラスのテノールとメゾソプラノが出演したADRIANA LECOUVREURがアップされていました。

 

 

Teatro Comunale Bologna ADRIANA LECOUVREUR di Francesco Cilea

<キャスト>

MAURIZIO
Luciano Ganci

IL PRINCIPE DI BOUILLON
Romano Dal Zovo

L’ABATE DI CHAZEUIL
Gianluca Sorrentino

MICHONNET
Sergio Vitale

ADRIANA LECOUVREUR
Kristine Opolais

LA PRINCIPESSA DI BOUILLON
Veronica Simeoni

MAD.LLA JOUVENOT
Elena Borin

MAD.LLA DANGEVILLE
Aloisa Aisemberg

QUINAULT
Luca Gallo

POISSON
Stefano Consolini

 

 

 

 

 

 

昨年のマチェラータ音楽祭でのアイーダに続いて
ガンチとシメオーニのコンビによる演奏は外れがありません。

この2人は今やヴェルディ~ヴェリズモ作品の演奏には欠かせない歌手となったとつくづく感じます。

 

そんな二人の間に入って歌うオポライスはと言うと、
はっきり言って彼等に混ざってイタリア物を歌えるレベルではありません。
0:50:00~、
1:05:00~
で二人と絡むシーンなんかを聴けばわかるのですが、

ガンチとユニゾンを歌っても、オポライスの方が明らかに音程が低く聴こえてユニゾンに聴こえなかったり。
シメオーニと絡むシーンでは、どっちがメゾかわからないような音色で、全く響きの豊かさが違う。

有名な登場のアリアでは、高音のピアニッシモも全然できないし、持っている声の美しさは確かに素晴らしいのですが、技術的には一流とは到底言えません。そんな彼女が檜舞台の主役となれるのは、旦那さんが有名指揮者のネルソンスだったからではないかと穿った見方をしたくなります。

こういった構図は、例えばラトルの奥さんのコジェナー、
ネトレプコの旦那さんであるあのテノール歌手、など珍しいことではないのですが、
それにしてもここまで、主役が一人発音が全く飛ばず、最後の方は低音で唸ってるか、高音で叫んでるかみたいな有様では、実力で主役を掴んだのではないことがすぐに分かってしまう。

フィナーレの1:54:00~辺りから、ガンチとオポライスが歌いますが、
確かに死にゆく役とは言え、オポライスは声もボロボロで、フォルテを出そうとする時に、所々喉がガリガリいってるのが聴こえるので、正直聴いてるのが辛いレベルです。

一方のガンチは、低音でもピアニッシモでも、見事なレガートでコントロールされていて、
決して大音量ではありませんが、広がりのある豊な響きで本当に上手い。

シメオーニは、アリアくらいしか聴かせ処がないのですが、それでも出てくる場面での存在感は流石の一言。

他のキャストは、低声勢の男声が良い声だが圧力過多で鳴らしている声に聴こえてしまうので、悪い歌手ではないものの、主役級の演奏を聴きたいかと言われればそこまでではないと言った感じでした。

 

さて、今年は新たにどんな歌手と出会えるのか、楽しみな反面、流行病の拡大での劇場閉鎖もかなり広がっているので、そちらの不安も大きいですね。

引き続き芸術家が生きていくのが大変な世の中ではありますが、わが国、日本の生存権の中には、

「すべて国民は健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」

とあるのですから、文化的な生活は贅沢ではなく、生存権であると主張していかなければならないのです。

なので、音楽家も、
「活動自粛が命を守るために仕方ないことなんだ。」
などと思っていてはいけない。
それは音楽という芸術の価値を、プロを名乗る人自らが貶めることになるのだから。

 

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