楽器を持て余したフランス歌曲界の名バリトンGérard Souzay

Gérard Souzay(ジェラール スゼー)1918~2004 はフランスのバリトン歌手
元々はテノールとしてキャリアをスタートしたが直ぐにバリトンへ転向している。

恐らくフランス歌曲のCD録音を最も多く残している歌手ではないかと思うが、
その一方で、評価は割れている印象を受ける。
フランス歌曲に限らず、ドイツリートも名歌手のロッテ レーマンに習って勉強するなど、
非常に熱心に歌曲の研究に取り組み、語学も堪能で13ヶ国語を操れたというが、
その一方、この人の声には一流歌手と呼べるか否かの疑問を投げかける余地がある。



デュパルク 悲しき歌
https://www.youtube.com/watch?v=Mms29cqINQI
※リンクが上手く貼れないため、お手数ですがURLから画像をご覧ください。
この画像を見て個人的にとても気になるのが、
ブレスの度に肩が上がること。
ようするに、この人はかなり浅い呼吸で歌っていることになる。
正しい呼吸(支えと言っても良いが)が出来ていれば、こんなことには絶対ならない。

だから、低音と高音で響きが別人のようになる。
高音は上半身だけの響きになり、低音は喉が鳴っているような部分が強くなる。
並の歌手がこの歌い方をしたら絶対に上手く歌えない。
そういう意味でも、スゼーは後進の指導にも取り組んだと言うが、
スゼーの弟子として注目されている人を見たことがないのも必然と言えるかもしれない。

 

 

同じ曲で、
フランス歌曲の名手として知られるエリー アーメリングの映像と比べて頂きたい

動く場所は方ではなく、おへその下辺りである。
これは、中高生の合唱部指導員レベルでも言うことなのだが、
それでも肩に力が入ると言うのは、喉にも力が入っているし、舌根も硬くなっている証左である。
この映像だけで、スゼーの歌は持ち声に頼ったものであると結論付けても良いのではないのかとさへ思える。

 

グルック オルフェオとエウリディーチェ
J’ai perdu mon Eurydice(フランス語歌唱 エウリディーチェを失えば)
https://www.youtube.com/watch?v=h5zrBxeokyw

逆にこの演奏はかなり良い。
スゼーはオペラを殆ど歌わず、
リサイタル活動など、コンサート歌手としてのキャリアに重きを置いた歌手だったが
実は持っている楽器は完全にオペラ向きだったのではなかろうか?
と思わせるものだ、
響きは高音と低音であいかわらず分離気味ではあるが、
デュパルクを歌った時のような、喉が上がって支えも浮いたような声とは全く別人である。
この明らかな違いを見ると、彼はあまりに楽器に恵まれ過ぎていて、
元々テノールだったことも相まって、バリトンの音域での音量調節が小手先で出来てしまったのだろう

 

そんな訳で何を勘違いしたのか、
言葉の切れ味が要求されるようなリートも気の抜けた炭酸みたいな声で歌ってしまう
シューベルト Der Musensohn(ミューズの子)

 

 

 

バス歌手のカヴァストホフすらもっと軽快に切れ味よく歌っている

スゼーは本来ハイバリトンであるにも関わらず、
バスが歌うような調性で、やたらと猫なで声で歌う。
というあからさまな勘違いをしてしまった。
どんな声の出し方をしても、
それなりの歌い方ができてしまう楽器を、もてあましているようにしか思えない。

 

 

それが一番わかるのが魔王の演奏

父親のセリフの声の作り方なんかは、本来残念な勘違い歌手といった感じなのだが、
柔らかく上が出るにも関わらず、締めればこんな声も出るのか!と驚かされる。
だが、結局小手先だけの柔らかさであるのが露呈するのが魔王のセリフ(2:05~2:20)。
こういう場面こそ猫なで声で、悪魔の囁きのような歌が求められる訳だが、
ポジションの低さ故に、言葉を出すと喉に掛かって囁きにならず、
最高音の”singen”という単語に至っては完全に投げやりである。

 

 

先日の記事で紹介したジークフリート ローレンツの歌唱と比較して頂きたい

この違いはドイツ語を母国語にしているかどうかという問題ではなく、
完全に発声技術の差である。

 

 

ジェラール スゼーという歌手には、感性と持ち声が一致しなかったという悲劇を感じる。
あのオルフェオのような歌唱を追求していけば、きっと良いヴェルディバリトンになれた可能性もあっただろうが、
なぜか、本来の自分の声より低い調整を好み、抜いた声で歌うことで成功してしまった。
よって、この人が歌曲の名手などという評判は到底肯定できるものではない。

 

 

余談だが、フランス歌曲の名手と呼ぶにふさわしいバリトンは誰か?
と聞かれれば、私は迷わずこの人の名を挙げる
シャルル パンゼラ

 

 

 

スゼーのフォーレ リディア

っという訳で、
ジェラール スゼーはあまりに起用で、下も鳴るし上も出る楽器を持って生まれてしまったがために、
どのように使えば一番良い声になるのかを見つけることができなかった歌手だったのではなかろうか!
恵まれた楽器を持つということは必ずしも良いことばかりではない。

 

 

CD

珍しいオペラアリアも聴ける。
本来のスゼーの声を聴くには歌曲よりオペラである。

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