本物のオテッロ歌いRamon Vinayについて

Ramon Vinay( ラモン ヴィナイ 1912- 1996)はチリのオペラ歌手

最近は古い歌手を紹介していなかったので、久々にリクエスト頂いた歌手の中から、
「テノール役を歌うバリトン歌手。」と評されたり、

確かベルゴンツィだったかが、
「本物のオテッロを歌う声をモナコではなくヴィナイだ。」
のようなことを言っていたことがあるほど、歴史的に見れば伝説的とも言えるドラマティックテノールであるヴィナイを紹介します。

と言うことで、まずバリトン役を歌っている時の音源から紹介しましょう。

 

 

 

 

 

 

ヴェルディ アイーダ(アモナスロ役)

よくこんな音源が残っているものだと感心しますが、
バリトンからテノールに転身した歌手と言えばベルゴンツィが一番有名だと思いますし、
バリトン⇒テノール⇒バリトンというキャリアではドミンゴが一番有名でしょう。
しかし、このヴィナイはそもそもバス役までカバーできる声を持った怪物で、この人を一般的な声種に当てはめることに意味があるのか?
という気すらしてしまう訳です。

 

 

ヴィナイとドミンゴを比較する人はやっぱりいるようで、以下のような動画がありました。

こうやってヴィナイと比較すると、ドミンゴが喉声に聴こえてしまう。

声楽指導の現場でよく使われる「響きを集める」という言葉は、正にドミンゴの発声そのものではないか!?

それはおいておいて、バリトンの声でテノールの音域を歌う役と言えば、
オテッロ以外にも、トリスタンがありまして、
古い録音のワーグナー演奏と言えば、フラグスタートとメルヒオールが主役を歌っている録音が特に名高いのですが、ソプラノ役を歌えるメゾソプラノ、マルタ・メードル、ヴィナイによるトリスタンも大変歴史的に価値のある音源ではないかと思います。

 

 

ワーグナー トリスタンとイゾルデ(2幕)

14:35~が愛の二重唱です。
ヴィナイのワーグナー演奏が好きかどうかは別として、歌い出しの音のアタックがブレないのはやっぱり凄い。
ヴィナイがただ持っている声に頼って音圧だけで歌っている訳ではないのは、弱音の表現や、ピアノの表現であっても、響きの質を変えずに、音の出だしをずり上げたり、ファルセットのような逃げ方をせずに、フォルテと同じようにアタックできるところを聴けば明らかです。

確かに太く重い声で籠り気味の発音になるので、メードルのようなワーグナーのスペシャリストと一緒に歌ってしまうと余計にドイツ語を歌うには適していないように聴こえてしまうかもしれませんが、声だけそれっぽくても上半身だけで太く作って圧力で高音を出しているようなエセヘルデンとは明らかに違うのです。

 

例えば↓みたいな歌手(0:30:00辺りを聴くとよく分かると思います)

 

 

 

 

 

 

<オテッロ歌いとしてのヴィナイの歴史的価値>

ヴェルディのオテッロが今のような超ドラマティックテノールの役として定着したのはヴィナイの影響が非常に大きいと思います。

と言うのも、1800年代に活躍していて音源の残っているオッテッロを歌っていた歌手というのは、以下のような声だったからです。

 

Francesco Tamagno(フランチェスコ・タマーニョ  1850 – 1905)

今この人を声を聴いて、ドラマティック、あるいはスピントなテノールの声だと思う人は少ないのではないかと思います。
私も、ヴェルディが存命の時にオテッロ役で成功した歌手と知ってその演奏に期待してCDを聴いたら、「なんでこんなアペルトなんだよ!」と学生ながらにがっかりした記憶があります。

そういう意味でも、今のテノールの発声が確立したのはやはり、カルーゾーやジーリといった歌手による所が大きいのは明らかなのですが、そのカルーゾーのオテッロが歴史的名演と言われているかと言われれば、彼自身も言っている通り、「道化師やオテッロは重すぎる」ので、決して声が役に合っているとは言い難い。

 

 

Enrico Caruso

・:」

 

 

個人的にカルーゾーの演奏で好きな年代は1904年

オテッロや道化師、晩年に録音したアレヴィ作曲のユダヤの女のアリアなんかは、この演奏を聴いた後だと重く作った声に聴こえてしまって、個人的にはあまり好きになれない。

 

 

 

Ramon Vinay

そして今回の主役ヴィナイである。
戦前の名バリトンとして知られる、ルッフォやデ・ルーカといった歌手より太く重い声かもしれません。
自然な声のままで、過剰表現をせずにこれだけの緊張感とドラマ性を体現した演奏は他にないと思います。

 

 

Mario del Monaco

モナコは1950年代後半にはフォームが崩れかかっているので、この演奏でも最初の方の”u”母音があまり良くないです。
彼の演奏を聴くなら1940年代をお勧めしたいのですが、それは別の話として、やっぱりモナコはテノールなんですよね。
ヴィナイのように深く暗い、鎮痛さを内に秘めたような中低音ではなく、あくまで黄金のトランペットなので、高音でこそ威力を発揮する。
あまり音域の高くないオテッロ役がモナコの声に合っているのかどうかはそういう面から見ると疑問だったりします。

 

 

モナコはこういう演奏でこそ最大限に声の魅力が発揮される。

 

Via Del Giglio43

この演奏が入ったCDを家で流していたら、親がモナコファンになったのは良い思い出です。
ただただ恰好良い。
こういう明るい響きこそモナコの最大の武器なので、オテッロを歌うと、どうしても過剰な表現に頼ってしまう部分があるので、オテッロを歌うのに相応しい声は、モナコよりヴィナイである。
というのが私の結論となります。

 

モナコ以降にオテッロ歌いとして名前が挙がる有名な歌手は、
ドミンゴ、ヴィッカーズ、ジャコミーニ、クーラ現在はクンデといったところでしょうか?

個人的にはドミンゴやヴィッカーズよりジェームズ・キングが好きだったりするのですが、録音や撮影環境が良いものとなるとどうしても有名歌手の演奏に限定されてしまうのは仕方ない。

 

 

 

 

 

最後に、オケを消す加工をしてヴィナイのオテッロの死の音源をアップしている物好きがいたので、その音源で締めたいと思います。

こうやってじっくりヴィナイの声を聴くと、この人の中低音の弱音の響きの深さに感動する。
演奏に深みを出すにはやっぱり豊な中低音は欠かせない。
今回ヴィナイの演奏をじっくり聴いて、改めてそう感じました。

 

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