Dmitry Korchak (ディミトリー コルチャック)はロシア生まれのテノール歌手
来日回数も多く、新国やリサイタル以外にも、
コンサート歌手としても海外オケのソリストとして歌ったりしていたので、
既に日本国内でもコルチャックは比較的馴染みのある歌手ではないだろうか?
私も既に何度か彼の演奏は聴いているが、フランス物、イタリア物、ロシア物を巧みに歌い、
ロッシーニと平行してマスネのマノンやウェルテルといったかなりドラマティックな役柄も、
声を変に重く作ることなく、逆に軽すぎることなく見事に歌う。
彼の器用さを説明するため、いくつか聴いて頂こう
ロッシーニ オテッロ Che ascolto
マスネ ウェルテル Oui! ce qu’elle m’ordonne
チャイコフスキー エフゲニー・オネーギン
ロッシーニを歌うには強い声なのだが、あの勢いで歌えてしまうのが凄い
逆にちょっとロッシーニを歌うには強過ぎる感じはするが、決して重たさがなく、
終始明るい声質で歌っている。
そうかと思えばヴェルテルはロッシーニよりむしろ声に合っていて、
本来彼の声が合うのはロッシーニよりこっちなのだろうが、今でもロッシーニ作品は常に歌っているようだ。
ただ、フランス語の発音で閉口の”e”母音が開き過ぎな気がするが・・・。
そして、なぜか一番歌い難そうなのがレンスキーという全く不思議なロシア人である。
日本でこの曲を歌った時もそう思ったのだが、テンポ感が今一つよくない。
そんなに揺らさずにもっと素直に歌ってくれれば良いのにと思うのだが、
イタリア人のジュゼッペ フィリアノーティの方がよっぽどこの曲に関しては素直に歌っている
この声からロシアの荒涼とした風景や、凍てつくような寒さが想像できるかは全く別としてだが。
コルチャックはドニゼッティ作品のブッファ(愛の妙薬、ドン・パスクワーレ、連隊の娘)
といったところもレパートリーにはしているが、ブッファ(喜劇)よりはセリア(悲劇)の方が向いている声である。
それは言ってみれば、ちょっとフローレスに近い部分があるのだが、
声はどこを切っても素晴らしいが、一方でどの曲を歌っても表情が貧しいという部分が原因だ。
強弱のコントロールは巧だが、言葉の出し方や表情はまだまだ研究しなければならない。
ベッリーニ 清教徒 Credeasi, misera
そういう意味でも、とにかく良い声をここぞという場面で決めれば恰好がつく曲はめっぽう良い。
この作品をこの強さの声で歌えるだけでも一聴の価値はある。
清教徒のこの曲はどうしてもハイFを期待してしまう。
そんな人はマッテウッツィやアルベル、古くはゲッダの録音で馴染んだと思うが、
実は、アレッサンドロ ルチアーノという歌手が完璧に決めていたりする。
これの18分辺りをご覧ください。
なんでこんな凄い歌手が有名にならないのか不思議ではあるが、
逆に、有名じゃなくてお凄い歌手は沢山いるということの証左なので、
小さな演奏会や、市民オペラに出ているような歌手でも、上手い人はいるということだ。
ロッシーニ セビリャの理髪師 Ecco, ridente in cielo
こちらが去年の直近の映像
楽譜に書いてある音を良い声で歌う。
ということに関しては現在で最高の能力を持った歌手だろうが、
この演奏を聴いてわかる通り、この歌詞が何を歌っているのか全くイメージできない。
例えば往年の名歌手ルイージ アルヴァの演奏と比較すれば、
この曲に求められるセンスがコルチャックには全然足りないことがわかるだろう
この人は今の音大教授世代、あるいはもっと上の世代には
トスティの歌曲の演奏模範としても知られており、
実はスカラ座研修所で中島康晴を教えていた人の一人がアルヴァである。
そうは言ってもコルチックはまだまだ若く、
これからも更に活躍の場を広げていくことだろうが、
くれぐれもステロイドだけには手をださないでもらいたいものである。
これからも日本には度々来ると思うので、成長を楽しみに見守りたい。
CD
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