Wolfgang Windgassen,(ヴォルフガング ヴィントガッセン)1914-1974、はドイツのテノール歌手(生まれはフランス)
戦後最高のヘルデンテノールと言われた通り、
ヴィントガッセンと言えば、ショルティ指揮の指環でジークフリートを歌っていることや、
トリスタンとイゾルデで、ニルソンと共に来日したことで、日本でもその認識は変わらないだろう。
だが、その一方で彼の発声技術に関しての評価は正当な評価が下されているとは思えない。
もう10年位前に廃刊になったと思われるGrand Operaという雑誌に、
「無茶苦茶な発声」と書かれていたのを今でも覚えている。
実際、頻繁に怒声に近い声で劇的表現を行うため、そのような言い方をする人が出てくるのかもしれないが、
それは全くの勘違いである。
ヴェルディを聴けばわかる圧倒的な発声技術
まず、
デビューした1939~1951年までは戦争を挟んでプッチーニなどを歌っていた。
ヴィントガッセンがワーグナーを専門に歌ったのは1951年のバイロイト~である。
当時イタリアオペラがイタリア語で歌われていたのか、ドイツ語歌唱だったのかは知る術はないが、
映像が残っているオテッロを見れば、彼の発声が無茶苦茶などとは絶対に言えない。
ヴェルディ オテッロ (ドイツ語歌唱)
神にかけて誓う
恐れる者はない
ドイツ語歌唱にも関わらずイタリア人すら称賛するオテッロがそこにある。
後期のヴェルディ作品はワーグナーの影響を色濃く受けていることもあり、
ヴィブラートやポルタメントを排してドイツ語で歌われると、逆に曲の輪郭がはっきりする。
更にヴィントガッセンの歌唱で特出しているのは、圧倒的なピアニッシモの表現力
この歌唱を「無茶苦茶な発声」でしているとしたら、正しい発声とは何か教えて欲しいものである。
因みに、デル・モナコの歌唱
両極端のような二人ですが、私には言語が違うだけでやってることは全く同じに聴こえる。
モナコも、声ありきで歌ってるのではないことがこの演奏ではっきり判る。
言葉の延長線上にこの声が存在していることを多くの人が理解していないために、
ドラマティックテノールはデカくて強い声が必要だと勘違いしてしうまのでだろう。
ヴィントガッセンの喋り声と癖
次に歌曲
Rシュトラウス Traum durch die Dämmerung (黄昏の中の夢)
ヴィントガッセンが本当に凄いのは喋ってる声と歌声が全く同じこと。
この演奏は、本当に音程をつけて喋ってるだけなんだな~。というのがよく分かる。
ただ、このシュトラウスの歌曲は比較的低い音程が多いこともあって、
ヴィントガッセンの癖も少し目立つ。
具体的には低音域でやや鼻に入ることがある。
そのため必要以上に太い声になってしまうことがあり、響きより声が目立ってしまう。
こんな感じで五線の真ん中より上の音は文句なしだが、下の方は少々癖が出る。
だからこそ、テッシトゥーラの低いジークムント役は多くの人があまり向いてないと考えるし、
ニルソンも、「ヴィントガッセンには低い」と言っているのだろう。
これは推測だが、ヴィントガッセンはシュトゥットガルトを生涯拠点にしていたので、
そのことによる訛りの影響もあるのではないだろうか。
※シュベービッシュ (Schwäbisch) と呼ばれる方言が話され、訛りの強いことで知られる
参照はコチラ
言葉を的確に表現できてこそ正しい発声だ
ヴィントガッセンは軽くて強い声だ。
重量級の歌手が歌うものだと考えられていた常識を打ち破った歌手でもあるが、
同時に、言葉による表現力が圧倒的に優れていたことを抜きにはあり得ない。
トリスタンとイゾルデ 3幕のモノローグ
メルヒオールと並んで歴代最高のヘルデンテノールとも言われる
マックス ローレンツ
ローレンツと比較すれば、いかにヴィントガッセンが軽く歌っているかが分かる。
ヴィントガッセンはかなり劇的な表現をしているようで、実はフォームを崩さない、
決して破綻しない範囲内で計算してやっているのである。
ローエングリン In fernem Land(遥かな国に)
ヴィントガッセンの後にヘルデンテノールとして活躍したルネ コロ
https://www.youtube.com/watch?v=WoTpdQ8ShcE
こうして見れば、ルネ コロは軽い声にも関わらず歌い過ぎているためにテンポ感も声も必要以上に重たい。
(しかもコロはこの有名アリアで歌詞間違ってる)
ヴィントガッセンの方が強い声にも関わらず
現在最高のローエングリン歌い(と言う人達がいる)クラウス フローリアン フォークト
https://www.youtube.com/watch?v=p6YNCijHqzY
これをヘルデンテノールと定義することには断固反対の立場を取る。
それは、声が軽いから英雄的ではない!とかいう抽象的な意見ではなく、
語尾が全て尻切れトンボのように抜けていて歌い終わる度に緊張感が途切れる。
声の当たっている場所が鼻に近く、特にFis辺りの音の”o”母音は完全に鼻声。
更に致命的なのは”r”が全然聴こえない。
これではワーグナーの求めるドラマは表現できない。
それが彼をヘルデンテノールとして私が評価しない理由である。
こうやって聴けばフォークトの声こそ楽器に頼った歌い方であり、
ヴィントガッセンの方が利に叶った合理的な発声なのは明らかだ。
こうして見てきた通り、
ヴィントガッセンが突出した発声技術を持っていたことはわかって頂けただろうか。
歌手の骨格や常用している言語、あるいは特定の地域の訛りなどの原因で独特な響きを持った歌手は沢山いるが、
それと発声の良し悪しは別物である。
ヴィントガッセンの歌唱を一世一代の妙技のような扱いにせず、
引退した1970年(56歳)まで、声が衰えることなく、
ロングトーンで声が揺れることもなかったのはなぜか?
類希なヘルデンテノールから学ぶべきことは沢山あるはずだ。
リスタンとイゾルデ(引退した1970年の演奏)
ソプラノ ビルギット ニルソン
https://www.youtube.com/watch?v=h6mynUdN5AY
ユニゾンでニルソンとヴィントガッセンの声が一つの線になっている。
これは、ただ同じ音程を歌うだけではできなくて、響きのレベルが双方の歌手で同じでないといけない。
CD
ヴィントガッセンと言えば個人的にはタンホイザーが一番好きです。
あのヴェーヌス賛歌の奔放さは他者の追随を許さない。
ニルソンが最高のトリスタン指揮者と言ったのがカール・ベームだった。
よって、ベーム指揮でニルソンとヴィントガッセンが歌っているこの盤は無条件で名盤である。
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