柔軟な表現テクニックを持ったリリックメゾ Lara Cavalcanti

Lara Cavalcanti(ララ カヴァルカンティ)はブラジルのメゾソプラノ歌手。

 

偶然ブラジルの作曲家、Francisco Paulo Mignone(フランシスコ・パウロ・ミニョーネ 1897年 – 1986年2)という方の歌曲を歌っている映像を見てこの人を知ったのですが、繊細な響きのコントロールと、母音が明確で語るように紡がれる演奏にに惹き込まれました。

 

 

 

 

 

 

メゾソプラノらしい充実した響きの中音域と、
リリックソプラノのような透明感のある高温で、技術的に圧倒的な響きの緊張感を持ったピアニッシモがあったり、ものすごい美声という訳ではないのですが、どこを切ってもブレスコントロールに乱れがなくて、恥ずかしながら全然知らない曲で当然旋律もわからないのですが、音楽の方向性がしっかり見えて聞いていて心地よい。

余談ですが、ミニョーネという作曲家の経歴や評価としては以下のような感じのようです。

ブラジルのサンパウロで生まれた作曲家です。彼はイタリア系移民のフルート奏者の父親から音楽の手ほどきを受け、サンパウロ音楽院とミラノ音楽院で学びました。彼はブラジルのクラシック音楽界において、ヴィラ=ロボスに次ぐ重要な存在とされ、1968年にはブラジリアン・コンポーザー・オブ・ザ・イヤーに選ばれました。

彼の作品は大きく3つの時期に分けられます。初期の作品はイタリアでの影響が強く、ロマン派的な情緒が感じられます。中期の作品は民族主義的な傾向が顕著で、ブラジルの民謡やポピュラー音楽の旋律や形式を取り入れています。晩年の作品は折衷主義的で、複調、無調、セリー書法など様々な技法を用いています。

彼はオペラやバレエを含む多岐にわたるジャンルで作曲しましたが、特に歌曲やピアノ曲で高い評価を得ました。彼のピアノ曲には《ブラジル風ワルツ》や《ショーロ風ワルツ》といったシリーズがあり、ブラジルの音楽文化を反映した叙情性や即興性が魅力です。

 

とのこと。
なるほど、だから歌曲の様式感も曲によってかなり違うんですね。
ブラジルはポルトガル語なので、基本的に彼の歌曲もポルトガル語で書かれているとのことですが、イタリア語やフランス語の歌曲も残しているとのこと。

南米はスペインの影響が強かったので公用語がスペイン語のところが多い中、ブラジルはほとんどスペイン語が話されている地域がないのだそうです。

日本に住んでるブラジル人に、公用語はスペイン語だと完全に思い込んで話していたら怒られたのを思い出しました。

 

話を戻して、 カヴァルカンティの演奏ですが、
とにかく喉を押さない歌い方をするのが好感を持てます。

 

一番最後に歌っている曲
Quatro líricas(i desafio )48:35~
なんて、伴奏を聞くとヴィラ=ロボスみたいだな~と思うんですが、
歌の旋律は結構明確で、ポピュラー音楽の旋律や様式を取り入れているというのも納得です。

こういう曲であっても、声楽的な声の範疇を逸脱した過剰なパフォーマンスをせず、理性的に、それでいて様々な音色を使い分けながら、ちゃんとレガートで歌えている。
というところが彼女の技術の高さを表していると思います。

 

 

 

 

 

 

チレーア 『アドリアーナ・ルクヴルール』Acerba voluttà

多くのメゾが絶叫するアリアで、カヴァルカンティの声にとっても重い曲なのですが、叫ぶことなく、音色を深いポジションでコントールし、響きのポイントが落ちたり、声を太くせずに曲に適応した声を出してしまう。
声の奥行をこれ程上手く調整できる歌手は中々いないのではないかと思います。

口のフォームを見ていても、曲によって自在に使い分けているのがわかって、これが母音に明暗をつけるところと繋がっているのですが、
奥行を使って深く暗めな響きを出したり、透明感のある軽いソプラノのような高音を出す。と言葉にすれば簡単そうに見えるものの、いあざやるとなると並大抵の技術では喉声になってしまったり、鼻に入ってしまったりするもので、無駄なく声帯が鳴る息の量と、子音を無駄なくさばける舌や唇の使い方ができてこそ可能になることなのです。
この人の演奏からは個人的に学べることが沢山あって、久々に長時間演奏を聴き続けた歌手かもしれません。

残念ながら彼女はブラジル国内での活動がメインで国際的にはあまり知られていないようで、来日することもないかもしれませんが、こういう歌手がきっとまだまだ世界にはいるのだと思うと、改めて有名な劇場で歌ったり、大手レーベルからCDを出している人だけが一流な訳ではないと実感します。

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