【プチ評論】8/24吉田志門・碇大知 デュオリサイタル

この夏は、ヨーロッパにいる友人知人の一時帰国が重なりまして、
中でも、対談して下さった
吉田志門さんが8/24
田中絵里加さんが8/25に演奏会を行いましたので、
その演奏会について、少し書こうかなと思います。

まず8/24の演奏会から

 

8/24吉田志門・碇大知 デュオリサイタル

この演奏会のメインは、木下牧子氏ご本人を演奏会に招いての木下牧子の歌曲。

これらの作品にフォーレ(プログラムではオリジナルのアクセント「フォレ」で記載していましたが、ここでは一般的な「フォーレ」で書きます)を併せてくるところが志門さんらしいセンス。

正直、私は心の中では「ドイツ物じゃないんかい!」と突っ込んでいた訳ですが、ご本人がフォーレ好きを公言されていましたし、

確かに木下作品を引き立たせるには、シューベルトやRシュトラウスより適しているかもしれません。
フォーレの選曲でも特に有名な、「夢の後に」,「リディア」、「月の光」といった作品を選ばないところがまた、何としても木下作品を聴衆の印象に刻み込もうという意気込みを感じさせます(笑)

とは言え、歌ったフォーレ作品が全て地味なものだったかと言うと、決してそんなことはなくて、そこの演奏についてどう捉えるべきかがちょっと難しかった。

と言うことで、フォーレ作品について大まかにまず感想を書いてみます、

 

 

 

歌った曲を部分的に挙げると

 

Rêve d’amour

 

 

 

Les roses d’Ispahan

 

 

 

: Ici-bas!

 

 

 

Sérenade Toscane

 

 

 

Mandoline

 

 

 

ご本人のリハ映像として「Les roses d’Ispahan」を歌っているのがこちら

上で紹介した、古今の名歌手と比較してどうのと言うつもりは全くありません。
ただ、どーしても気になってしまったのは拍節感がカッチリし過ぎていること。

運が良いのか悪いのか、プログラムの一部では偶然木下氏の2つ隣に座ってまして、ご友人との会話が漏れ聞こえてきてしまったのです。
そこで、
「上手いけど、コントロールし過ぎるのかテノールを聴いている感じがしない。」
「宗教曲を得意にしている方みたいよ。」
「あぁ、なるほどね」

といった会話(一語一句同じ言葉だった訳ではありませんので誤解のなきようお願いします)
がされていました。

コントロールし過ぎるという部分については確かにその意見は一部当てはまると私も思うところがありまして、
いつだったか、彼のロッシーニのセビリャの理髪師のアリアを聴いた時に、こういう演奏が出来るのか~と驚かされた記憶がありました。

そうであればこそ、今回歌われた、トスカーナ風セレナーデなんかで特に感じたのですが、フォーレという枠で声を作ってしまっていて、この曲をテノールが歌うんだったら、もう少しイタリア的な解放感が欲しいと思ってしまいました。

自分の中でやりたいことが決まっていて、技術的にもしっかりしているだけに、教科書的な演奏に聞こえてしまう部分をプロの仕事ととらえるか、面白みに欠けるととるか、ここが聴き手によって感じ方が変わる気がします。

私みたいないいい加減な勉強をしている人間が偉そうに言える立場ではないですが、多少自分では下品に思うところまで解釈の幅を広げて色々試してみたら良いのではないかなと思ったりしました。
具体的には、母音の音色が整い過ぎているので、もっと明るい”a”母音、深い”o”母音なんかで明暗が出てくると、表現に奥行が付く気がします。

 

 

 

 

次に木下作品について。

木下牧子: おんが

この曲はアンコールの一番最後に歌われた曲でした。

メインとなっていた

歌曲集「いちばんすきなひとに」は昨年も演奏されていたので、
この曲をとにかく大事にされていることがよくわかります。

木下作品については、今日本歌曲が歌われる演奏会に行くと、
特定の作曲家を取り上げたものでない限りは、ほとんど必ずと言って良いほど、歌う人がいる位演奏頻度が高く、合唱界ではもはや『方舟』なんかは古今東西の名作と肩を並べる位評価されている曲なのではないかと思います。

それで、「いちばんすきなひとに」という曲集なのですが、
旋律の明解さと、絵本をめくっていくかのような、ノスタルジックな歌詞からも独唱・合唱問わず人気の高い歌曲集『愛する歌』なんかと比べると、
テノール用に書かれてはいるものの、音域は決してそこまで高い訳ではなく、むしろテノールにとって低い五線の下の方の音を多用しつつ、それでいて五線の上の方のレ~ファ辺りで繊細な表現が求められるため、曲集を通して想定された声のイメージが掴みにくい。

1曲目の「僕はまるでちがって」、
3曲目の「二人の詩」なんかはテノールらしい曲なのですが、

4曲目の「忘却」なんかは正直バリトンが歌った方が味が出そうな気もしない訳でもなかったりするのと、
2曲目の「また昼に」は高音のフォルテが声が出し難い書かれ方をされてまして、個人的には好きな曲なんですが、声が詰まり易い。

