Cesare Valletti (チェーザレ ヴァッレッティ)1922年~2000年はイタリア生まれのテノール歌手
一般的に黄金時代と呼ばれる戦後~1960年代に活躍した歌手だが、この時代のテノールは
ヴェルディ~ヴェリズモ作品で主役を歌うテノールが一流と見なされていたため、
ロッシーニなどを美しく歌えた歌手はあまり実力に見合う知名度を獲得していないことが多い。
その代表格がヴァッレッティなのだが、
更にこの人は、リートも積極的に歌っていたというイタリア人テノールとしては非常に珍しい一面もある。
本当に自然に歌う人である。
現代の歌手の大半が如何に疑似的に強い響きを作っているかがこの人の歌唱を見るとよくわかる。
例えばアラーニャと比較してみると
ロベルト アラーニャ
下降音型でことごとく響きが落ちるアラーニャに対して、ヴァッレッティは何も変わらない。
こんな単純な曲でも、出だしの数秒で明らかにレベルが違うことがわかってしまう。
具体的に言えば、アラーニャとヴァッレッティで特に違っているのは”a”母音と”e”母音
アラーニャの”a”母音は華に入り易く、更に横に平べったくなって響きのラインがブレる。
それに対して、ヴァッレッティは音程にも母音にもディナーミクにも影響を受けない響きで歌っている。
素晴らしいブレスコントロールである。
「nieder」「wieder」なんかの発音は気になると言えば気になるし、「holde」の”o”が明る過ぎるとかはあるが、
イタリア人のオペラ歌手がここまでシューベルトの作品を丁寧に歌っているのは聴いたことがない。
この曲の歌詞はコチラを参照
この演奏だけ聴いても、ベルカントだドイツ唱法だなどという発想が如何に妄言がわかる。
重要なのはその言語の特徴の理解と、
それに応じた口腔空間の調節、及び舌や唇の使い方である。
勿論作曲家や時代ごとに様式感を掴むことは必須にしても、それはまた別の話だ。
アイヒェンドルフの詩による歌曲や、メーリケの詩による歌曲、イタリア歌曲から抜粋した5曲を歌っているが、
個人的にヴォルフの歌曲録音の中で一番好きな演奏である。
現代を代表するリート歌手ボストリッジと比べても違いは歴然
イアン ボストリッジ
ここで比較する曲は Verschwiegene Liebe (秘めたる愛)
※ヴァッレッティの音源では2:00~
<歌詞>
Über Wipfel und Saaten
In den Glanz hinein –
Wer mag sie erraten,
Wer holte sie ein?
Gedanken sich wiegen,
Die Nacht ist verschwiegen,
Gedanken sind frei.
Errät es nur eine,
Wer an sie gedacht
Beim Rauschen der Haine,
Wenn niemand mehr wacht
Als die Wolken, die fliegen –
Mein Lieb ist verschwiegen
Und schön wie die Nacht.
<日本語訳>
梢と苗を越えて
輝きの中へ
誰にそれを読み取り
誰がそれを探りあてられるだろうか?
思いは揺れ動き、
夜は口をつぐむ、
考え事は自由だ。
言い当てられるのはただ一人の女性のみ、
誰が彼女のことを思っていたのかを、
ざわめいている森で、
もう誰も気づかれなくなったら、
まるで雲が流れるように。
私の愛は秘められ
そして夜のように美しい。
紹介しておいてナンだが、
個人的にヴォルフの曲はあまり好きではない。
例えば、「die Wolken」(雲)という歌詞がやたら低い音で書かれてて、
最後の「verschwiegen」(秘めた)という言葉がやたら高い音で書かれている上ロングトーン
という明らかな矛盾なんてその典型。
ピアノ伴奏は好きなんだが、歌曲としてはそこまで入り込めないところがある。
曲の感想は置いておいて、
冒頭から鼻に掛かった声のボストリッジ
高音も完全にファルセットに抜いている状況なのに対して、
ヴァッレッティは至って素直だ。
語尾の”n”がラテン人らしい発音ではあるが、それ以外は特に大きな欠点もなく、
発声技術的ではボストリッジとの次元違いを見せつけている格好。
時々”e”母音が開き過ぎるが、それ以外は全く違和感がない、
万能テノールとしては、ニコライ ゲッダが圧倒的に神がかっているとは言え、
ヴァッレッティも非常に知性のある歌を聴かせる歌手であり、
ディ ステファノ、デル モナコ、コレッリがしのぎを削った時代に、
タリアヴィーニだけでなく、こういう歌手もいたことはもっと広く知られるべきだし、
特に日本人はこういう歌手こそ参考にすべきではなかろうか?
このアリア、学生テノールが一番最初に取り掛かることが多いため、
テノールアリアの中でもとりわけ難易度の低い曲と思われ勝ちだが、
はっきり言って難曲である。
ヴンダーリヒの演奏と比較すればよくわかる
フリッツ ヴンダーリヒ
ヴンダーリヒ本来のリリックな響きが薄れ、太く重い声になってしまっている
最高音がGまでだから易しいアリア。
などという考えはそれこそ危険。
このような中音域を軽く、でもしっかり鼻に入れたり、抜いたりせずにコントロールする、
というのは、実は高音でピアニッシモを出すのより遥かに難しい。
そんな訳でドミンゴなんかが歌おうものならモーツァルトでも何でもなくなる
プラシド ドミンゴ
聴いての通り、ズリ上げ頻発、レガート皆無、語尾の母音がアペルトになる
などなど、全く歌えていないのがわかって頂けるだろうか?
この曲はテノールとしての力量が丸裸になるとっても怖いアリアなのである。
そして、そんな曲を美しく歌えるヴァッレッティは大変優れたテノールであるということだ。
[…] ドイツリートも歌った黄金時代のイタリア人テノールCesare Valletti […]