二週間以上前の演奏会のことになってしまうのですが、先週は書く時間がなく、このタイミングになってしまったことをまずお詫び申し上げます。
コチラのサイトで映像が少し見れます。
2千円で全て見れるようです。
まずこの演奏会、知名度が実力と釣り合ってない歌手や、全盛期を過ぎた名歌手の演奏会に高いチケット代払うより、よほど有意義な演奏会だったのではないかと思います。
ということで、出演者について詳細を書いていきます。
小林啓倫 バリトン
この演奏は2020年とのことなので、先日の演奏とはかなり声が変わっていた印象です。
歌った曲は、
◆独唱
モーツァルトのフィガロの結婚から伯爵のアリア
ヴェルディのドン・カルロから、ロドリーゴのアリア
◆重唱
ヴェルディの椿姫から、ヴィオレッタとジェルモンの重唱
ドニゼッティの愛の妙薬から、ネモリーノとベルコーレの重唱
まず声としては、暗めな音色ながら強い中音域を持っていて、
声に芯もあるのでイタリア物の比較的ドラマティックな作品を歌うのにも向いた声だと思いました。
ただモーツァルトについては、伴奏付とは言えレチタティーヴォでリズムを揺らし過ぎるのは気になった。
モーツァルトの独唱曲はラーメンのように、固めなテンポで引き締まっておいしくなることはあっても、間延びして美味しくなることはない。
というのが私の持論です(笑)
BCJに所属してる方なんかは、ビート感がないバッハは耐えられない。
と言っていたので、それに近い感覚でしょうか。
最近は特にモダンより、モーツァルトが生きていた当時の楽器や演奏方法(ピリオド)のオケが入ることも多いので、その風潮は強いと思います。
話が逸れてしまいましたが、一方のヴェルディは強い中音域が生かされるという意味でも、今後ロドリーゴ役を歌うことに納得。
高音に関しては、出てはいましたがまだ勢いで出している部分があると感じました。
ということで発声的な部分になりますが、
一番気になったのは、ピアノの表現で息交じりの声を使うこと。
これは良くない。
コレが癖になると、音の出だしで特に声帯がちゃんとくっつかなくなって、音の出だしが子音の場合は良いのですが、
例えば(ah)とか(oh)みたいな母音はスパっと音が決まらず、微妙にズリ上げるような出し方になります。
なので、「ロドリーゴの死」でいえば、”no”だと五線の上のG♭が楽にハマっても、”ah”だと成功率が下がる。みたいなことが起こってくる。
フォルテと同じ音圧でディナーミクをコントロールできるようにならないと、本当の意味でロドリーゴの死のドラマ性は表現できないので、
今後の課題はこの辺りではないかと思いました。
宮里直樹 テノール
◆独唱
ドニゼッティのアルバ侯爵のアリア
同じくドニゼッティの連隊の娘のアリア
Rシュトラウス、バラの騎士のアリア
◆重唱
ドニゼッティの愛の妙薬からアディーナ、ベルコーレを絡めた重唱
思えば彼のブッファ作品を聴いたのは今回が初めてかもしれない。
ルチアのエドガルドや、椿姫のアルフレードより、ネモリーノの重唱やってる時の方が合っている気がしてしまった。
数年前は、頻繁に「誰も寝てはならぬ」歌ってた印象なので、重いレパートリーに行くのかな~と思っていたら、今回歌った曲はアルバ侯爵以外はリリコレッジェーロのかなり軽い声のテノールが歌う傾向がある曲ばかり。
この選曲はよかったと個人的に思いました。
宮里さんの声は強いけど決して重くないので、やはり軽めのレパートリーを歌った方が栄えるんじゃないかと思いますし、
日本人離れした音圧を持っている分、喜劇作品の方が自然と力が抜ける感じがあって、それでいて、声楽的な声を逸脱した表現をするでもなく、変な言い方ですがきっちり喜劇を歌えていたので、こういうのはただ良い声だけの歌手にはできない、しっかりした技術と緻密な音楽へのアプローチがあってこそだと思いますので、アリア以上に愛妙の重唱には関心させられました。
声については、
テノールに興味がある方なら、連隊の娘と聞けばハイC連発の難しい曲というイメージがあるかもしれませんが、実はあのハイCはそこまで難しくない。
逆に、オクターヴの跳躍は響きの質を調整する上では必須の発声技術なので、このCが上手く出せないテノールはテノールとは言えないと私は思います。
それよりバラの騎士のアリアの方が、テノール一般のパッサッジョ(五線の上のF辺り)を執拗に出さないといけないので、短い曲ではありますが難しい。
この曲をしっかり歌えるの凄いな~と素直に関心しました。
田中絵里加 ソプラノ
この演奏会
主催者のフランコ酒井氏が田中絵里加さんに相当惚れ込んだことがそもそもの出発点のようです。
私は休憩中なんかに回りの方の演奏会についての会話を聞くのが好きなんですが、フランコ氏と偶然話すことができまして、来年も絶対呼ぶ!
