かつて最高のスザンナだったDorothea Röschmannに見るスーブレットソプラノの難しさ

 

 

Dorothea Röschmann(ドロテア レシュマン)は1967年ドイツ生まれのソプラノ歌手

やや暗めの響きながら、硬質で低音域でも真っすぐに飛ぶ声と、
若々しく表現豊かに動き回り、可愛らしいながわも気の強そうな容姿が実にスザンナにピッタリだった。

だが、低音域ではっきり言葉を届かせ、少々声を犠牲にした演技は声を徐々にロブストにしてしまった。
20代後半で最高のスザンナだったレシュマンは、2006年には絶頂期を過ぎた悲哀を漂わせた伯爵夫人になっていた。

 

 

1995年(28歳)
モーツァルト フィガロの結婚(全曲)

 

レシュマンのスザンナ、ターフェルのフィガロ
伯爵には若き日のホロストフスキーという超豪華なキャストのフィガロの結婚。
この中で圧倒的な存在感を見せたのが、30歳にもならないレシュマンだったのだ。
若いソプラノ歌手がこの役をやると、大抵テッシトゥーラの低さに苦戦するのだが、
レシュマンは中低音で実に多彩な表現をすることができた。
その分、高音はそこまで得意ではなかったと見えて、
4幕のアリアでは逆に声の太さが気になってしまう部分もあり、今後は細い高音を磨くことが課題だと思ったものだ。

だが結果的には全く逆の選択肢を選んだ。

 

 

 

2006年(39歳)
モーツァルト フィガロの結婚(伯爵夫人のアリア2曲)

声にも歌い回しにも大きな変化はないにも関わらず、役柄だけ変えてしまった。
スザンナでは長所と成り得たセリフの歌い回しも、伯爵夫人では品格を損ない、
激しい表現をしようとすればするほど喉にひっかかる音が痛々しい。
スザンナと伯爵夫人では根本的にブレスを変えなければいけないのに、そこがまずできていない。

 

 

 

ちょうど同じ39歳の時のカルメラ レミージョの歌唱と比較して頂ければよくわかる

レシュマンのレチタティーヴォはスザンナのまま伯爵夫人を歌ってしまった。
と書いた意味が伝われば幸いである。
とにかく伯爵夫人という役のアリアは無駄に喋ってはいけないのだ。
息に言葉を乗せて吹く。
という表現をする人もいるが、
とにかくレシュマンはあんながなり立てて伯爵夫人を歌ってしまった。という結果が大きな痛手となった。

 

 

 

 

2008年(41歳)
モーツァルト ドン・ジョヴァンニ Mi tradi quell’alma

昨日の記事で、上手い歌手は”i”母音が明確に明るく響く。
と書いたが、この演奏のレシュマンの”i”母音に注目して欲しい。

何度も出てくる冒頭の歌詞

Mi tradì quell’alma ingrata;
Infelice, oddio, mi fa

(あの恩知らずは私を裏切った
不幸なことに、私をそうさせた)

 

 

 

この歌詞だけでも沢山の”i”母音が出てくるので他の歌手と比較すると面白い。
「infelice」の”li”の跳躍はまだ多少コペルト(かぶせる)のはありだが
響きが落ちてしまったりしてはアウト。

この曲の歌唱として上手いかどうかは別として、

ちょっと極端ではあるが、ジューン アンダーソンなんかは全く”i”母音の色が違うので比較としては面白い。

この人はコロラトゥーラが得意なソプラノとして高音に強かったのもあるが、
本来、声を出すということだけでいえば、
ソプラノならば尚更、
これくらい母音の色を変えずにAs程度の高音は出せるものである。

 

 

 

 

一方ドイツ物はどうかと言うと
シューマン リーダークライス(アイヒェンドルフの詩による)
In der Fremde (見知らぬ地で)

https://www.youtube.com/watch?v=lOO8j-id13g

魔笛のパミーナ役も若い頃はやっていたが、もともとは古楽で成功した歌手だったので、
リートをもっとやっていればよかったのである。
この演奏では”i”母音は崩れておらず、”a”母音は時々鼻に入るとは言え、
それでもイタリア物とは全然違って整っている。
過去の記事でディアーナ ダムラウもイタリア物でフォームが崩れることを指摘したが、
レシュマンもイタリア物を本来は沢山歌うべきではなかったのかもしれない。

 

 

 

結局

2016年(49歳)
ヴェルディ オテッロ(全曲)

https://www.youtube.com/watch?v=P28KAApmK0Y

衰え切って吠え散らかすことしかできない、最初っから負けっぱなしのオテッロ
ホセ・クーラと共に、あまりにイタイ夫婦を演じることになってしまった。

 

 

1995年スザンナから、21年という歳月はここまで歌を変えてしまうのか!?
という時の残酷さと共に、レパートリー選びの失敗がどんな悲劇をもたらすのかがよくわかる。

スーブレットソプラノという役は、若い娘役だから若い歌手が歌うことが多い。
と言うのは当然あるのかもしれないが、
実際は喉に掛かる負担が大きくて、
若い内しか表現に耐えられないのではないか?
と最近考えるようになった。

こういう歌手からも学ぶべきことは沢山あるが、
どうかまだ50歳になったばかり。
ここで終わらず、レシュマンには立て直してほしいものだ。

 

 

 

CD

日本が誇るピアノの巨匠
内田光子との歌曲集。

アーノンクール指揮
ゲルハーヘルとシャーデとソリストも揃った天地創造。

結局お勧めできるのはフィガロの結婚以外ドイツ物になる。

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