前置きが長くなってしまいましたが、
上記のような観点で志門さんの演奏を聴いた時に、
やっぱり感情と声の歯車が嚙み合っているのが1曲目と3曲目だったかなと思う訳です。

5曲目の「しぬまえにおじいさんのいったこと」は、
皮肉なことに、この曲集で一番開放的な声になるような書かれ方をされてるんですね。これがどのような意図なのか知りたいところ。

例えるなら、椿姫でヴィオレッタが亡くなる前に全ての苦しみから解放されて、蝋燭が消える前に一瞬燃え上がる如く元気になって息絶える。
原作は違いますが、オペラのウェルテルもそうですね。
という感じなのかもしれません。

これを歌う時、志門さんご本人は感極まってしまうということなのですが、一年前に聴いた時の方がその想いが伝わってきたというのが正直なところで、演奏者として、同じ曲を何度も歌うと新しい気持ちで取り組むのが難しくて、

某有名指揮者が、
「第九はカップヌードルみたいなもので、オーソドックスなのが良いと思う人が一番多いんだろうけど、それだけだと飽きるから色々な味が出ては淘汰されて、結局定番だけが残るんです。
いつも第九同じような演奏してたら飽きるでしょ。」
みたいなこと言ってのを思い出してしまいました。

あくまで私の拙い記憶に頼る限り、1曲目なんかは完成度があがった印象を受けた一方で、5曲目のように、歌い慣れたなという印象が強く残ってしまった曲もありました。

今後もこの曲集を歌っていかれるのだと思いますから、往年の名歌手のシューベルトの連作歌曲録音のように、歳を重ねてどう演奏が変化していくのか、そんなところも今後の彼の活動を応援していく上で楽しみなところです。

 

最後に声に関して、
やっぱり日本語の「う」はテノールにとって特に難しい。

中でも伸ばしている時やフォルテの時に、”う”母音で声を開放するのが本当に大変で、志門さんも、ピアノの表現の時は透明感のある響きで流石の技術の高さを聴かせてくれたのですが、比較的強い声だったり伸ばす時に、響きが乗らずに重くなってしまう傾向がありました。

そんな中で、実は今回の演奏会で一番良い声が聴けたと思えたのが、
アンコールで歌った、『ねこぜんまい』

曲をご存じない方の参考のために。

 

この曲の冒頭に出てくる「ゆゆ~~ん」という歌詞の”う”のポジションは明るくて、力みがなくて、正に歌詞のまんま伸びのあるテノールらしいものでした。
大げさかもしれませんけど、この声が聴けたことが今回の演奏会で一番の収穫だったかも!?

と言うことで、色々書きましたけど、
帰国して、熊本~東京まで回って演奏会をする。
という大変なスケジュールをこなされたことが既に凄いことで、
その上にドイツで歌ってる物ではない、木下作品を日本で取り上げるというのがまた驚きなんです。
普通はヨーロッパで歌ってるレパートリーそのまま持ってきて「街宣公園」みたいな謳い文句でチケット売るんですよ。
でも彼は違う。
一体いつ木下作品の勉強してるんだろ~なんて思ってしまう訳です。

日本歌曲は、当然ですけど、聴衆が言葉分かる分、歌詞間違えればバレる可能性高いですから、暗譜も精密さが求められますから、そういった部分を考えると、譜読みや暗譜能力こそ志門さんが海外でやっていけてる武器なのだろうなと感じる。
そんな演奏会でもありました。

1件のコメント

  • 吉田志門 より:

    Yuya様
    お運びくださったのみならず、このように時間をかけて評論を書いてくださり、Yuya様の音楽に対するアツい思いを強く受け止めました。本当に、本当にありがとうございます!!!!
    書いてくださった一つ一つの言葉の中に「やっぱりそうだったよなぁ・・」と自覚するほど反省できる部分と、「そう印象を持たれたのか!」と新しい発見がありました。
    驚きましたのは、この夏が終わり、この1-2年の自分の声の変化を振り返ってみて、今一度セヴィリアの理髪師をゼーハー言いながら歌っていた頃の自分の良さを取り戻してみよう!と思っていたところだったのです。なので「セヴィリア」や「ゆゆーん(in ねこぜんまい)」のことを(ポジティブな意味で)書いてくださっていたのは私にとって大きな励みです。
    なんというか、テノールの野性を思い出したいと言いますか・・ここ2年は特に、メンデルスゾーンやらバッハやらシューベルトやら、完全に中低音に声の重心が移ってしまうようなレパートリーばかり歌っていました・・そういった仕事の依頼がほとんどであって、仕事を頂いていると言うことは何よりも有難いことなのですが。ただ、今後の成長を考えると、このまま宗教曲テノール(的な歌声)で終わるわけにはいきません。これまでの2年間とは全く別方向に走り出したいです。その背中を押してくださるような今回のご評論に、心から感謝をしたいと思います。ありがとうございました。吉田志門

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