戦後の米国を代表するメゾ Shirley Verrett

Shirley Verrett(シャーリー ヴァーレット)は1931年アフリカ系アメリカ人として米国に生まれたメゾソプラノ兼ソプラノ歌手
マリアン・アンダーソンといい、ヴァーレットといい、米国のメゾソプラノは黒人に優秀な歌手が出ているわけですが、
逆にアングロサクソン系のメゾは大して上手い人がいない印象があります。

この映像を見るだけで、この人の音域の広さと、声の密度の高さがよく分かる

一般的に胸声と呼ばれる低い音の響きも、喉を押して出すのではなく、自然に出している
更に「イゾルデの愛の死」、トスカの終幕のパヴァロッティとの2重唱など、
この人の声が如何に化け物じみているか、この映像だけでも伝わるのではないだろうか。
知名度は低いあが、実力としてはアストリッド ヴァルナイに引けを取らない。

ヴェルディ レクイエム Libera me

50歳の時の演奏である。
50歳のメゾソプラノがこれだけ完璧な高音のピアニッシモを出せるだろうか?
そして全く無駄なビブラートが掛かっていない。
ハイソプラノだったネトレプコの現状を見れば、ヴァーレットの発声が如何に正しいか、
逆にネトレプコが間違った方向にいっているかが瞬時にわかってしまう。

 

そして極めつけはやっぱりアイーダのアムネリス

テノールのリチャード キャシリーが歌い出すまでの緊張感が半端ない。
この佇まい、圧倒的な威厳、声量というより声の密度の高さがそこらの歌手の比ではない。
このテノールの能天気な声、ことごとく”a”母音が鼻声に近い声になるのとは大違いだ。

そして低音の響き。
強くて太いのに、軽く高いポジションで歌っているという、ちょっと信じられない響きである。
現代の歌手を色々聴いて、勿論素晴らしい人も沢山いるのだけど、改めてこの演奏を聴くと圧倒される。

 

高音での”o”母音を歌っているところ

 

 

低音での”a”母音を歌っているところ


全くポルタメントを掛けず、狙った音で完璧な響きの声が低音~高音まで当たる。
私から見ればマリア・カラスよりよっぽど凄い歌手です。
身体もそんなに大きくないし、この人の楽器は奇跡的としか言いようがありません。

ちなみに、このラダメスを歌ったのと同じ年に、セビリャの理髪師のロジーナのアリアUna voce(馬の歌声は)
というアムネリスの対局にあるような曲を歌っていたりします。

流石にこちらはちょっと重過ぎるし、低音が強過ぎますが、高音は文句なしです。
1970年は、ロッシーニルネサンスという言葉もなかったと思うし、今のようなロッシーニ歌唱や解釈が確立していなかった。
はっきり言って、マリア。カラスがベッリーニやドニゼッティをヴェリズモ的に歌うのが流行ってしまったせいで、
時代や作曲家ごとによる解釈が薄れ、濃い味付けのベルカント物が横行してしまったのです。

これは偉大な声に熱狂した聴衆の罪でもあると私は考えていますが、
まさに今、ヘルデンテノールの定義が揺らいでいるのも、
現在の聴衆が、ワーグナー作品のテノールに英雄的な声を求めなくなってきたからです。

結局、偉大な歌い手を最終的に育てるのは聴衆ということです。
だから聴く側であっても、聴衆には教養が求められるし、教養のある聴衆の前では二流の歌い手は淘汰され、
本当に残るべき才能だけが檜舞台に立てる。それこそが望ましい姿ではないでしょうか。

 

CD紹介
このベルディのレクイエムはアルトソロをやっている

ドミンゴ・ヴァーレット・ディアス(フスティーノ)・スウェソンという中々のメンツのマイアベーアの映像
これは見てみたいかも

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