と意気込んでましたし、宮里さんに共演したソプラノ上手かった人について質問したら、絵里加さんの名前を挙げたとかで、話を聞いてるだけで、彼女に対しての惚れ込み具合が伝わってくる訳です。
実際、この演奏会にいって、数多くクラシック関連の演奏会レビューを書いている方も、彼女の演奏を絶賛していましたので、ようやくファンが増えてきたな~と対談をした身としては嬉しくもなってきます。
前置きが長くなりましたが、歌った曲は、
◆独唱
ヴェルディの椿姫のアリア(1幕)
ドニゼッティの連隊の娘
ロッシーニのコリントの包囲
◆重唱
ヴェルディの椿姫からジェルモンとの重唱
ドニゼッティの愛の妙薬からネモリーノとの重唱
彼女のヴィオレッタは何が凄いかって、難しいアリアを歌っているように聴こえないところ。
これも中音域で響きが落ちなかったり、特に”u”母音なんかで喉を全く押さずに深い響きで歌えていたり、”e”母音で横に平べったくならなかったり、もちろんアジリタの技術や高音を、上半身だけでなく、下とつながった声で出せるとか諸々含め、こういった様々なことを普通にやってのけて初めて成せるのが、簡単に歌っているかのように聞こえる歌唱である。
彼女より声量のある歌手は沢山いるでしょうし、強い低音が出て、ハイEsまで出せる歌手もいるでしょうが、だからといって、ここまで自然に歌える歌手は世界的にも殆どいないと思います。
彼女の声はキラキラした輝かしい声ではなく、ちょっと影があってしっとりしているので、多分日本にいたら、ムゼッタではなくミミを歌わされていただろうし、もっと音圧のあるリリックな声を求められていたでしょう。
実際一時期彼女がトゥーランドットのリューのアリアなんかを歌っていたことがあって、その時ちょっとフォームが崩れかけてたりしました。
でも、ヴィオレッタではフォームを崩さなかった。
リリコレッジェーロだった歌手がヴィオレッタを歌うと、
顕著なのはダムラウですけど、一流歌手でも声を押すようになってフォームが変になることがあります。
そういう部分を考えた時に、余計なことをせず、加工しない持っている声でヴィオレッタを歌えるということが如何に凄いことかがわかる!
そうかと思えば、連隊の娘ではイケイケな性格で生き生きした演奏を聴かせ、そういう曲でも勢い任せにならず、音圧を制御できている理性があって、
ロッシーニのコリント包囲みたいな悲劇的な曲での内向的な表現との歌い分けも見事でした。
と言うことで、全体的にとても満足度の高い演奏会だった訳ですが、
残念なことに、席の埋まり具合が5割程度だったんですよね。
これだったら、もう少し狭い箱にして、チケットの値段下げて満席にしましょうよフランコさん。
と思ってしまったのはここだけの話です。
またこのメンバーをそろえると主催者が言ってましたので、
今回聞き逃してしまった方は、ぜひ来年は聴いてみてください。
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